吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

英語に浸かる時間

今週のお題「練習していること」

 

先月から、お隣のインド人の奥様から英語を習っている。

 

教室は、お隣宅。

 

インド人の奥様は、日本語ができなくて、私は英語ができないので

「ここが分かりません」

と言っても、説明される言葉は英語。

 

言葉が無理なときは、身振り手振り、絵も描き、単語をGoogle翻訳

 

なので、レッスン中は、身を乗り出して耳をそばだて、そうやって聞き取ったものを脳内で組み立て・・まぁ普段使わない脳がフル回転だ。

 

彼女は誰かに英語を教えたことはなく、私も学生時代以来の英語学習。

 

きちんとした教科書はなく、行き当たりばったりというか、自由度の高いレッスンである。

 

レッスンは、始めに、私が書いてきた5~6つの英文の添削から始まる。

 

『土曜日に、車で映画館に行きました』

『子どもが好きな、アニメを観ました』

『私は、上映中は寝てました』

なんて感じの、短い英文だが、それでも毎回、どこかしら間違う。

 

そこから

「どこの映画館?」

「あなたの好きな映画は?」

「あの映画観た?」

なんて話になる。

 

雑談をひとしきりした後、彼女が作ってくれた問題文を解いたり、練習したりする。

 

その問題を解いている最中も

「of とか for とか、違いがわからない」

「何にくっつけて使ったらいいの?」

と私が言うと、彼女が

「えっと・・例えば・・」

と説明してくれる。

 

学生時代に、いくつもの構文を覚えた気がするが、今や、脳内には跡形もない。

 

問われた彼女にしても、たぶん説明するのは難しいだろう。

 

日本語だって

「~が、~に、~を、の違いと使い方について説明せよ」

と言われたって

「つまるところ・・聞いた感じ、言った感じがそうだから、そうなのよ」

としか、私には説明できないもんなぁ。

 

そんな脱線ついでに、日本人の苦手な L と R の発音の違いを、今さらながら理解したが、やっぱりうまく発音できないことを再確認したり。

 

さらについでに、インドのご実家の家族写真を見せてもらい、そのついでにインドの学校、介護、結婚、気候、交通、法律事情・・。

 

要は、脱線と雑談が多い。

 

彼女はゆっくり、簡単な表現を選択してくれるので、彼女の話すことは

『こんなことを話しているのだろう』

くらいは分かるようになったが、自分の言いたいことが、すんなり出てこない。

 

「わかる~それ、あるあるだよね~」

「そうは言ってもさぁ、難しいよねぇ~わかるけどさぁ」

なんて相槌をうちたいが、その英語が分からない、出てこない。

 

できないことだらけ、手探りだらけの、そんな時間だが、今、楽しい。

挑む彼女

小6娘が

「家で、小物を作りたい」

と言って、手作りのキットを売るサイトを指さした。

 

それまで、折り紙、アイロンビーズ、塗り絵などにハマる期間は、不定期に訪れていたが、今度はビーズで作るものらしい。

 

ズボラな私は、こういう細々とした手作業が苦手なので、何だかよく分からなかったが、お金だけ出す。

 

最近、親が子どもにできることは、衣食住、生命維持、法律遵守、あとは、こんなときにお金を払うことだけだなと思う。

 

もちろん、それだって可能な限りだが。

 

さて、頼んでいた娘のキットが、届いた。

 

出来上がると、ビーズで作られた小さなケーキになるとのこと。

 

午前中に届いたそれを、娘は食事もそっちのけで、早速に作り始めた。

 

作り方が書かれた紙を見ながら、細いワイヤーとビーズを、黙々と、こねくりまわして。

 

しばらくして

「あぁ・・難しい」

と、大きなため息をついたので

「時間があるから、少しずつやったら?」

という私のお気楽なアドバイスに従い、ようやく手を止めて、その日は終了。

 

そんな彼女が、急に

「中学校に、なるべく登校してみようかな」

「入学式は出たくないけど、その翌日から・・」

と言い出したのは、昨日のこと。

 

兄同様に行かないものだと、高をくくっていた私は、早々に給食費と教材費を止め、もちろん、制服なども買っていない。

 

慌てて中学校に連絡をして、新年度のスケジュールやら、登校時間、制服などのことを尋ねる。

 

「中学校、朝8時までに登校だってよ!」

そう娘に言ったら

「えっ・・・」

と絶句。

 

私も

「早いねぇ」

と、うなだれる。

 

長年、登校時間なんてのを気にしない生活の弊害が、今ここに・・。

 

「今さら、遅刻だの早退だの、ナンボのもんじゃい!死ぬわけじゃない!」

と、私自身に言い聞かせるように言ったら、彼女の頬がゆるんだ。

 

小4弟が、フリースクールに居場所を作ったように、彼女にも家庭以外の居場所ができたらいいなと思う。

 

食堂での皿洗いの手伝い、自治会の手伝い、舞台鑑賞、前髪ウィッグ購入、私の前髪担当美容師就任、ビーズ作成・・

新しいことへ、少しずつジャンプをしてきた彼女が、今、大ジャンプをしようとしている。

 

ジャンプをしようがしまいが、ジャンプした結果がどうあれ、挑む彼女に、乞うご期待。

木刀作り

小4息子が通うフリースクールでは、毎月のスケージュールは、生徒たちで決める。

 

そのスケジュール表に、半年くらい前から

『木刀づくり』

という日が、毎月載るようになった。

 

息子は、仮面ライダーとゲーム以外、ほぼ興味がないし、手仕事も好きではないから、絶対に参加していないだろう。

 

だから、スケジュール表を見ても

DIYの好きな子がいるんだなぁ』

くらいに思っていた。

 

ところが、先日のフリースクール保護者会で

「息子さんが頑張って作った木刀、もうすぐ完成ですよ」

と言われて、びっくり。

 

聞けば、木刀づくり発足当初から参加しているという。

 

木刀づくりは、木刀くらいの太さの角材を用意して、それを各々が思う長さに切ることから始め、その後に削ったり、やすりをかけたり、色を付けたり・・したよう。

 

1月に1度のスケジュールとはいえ、1回の製作時間も、そもそも参加するかどうかも全て本人次第、ドタキャンも大いに結構というのが、フリースクールの流儀。

 

ゆっくりゆっくり、やったりやらなかったりしながら作った木刀を、息子が持ち帰ってきた。

 

その木刀を、本人は振ってみせるわけでもなく、作った苦労話をするわけでもなく、おもちゃ箱に入れただけ。

 

たまらず、こちらから製作秘話を尋ねると

「別に~、普通に作っただけだよ~」

 

学校に登校していれば、図画工作などで、いくつもの作品を作るのだろうが、フリースクール3年目、彼にとっては初めての作品。

 

はなまる、二重丸の作品である。

 

父、転ぶ

数日前、85才の父が自宅で転倒して、足を骨折した。

 

母の話では、派手に転んだわけではなく、つまづいた程度だったという。

 

転倒する少し前に、私は用事があって実家に行った。

 

『前日から、父が、足が痛いと言い出し、急に自分で歩くのが困難になってしまった』

と、母から情報は入っていたが、実際に会った目の前の父の姿に、愕然とした。

 

足を1歩前に出すにも苦労している姿よりも、父の身体が、とても小さくなっていたことに。

 

父とは1か月に1~2度は会っている。

 

2週間前に会ったときの父に、そんな印象はなかった。

 

母に尋ねても

「痩せてはいないわよ、食欲もあるし!だって、暇さえあれば、何かしら口に入れてるもの」

と、ボヤく。

 

そう聞いても、私には

『たった2週間で、人の身体って、こんなにも変わるものだろうか』

と、驚きを通り越して、恐怖さえ感じるほどに、父の身体はしぼんで見えた。

 

骨折したのは、その2日後だった。

 

手術は、入院してすぐに行われた。

 

父の手術は2度目のこと。

 

1度目は20年前、そのときは心臓を。

 

今回の手術の日

「あのときも、こうやって一緒に病院で待っていたわね」

と母に言われた。

 

80才の母は、これからのことが心配でたまらない。

 

85才の父が、リハビリを頑張ったとはいえ、以前のように自力で歩行から何から、全てできるレベルまでの回復は難しいだろう。

 

加えて、父は痛みが非常に苦手。

 

20年前の心臓の手術後のリハビリを断固拒否し、お偉い医師・看護師さんまでもが病室に来て説得したが

「傷口が痛むから動かせない!」

と首を縦に振らず。

 

あれから20年経っての、今回の手術後の家族の負担が、多少なりとも増加するのは、目に見えている。

 

見えてはいるが、両親と同居している妹は、仕事が忙しい。

 

そして私も、隣の市に住んでいるとはいえ、すぐさま駆け付けられる距離でもない。

 

なので、母の心配もわかる。

 

しかしながら私は、父が85才の今まで、自分で何とか身の回りのことをしてこれたのは、御の字だと思っている。

 

『来るべきものが、とうとう来たな』

という感じ。

 

今の病院には3週間入院して、そのあとはリハビリができる病院に移る予定。

 

手術直後、父は看護師さんに

「リハビリを頑張ります!」

と言っていたが、ホント、今回は頑張ってもらわないとなぁ。

 

今後のことは、まだ何もわからないが、まずは肩の力をぬいて挑もうかと思っているしだいでございまする。

動き出すカギ

5年ぶりに団地の自治会で、会員同士の親睦会があった。

 

前日の準備には、猫の手も借りたい忙しさで、小6娘にも頼んだら

「私にできることがあれば・・でも私が行っても本当にいいの??」

と言いながら、OKの返事。

 

2人で会場に行ってみると、早速、買い出しを頼まれる。

 

娘と私と、もう1人の会員と3人で

「あれがいいか、これがいいか?」

と言いながら、近所のスーパーを2件ハシゴ。

 

そのあと、なんやかんやしていたら、気づいたら日は暮れて、残っていたのは私たちと、副会長の3人。

 

副会長は、会場の最終点検を、私と娘は、自治会の簡単なPRを模造紙に手書きで書く。

 

模造紙に手書きなんて、高校以来かな。

 

副会長と、私が、どうでもいい雑談をしながら、私が書いた字の横に、娘がイラストをチョコチョコ描いた。

 

翌日の本番は、大盛況。

 

来た方は、圧倒的にご高齢の方が多く、お互い初めましても多かったが、皆、ユーモアを交えて話して、あちこちでお喋りに花が咲いていた。

 

娘はお茶出し係になり、最後の片付けまでした。

 

片付けをしていると、何人もの会員の方から

「お手伝い、有り難うね!」

と言われ、俯いていた娘。

 

帰り道

「お茶だしの数が多くて、大変だったでしょう?」

と尋ねたら

「楽しかったよ!」

と、ニコリ。

 

最近の彼女の合言葉は

『私でできることがあれば、したい』

 

この言葉、彼女が、さらに動き出すカギになるだろうか。

小学校卒業

小6娘の卒業式があった。

 

「校長室で、1人で卒業証書もらうらしいよ」

と言ったら、それだけならと娘が行くと言い、2人で小学校へ。

 

校門には、紅白の紙の花でふちを飾られた『卒業式』の立て看板。

 

一応、娘に尋ねてみる。

「あそこで、写真撮る?」

速攻で断られた。

 

「やっぱりか。そうだよね」

「当たり前じゃん!」

2人で目を合わせて、フフッと笑った。

 

校内に1歩入ると、娘はマスクを目の下まで覆い、いつも通りに俯いてしまった。

 

校長室で

「着てきたコートを脱いだら?」

と担任の先生に言われたが、脱ごうとはしなかった。

 

それから担任の先生から名前を呼ばれ、精一杯の返事をして、校長先生から証書を受け取った彼女に、私のできることは、大きな拍手を送ることだけ。

 

それで終わりかと思ったら、最後だからと誰もいない教室へ促される。

 

彼女の後ろ姿からは

『もう帰りたい』

『校長室で受け取れば終わりじゃないの??』

というオーラをビシビシ感じる。

 

教室の椅子に座った娘の周りをぐるりと、校長、教頭、担任、副担任、隣のクラスの担任の先生方が集まってくださる。

 

そして先生1人1人から、娘にお祝いの言葉を、座っている娘の目の前に来て、かがんでくださるが、娘はさらに俯き、目線は全く合わない。

 

先生からの言葉が終わり、担任の先生から娘に

「何か感想はありますか?」

と言われるが、俯いたまま首を力なくふるのみ。

 

「最後に黒板の前で、先生たちと写真を撮りましょう」

と言われ、そこでコートを脱がされるが、目の下まで覆ったマスクは、頑として外さなかった娘。

 

「お母さんもご一緒に、お写真を」

と言われたが、帰りたいオーラが、傍らから、これでもかと放たれるのに耐えられず、ご辞退申し上げる。

 

「じゃあ、これで卒業式は終わりです」

と言われ、教室を出ようかと、ゆっくり大人たちが歩をすすめ

「卒業しても、また遊びに来てね」

「最後だから、教室の様子をみていってもいいよ」

と言う先生の声を背に、娘は1人で教室を出て行った。

 

階段を駆け下り、靴を履き替えると、ほんの少しの会釈を1~2度、先生方にして、足早に校門へ。

 

私は先生たちに

「お世話になりましたぁ」

「有難うございますぅ」

なんてことを言いながら、彼女を追いかける。

 

いつかきっと、彼女に、今日の大人たちの気持ちが、ちょっとはわかる日がくるだろう。

 

さて、これで、中3兄につづき、小6娘の卒業式2つが終わった。

 

大した時間でもない、大したこともしていないのに、なんだか随分と疲れてしまった・・なんて言い訳をつけて

「今日の夕食はマクドナルドだ~!」

と言ったら、となりを歩いていた娘から歓声が上がった。

 

「おやぁ??ついさっきまで負のオーラを出しまくっていたのは、どこのどなた様でしたっけねぇ??」

と言って娘をみたら、いたずらっぽく笑っていた。

諦めの悪い女

少し前から、マヨネーズを手作りしていた。

 

きっかけは、マヨネーズを使おうと思ったら、手元になかったから。

 

reysolharukei.hatenablog.com

 

手作りのマヨネーズは、確かに市販のものより味は劣った。

 

だが、油の量を減らせたり、何となく身体に良い気がして、私は気に入っていた。

 

その一方で、私以外の家族が、手作りマヨネーズに手を出していないのも知っていた。

 

それでも気にせず作り続けていたが、とうとう宣告が、小4息子から来た。

 

「あのさぁ、うちはマヨネーズを買うお金がないの?」

試合終了のゴングが、私の耳にハッキリ聞こえた。

「・・いえ、あります」

 

その日のうちに、市販のマヨネーズを買ってきた。

 

あのときゴングが聞こえたが、私が作るマヨネーズ料理には、手作りマヨネーズを入れてやろうと密かに思っている。

 

家族に不評の手作りマヨネーズを作り続けようとする未来の私に、何が待っているというのだろうか??

 

神のみぞ・・神くらいは知っていてほしい。