吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

入院、今昔物語

父の入院も、2週間目に突入。

 

自宅で骨折をして、救急で入った今の病院には3週間入院して、そこからリハビリをするために転院予定。

 

要は、今の病院には、あと1週間ほどしか居られない。

 

だが、転院先が、まだ見付からず。

 

父は、10年ほど前にガンの告知をされ、それ以来服用している薬を扱っている病院が、なかなかないことがネックのよう。

 

父の前回の長期入院は、20年以上前に遡る。

 

その頃、父は60代。

 

当時、父は入院先から、毎日、自宅に電話をかけてきた。

「あれが欲しいから持ってきて」

「今日の面会は誰が来るんだ?」

 

家族の面会は、毎日が当たり前。

 

挙句の果てに完全看護の病院で、面会に飽き足らず、夜の付き添いを家族に求める始末。

 

もちろん父の病室は、個室ではない。

 

4人部屋である。

 

もちろん当時の父の年齢は、3才ではない。

 

60才過ぎ。

 

結局、夜の付き添い役は、病院から職場が近いということで、私になった。

 

父のベッドの下の床に、ベッドとは名ばかりの担架のようなものに、毛布もなく横たわり、夜中に

「喉が渇いた」

「部屋が乾燥している」

「眠れないからラジオにイヤホンをさして渡せ」

という父の要望を実行する。

 

それでなくても狭い4人部屋で、夜中に見回りの看護師さんが来ると、私は起きて、どかなければならず。

 

翌朝は、そこから出勤。

 

父のわがままは、術後のリハビリも

「傷が痛いから、絶対にしない!」

と頑として首を縦に振らず。

 

ついには、お偉い医師と看護師までもが登場して、説得するが、それをも追い返す、とんでも患者であった。

 

20年経っての、今回の入院は、最初の1週間は1度も連絡をしてこなかった。

 

面会に行くと、目がようやく開いて、話す言葉は呂律がまわっておらず、聞き取れないほど。

 

2週目に入って、ようやくベッドを起こして、目もバッチリ開いて、普通に話せるように。

 

だが、あれだけ好きだったテレビやラジオを

「別に見なくて(聴かなくて)いいや」

 

20年前、あれだけ毎日家族にぶつけ続けた要望も、全くなし。

 

売店で雑誌を買ってくると、最初は遠慮していたが

「お父さんのために買ってきたのよ」

と言うと、ちょっと嬉しそうに

「悪いねぇ、じゃあ、お言葉に甘えて読ませてもらうよ」

と手に取った。

 

「面会は、毎日来るのが当たり前だ」

と言った20年前のセリフも、今回は、なし。

 

毎日、かかってきた電話も、今や面会時に

「お母さんが、お父さんからのメール待ってるよ」

と言って、ようやく携帯を手に取る。

 

面会最後に、父が言う。

「リハビリ頑張るよ!」

 

「その言葉、20年前に聞きたかった」

というのを、かろうじて飲み込む。

 

『いつか自分も通る道』

を面会の帰り道、考える。