吾輩はズボラなるままに

16才、中2、小6の3児の母です。子ども全員、不登校&ニート歴5〜6年のベテラン。私たちは、明るく我が道を行くのだ!

共闘のビーフシチュー

少し前に、母から、牛の塊肉をもらっていた。

 

経済的理由という名の、ケチな私は、普段、肉といえば、豚こま肉しか買わない。

 

なので、牛の塊肉など、我が家では、滅多にお目にかかれない高級品である。

 

これで作る、ホロホロと柔らかくした肉の、ビーフシチューが子どもたちは大好物である。

 

ただ、塊肉がホロホロになるには、コトコト煮込まなくてはならない。

 

圧力鍋がない我が家では、どうしても時間がかかるので、私の「忙しい」を理由に、塊肉は、しばらく冷凍庫の中に鎮座したままだった。

 

その間、肉が大好物の、17才と12才の息子から「あの肉は、いつ使うのか?」と聞かれたが、曖昧な答えで濁していた。

 

とうとう業を煮やしたのだろう。17才の息子が「あの肉の調理って難しいの?」と、尋ねてきた。

 

「ただただ、柔らかくなるまで長時間煮込む」と話すと「じゃあ、俺がやる」と言うので、頼むことにした。

 

弱火ですること、鍋の中の水がなくならないようにすること、柔らかくなったら完成。

 

朝、それだけ言って、出勤した。

 

そうは言っても「面倒くさくなった」と、やらないのではないか?と思いながら、あまり期待はしなかった。

 

さて、帰宅すると、まだ鍋の火は消えていなかった。

 

「いつから煮てるの?」と聞くと、かれこれ5時間以上と。

 

「柔らかくなったら」の程度が分からなかったらしい。

 

箸でも切れるほどに、柔らかくなった肉は、17才息子と、12才息子も加わって、5時間超、代わる代わるに鍋をのぞき、灰汁も取ってくれていたとのこと。

 

「灰汁を取ってくれとは頼まなかったのに、よく知っていたね」と言うと、2人ともに「まぁな」「なんとなく」とぶっきらぼう。

 

普段は、あまり話しをしない2人が、互いの大好物の肉、ビーフシチューのために手を組んだのかと思うと、なんとなく可笑しい。

 

早くビーフシチューを作ってあげなきゃ…と思いつつ、寝転がったり、ダラダラしていた私が、ようよう重い腰を上げて、ビーフシチューにとりかかったのは、22時。

 

人参、ジャガイモ、玉ねぎを、ザクザク切って、柔らかくなった肉とともに、我が家で1番大きな鍋に放り込み、煮込んで、ルーを入れた。

 

肉の煮込み担当だった息子たちに、味見を頼み、微調整をして、完成したのは23時過ぎていた。

 

皆が、就寝&起床時間がバラバラな我が家では、この時間に料理が完成しても、早速に手を伸ばす人がいる。

 

案の定、翌朝の鍋の中は、だいぶなくなっていた。

 

私も、朝ごはんとして食べた。

 

息子2人が共闘した肉で作った、ビーフシチューは、過去イチ、美味しかった。

推し活する人の気持ちは、こういうもの?

同じ話でも、聞く人によって、その感想は様々で。

 

先日、ひょんなことから、ほぼ自給自足生活をしているという人に出会った。

 

その人は、その生活について

「私は、皆の言う『普通』の生活ができないだけです」

「でも、この生活が、自分にはとても合っている」

そう俯き加減で、とつとつと話した。

 

早くから自立をして、紆余曲折ありながら、人里離れた場所で田畑を耕し、狩猟免許も取得したそう。 

 

私は、その生き方が『たくましいなぁ』『カッコいいなぁ』と感嘆するばかり。

 

その人の話を、前のめりになって聞いた。

 

何だか『情熱大陸』とかのドキュメンタリー番組に取り上げられる話だと感じたから。

 

「世間の普通とズレ始めたのは、幼稚園から始まった不登校(不登園)だった」

と話したことも、私がその人に興味をそそられる、まず始まりだった。

 

その人と別れた後、興奮状態の私は、この話を誰かにしたくて、帰宅して、不登校歴6年の中2の娘に早速話した。

 

娘は、私と同様の反応をして

「なんて素晴らしい生き方!カッコいい!」

と、2人で興奮した。

 

それに気をよくした私は、翌日、また別の人にも話した。

 

しかし、相手は、座っている椅子の背もたれに、背中をピタリとつけたまま、少し不思議そうな顔。

 

私の話が終わると、相手は、大きく深呼吸をして言った。

「なんて可哀想な人」

 

思っていた反応と違って、私は少々戸惑う。

 

続けて

「親は、いったい何をしていたの?」

不登校がこじれて、そういう生活をしなくてはならなくなったのでしょう?」

「もし自分の子どもや近親者が、こんな状態なら、私は耐えられない!」

 

「…あぁ、そうか。そうだよね。うん。なるほど」

私は、そう返すのが精一杯。

 

常々、この世は多種多様な考えがあって、しかるべき。

自分の考えとは、真反対の意見があることが当たり前。

 

そう思っていたのに。

子どもにも、ことあるごとに偉そうに話していたのに、私は、この反応に、とても戸惑ってガッカリした。

 

でも時間が経って、思った。

 

今回のことは、きっと、大ファンの推しのことを話したい人と、興味ない話を聞かされた人が、こんな感じなんだろう。

 

そう思うと、興味ない話を聞いてくれたことに感謝である。

 

推しの魅力は、分かってくれる人と分かち合おうと、少しだけ推し活する人の気持ちがわかったような気がした。

カレーと昼寝で、何だか幸せ

新年2日目、大晦日に頑張って作ったお節は、ほぼない。

 

実家のお節は、正月1週間くらいはもつほど、大量に作ってあった。

 

母曰く

「お節は、正月に主婦が台所に立たなくて済むためのものだから、大量に作るのよ」

 

大量にあったお節だったが、私はそれに飽きたという感覚はなかった。

 

母のお節は、伝統的なものではなく、家族の好物を詰め込んだものだったせいなのか。

 

私もそれを踏襲していたが、年々、お節の量は減り、今に至る。

 

それでも去年は、正月三が日までお節はあって、それを肴に1日中、私は1人で呑んでいたっけ。

 

さて冷蔵庫を開けると、大晦日夜には食材でギッチリ詰められていたはずが、今やスカスカ。

 

でも、野菜室と冷凍庫には、大晦日に買った肉や野菜はたっぷりある。

 

要は、すぐに食べられる調理済みのものがないという訳で。

 

例年、私の正月は、ひきこもりの寝正月と決めている。

 

それでも、何か食べたいし、ちょっとだけの調理スイッチが、今は入っている。

 

このスイッチが入っているうちに、何か作ろうと考えいると、CMのコピーが頭に浮かぶ

『お節に飽きたら、カレーもね』

 

これだ。

 

ニート&不登校の子どもも、私同様に家にいるので、大量に作ろう。

 

まずは、せっかくの調理スイッチが切れぬよう、台所には携帯を置いて、動画が見ながらできるように。

 

それから、家で1番の大きな鍋を出す。

 

お次は人参4本、玉ねぎ5つ、ジャガイモ6つと、何故か尻上がりに数が増える野菜をザクザク切る。

 

晦日に買ってきた大量の肉もご登場で、野菜とともに大鍋で炒める。

 

この手の料理は、鍋に具材を入れれば、後は待つのみ。

 

やれやれと、台所にいつもある折りたたみ椅子を出して座り、携帯の動画をみる。

 

知人から勧められた動画を途中までみて、探偵もの連続ドラマも途中まで。

 

居間の子どもたちも、各々がのんびり動画をみている。

 

動画を中途半端にあれこれみているうちに、出来上がったカレーを食べたら眠くなって、最幸の昼寝へ。

 

自然に目が覚めたときは、とっぷり日が暮れていた。

 

寝過ぎた昼寝から起き出し、台所に向かうと、鍋のなかのカレーは半分になっていた。

 

寝ているうちに子どもたちが、食べてくれたんだな。

 

寝起きのうすぼんやりした頭だったからなのか。

 

なんてことないそんなことが、たかだかそんなことが、何だか幸せだと、じんわり感じた正月2日目。

2025 大晦日

お節の買い物でもしようかと重い腰を上げたのは、大晦日の昼前。

 

中2娘も、一緒に行ってくれるという。

 

私が仕事を始めてからは、一緒に買い物に行く機会が減ってしまったが、娘は私の買い物のパートナーなのだ。

 

まずは、自宅から最も近いスーパーで、普段使いの調味料や、冷凍食品、缶詰類を。

 

私の正月は『寝正月』と決めているので、そのためには少なくなった普段の物も買わねばなるまい。

 

そこから、別のスーパーを周る。

 

我が家のお節に『慣習』などというものはない。

 

毎年、そのときの予算と、行った先のスーパーの品揃え、そして購入者の気分次第。

「これ、買ったほうがいいかな?」

「あっ、欲しいかも」

「これは?」

「値段高すぎ!いいよ〜買わなくて」

 

カートを押してくれる娘と、そのカゴにポンポン品物を入れる私。

 

迷うと娘に尋ねるという、いつものスタイルで母娘の買い物は進む。

 

ふと、正月用の卵焼きが目に入り、隣りの娘に言う。

「見て!あの卵焼き500円もするよ〜!ねぇ、あなたが卵焼きを焼いてくれない?」

 

普段は、まったく見せないが、娘の料理のスキルは案外と高い。

 

特に、だし巻き卵に関しては、非常にきれいな黄色のものを焼く。

 

「買い物だけで、それ以上はごめんだ」

と拒絶されるかと思いきや、二つ返事でOKがでた。

 

調子に乗った私は、隣の伊達巻を指差して

「あれも、けっこう簡単に作れるらしいのよ。私は作ったことないんだけど、ハンペンと卵混ぜて焼けばいいらしく…」

と言ってから、携帯でそのレシピを探して、娘にみせる。

 

娘も、レシピ画面を覗き込むと

「あぁ、じゃあこれも作るよ」

 

「え〜!?いいのぉ?やだぁ、あなたスゴ〜イ!」

いいのぉ?と言いながら、私の足は既にハンペンコーナーへ向かっていた。

 

ハンペンをカゴに入れると、娘が

「私、いつもは全然料理しないけど、兄弟3人の中じゃ、1番上手いんだから!」

と、胸をはった。

 

普段は自らを、なかなか肯定しない娘が珍しい。

 

「そうよ、その通りよ。能ある鷹は爪を隠すっていうけど、あなたは隠しすぎなんだから!」

と私が返すと、フフッと娘も笑った。

 

それから、大量の荷物を自宅に持ち帰り、すぐに2人で台所へ。

 

あれやこれやをしながら、もちろん調理人の特権である、味見と称した『つまみ食い』も怠らない。

「これ何とかいい味になったよ、ちょっと食べてみて」

「どれどれ…あっ美味しい!」

「だよね、だよね!ほら、もう1つ」

 

娘は、約束通りにいつものきれいな卵焼きと、レシピとにらめっこしながら伊達巻を焼き、さらには鶏肉のチャーシュー、年越しそば用の汁も作ってくれた。

 

そうして、重箱に詰め終わった頃には夜になっていた。

 

いい匂いに誘われたのか、自室と称した納戸から、小6息子が台所にやってきて、ヒョイヒョイとつまみ食いを。

 

ついでに、台所コンロにも目が向き、娘が作った汁の鍋の蓋を開け「美味そう!」と早速にうどんを茹でる準備を始めた。

 

それを横目に、私は、詰めた重箱を冷蔵庫におさめるため、最後の力を振り絞って、スペース確保のために冷蔵庫内を整理する。

 

ようよう終わり、居間のテーブルに座り込むと、紅白歌合戦がやっていた。

 

そこへ、年越しうどんを器にいれてきた息子と、年越しそばをいれてきた娘が加わり、2人はすすり、私はへたり込みながら、紅白を皆でみた。

 

「この歌知ってる?私があなた達くらいのとき、流行ってさ」

「あぁ、サビは聴いたことあるかも〜」

「この人、お母さんより年上?えぇ~見えない!」

「若いよね〜!声量も凄いよ」

 

娘が作った野菜たっぷりの汁は、大きめの鍋で作ったのに、娘と息子の年越しそばとうどんの分でなくなってしまった。

 

特に、野菜嫌いの息子が「(汁が)美味しい、美味しい」と、どんぶりで何杯も食べたため。

 

「(既に寝てしまった16才兄には)明日、また汁を作るよ」

と言った娘の顔を見ながら、私は了解!サンキュー!のサインの手をあげるのが精一杯で、ヨロヨロと寝室へ向かった。

 

背中からは、楽しそうな姉弟の声がした。

 

これが、2025年の大晦日のこと。

女3人忘年会

人のお宅に招かれるなんて、いつ以来だろう。

 

その日、私は緊張と浮かれ気分のなか、ひとり電車に揺られていた。

 

遡ること2週間前、小6息子が通うフリースクールで知り合った保護者Aさんから

「私の家に、おいでよ」

とお誘いをうけた。

 

なんでも、ご主人がその日は泊まりで出掛けているので、帰ってこないのだと。

 

お誘いを受けたのは、私だけでなく、同じくフリースクールで知り合った保護者Bさんも一緒に。

 

AさんとBさんは、何度も2人で旅行へ行くような仲なので、もちろんAさん宅へもBさんは幾度も行っている。

 

実は、おふたりと私は、半年前にも一緒に外で呑んだことがある。

 

さて、Aさん宅にお邪魔するのに、何か手土産を用意しようかと思っていたが、Bさんから

「Aさんは、料理好きだし、下手に何か持っていっても、かえって困るというのよ」

 

何度もAさん宅へ行った経験によるものらしい。

 

さらに、Aさんは酒をあまり呑まないので、酒呑みのBさんと私の分の缶ビールと、千円代のワインと日本酒だけを持って行くことに。

 

Aさん宅に着くと、既にテーブルには料理が並べられていた。

 

サラダに、パンとクラッカー、その上にのせるディップ的なもの数種、お手製の煮豚、小松菜の漬物。

「2日連続、知人から大根をもらっちゃったの!」

と、手羽と大根の煮物に、柚子と大根の漬物も。

 

早速、持ってきたお酒とともに、女3人が揃って箸をのばした。

 

「このディップ、美味しい!」

「そうでしょ?でもね簡単なのよ!クリームチーズとツナを混ぜただけ!あっ、あと黒胡椒も」

「この牡蠣のオイル漬け!私の大好物!いつも作ってくれるの!」

「当たり前よ〜作るわよ!あのね、牡蠣も美味しいけど、このオイルが絶品!パンにつけて食べて!食べて!」

 

目の前の食べ物のことで、まず盛り上がり、もうそこまでくると緊張も溶ける。

 

変な謙遜もなく、おべんちゃらもない2人の前では、言葉の裏を読まなくていい。

 

アルコールも手伝って、気づけば、私は日頃の愚痴を話していた。

 

Aさん、Bさんともに、私より少し年上なこともあってだろうか。

 

半年前に外で呑んだときも、この2人を前に私は、末っ子にでもなったように甘えて、2人の姉に普段は言わない心のうちを話してしまう。

 

女の愚痴は、聞いてほしいだけだから、2人の姉は黙って聞いてくれた。

 

2人の姉も、私ほどではないが、ポロポロと心のうちを話す。

 

酒も食もすすむ…いや、気付くと箸が動いているのは、私だけ。

 

その大食漢ぶりを謝りつつ、姉たちの「気にしないで、食べて食べて」の言葉に「あら、すみません」と、また箸を動かす。

 

そうやって、夕暮れに始まった会がお開きになったのは、22時過ぎ。

 

ここまで延びたのは、ひとえに私の箸が止まらなかったためである。

 

一緒にきたBさんが、随分前からお酒がまわったようで、あくびをしていたのを知っていたのに…。

 

久しぶりに沢山呑んで、食べて、喋って、甘えてしまい、帰りの電車で、我が脳内でひとり反省会をして自分の失態に叫びそうになったが、すぐ「まぁいいか」と無事に自宅に帰り着くことだけを考えた。

 

自宅に戻り、服を着替えて化粧をおとす。

 

以前なら、台所の山となった洗い物、夜風に揺れる干しっぱなしの洗濯物をしまったりがあったけれど、いつのまにか子どもたちがしてくれている。

 

だから、酔っぱらいは、心置きなく布団にダイブした。

中2娘、電車デビュー

不登校歴6年の中2娘が、その映画が観たいと言い出したたのは、先月のこと。

 

この夏から1人で鑑賞するようになったが、1人で映画館へ行くことはできないので、私の送迎は必須。

 

しかしここのところ私が平日も週末も、何だかんだと忙しくて、映画は先送りとなっていた。

 

今年の仕事納めとなった夜、寝転がっている私の顔を娘が覗き込んできて

「あの映画、もう1日に1回しか上映しなくなっちゃったんだ」

 

ありゃ、しまった。

 

それでなくてもこの時期は、新作映画が続々で、以前からの映画は上映回数が減ってしまうのは必然。

「あぁごめ〜ん!明日、連れてってあげるからね」

と返すと、娘は

「私、1人で行くから(送迎は)いいよ」

 

驚いて、寝転がっていた私は跳ね起き

「え??いや、上映時間遅いし危ないよ。連れていってあげるって!え?1人で電車乗れる?えっと…いやいや、送ってあげるって〜」

と、反対声明を繰り出す。

 

最初、娘は遠慮しているのかと思ったが、娘は頑として1人で行くことを譲らない。

 

反対声明を1度飲み込む。

 

待て待て、映画館は隣りの駅の真ん前だ。

 

切符は、私の交通系ICカードを渡せばいい。

 

映画館は、これまで数え切れぬほどに行ったところ。

 

娘は、中2だぞ。

 

しかし、上映時間が夕方からで終わるのは夜だし、年末はそれでなくても犯罪が…。

 

泳ぎまくっている視線をつと前に戻すと、慌てる過保護な親の様子を、娘は冷静にまっすぐに見ていた。

 

そうか。娘はまた1歩、階段を上がろうとしているのか。

 

不登校になってから、赤子の後追いのごとく、私の後をどこまでもどこまでも追っていた娘。

「小学生になってまで、何故、こんなにまとわりつくの??」

と、私は頭を抱えた時期がだいぶあった。

 

そうか、そうか。

階段を1人で上がろうとする娘を、今度は必死に私が後を追っかけるなんて滑稽だ。

 

そう思ったら、了承するしかない。

 

それでも、当日の出掛ける直前まで私は

「映画館着いたら、できたら…LINEしてね」

「帰るときは、これは…LINEして欲しい」

「困ったら、すぐ連絡してよ」

「公共のトイレ、あそこは意外と危ないからね」

「映画チケットの取り方わかる?」

と、ウザい親スイッチ全開。

 

そのいちいちを、娘は最後まで嫌がらずに聞いてくれ、そうして日が暮れた寒い夕方、娘を送り出した。

 

小6の弟も、姉の初めてのちょっとだけの遠出に心配したのか一緒に玄関から出てきて、私の隣で団地の共用廊下から下をみた。

 

ここからだと団地のエレベーターからおりて、外へ行く姿が見える。

 

娘は、1度私たちのいる方を見上げて軽く手を振っただけで、団地の外へと足早に出て行った。

 

私とともに息子も、暗闇の中の娘の背中へ見えなくなるまで手を振った。

 

そこから15分後、娘は「着いたよ」と、そこから2時間半後に「これから帰る」とLINEをくれた。

 

しばらくして満足そうな娘の顔が玄関に現れて、ようやく安堵。

 

そうなんだ、フリースクールへ1人で通う小6息子のときも、アルバイトに1人で向かうときの16才息子のときも、いつも最初はこうやって私は慌てて心配する。

 

2度目以降は、慌ても心配もしないのになぁ。

まったく薄情な親だこと。

 

さてこの日は、忙しくてできなかった数日遅れのクリスマスだか、年末だかのお祝い。

 

テーブルに、子どもたちの好物を沢山並べた。

 

食べている子どもを見ながら、思い出した。

16才息子と中2娘が、今年は1人電車デビューできたんだ。

 

これで、数年前からフリースクールへ1人で通う小6息子も含め、子ども3人全員が1人で電車に乗れたことになる。

 

良かった。

良かった年だ。

早寝早起きの訳

不登校児あるあるの中で『昼夜逆転』は、あるある中のあるある。

 

同時にこれは、不登校保護者のお悩みトップ3に入る、あるある中のあるある。

 

16才息子も、この昼夜逆転になって、だいぶ経つ。

 

私も、最初は悩んだ。

 

悩んでいたときに参加した、不登校保護者の会で、こんな話が出た。

「やりたいことがある、やらねばならないことがあるから、たいていの人は、朝(決まった時間)に起きるんです」

「皆さんも、休みの日に起きる時間が遅くなったりしませんか?」

 

なるほど。

学校に行かないのなら、朝起きる必要ないわな。

 

そう言われて腑に落ちてから、息子の起床・就寝時間が気にならなくなった。

 

一旦気にならなくなると、時間どころか、寝る場所も気にならなくなる。

 

居間の床で寝ていようが、ソファで寝ていようが。

 

布団の1枚でも掛けていれば、どこで寝ようが、いつ寝ようが。

 

これも、不登校あるあるなのだが、不登校児は外に出ないので、菌をもらうことが少ない。

結果、あまり病気にならない(もちろん個人差あり)

 

仮に風邪などをひいたところで、治すための時間は、たっぷりある。

 

そんな訳で、大手を振って昼夜逆転ができるようになった息子の起床・就寝時間は、毎日バラバラになった。

 

2度寝、3度寝は当たり前、徹夜しようが、24時間睡眠しようが、無問題。

 

そんな息子が、最近、私より少し前に寝て、私よりだいぶ早く起きていることに気づいた。

 

私としては、そういう時間割になったのかと、気にもとめていなかった。

 

だが昨夜、何の気なしに

「もう寝るの?最近、朝も早いよね。早寝早起きなんて偉すぎ〜!私にゃムリだね〜」

と、寝室に向かう息子の背中に、冗談めかして言った。

 

そう言われた息子は、振り返り、ちょっと面倒くさそうに

「だって、洗濯を朝7時にしないといけないからなぁ」

 

息子に、洗濯を頼んだ覚えはない。

 

私が洗濯を頼んだのは、夫である。

 

その夫も、ほぼ毎日していたが、息子がすることが多くなって、最近はしていない。

 

でも、息子がしていないときはしてくれる。

 

そのことを話すと

「いや、あれ(父の洗濯方法)では、洗濯物が乾かないんだよ」

「それに、お母さんが朝7時前は近所迷惑だから、洗濯機をまわすな!って言うから、7時に合わせて早く起きてんだよ」

と、少し口を尖らせた。

 

確かに、朝3時にまわしたことがあって、古い集合住宅で、それほど静かにまわってくれない我が家の洗濯機のこと、注意はした。

 

それに、朝7時というのは、洗濯開始必須時刻のことではない。

 

しかし、息子の答えは

「7時に始めなきゃ、今の時期は乾かないんだよ」

 

そういえば、息子は『洗濯物は、外干しすべし』という、こだわりをもっている。

 

要は、息子は洗濯が好きなのだ。

 

それを言うと、16才男子は真っ向から否定して洗濯をしなくなるかも…なので、言わぬが花。

 

『やりたいことがある、やらねばならないことがあるから、たいていの人は、朝に起きるんです』

なるほどなぁ。

あのときの言葉の答え合わせが、数年かけてできた。

 

そういえば、昨年亡くなった実父も、洗濯が好きで、外干し必須。

 

あまりに早い時間に洗濯機を回すから、よく母に叱られて

「◯時前には、洗濯機は回さないでちょうだい!!」

って、言われてたっけ。

 

これは父から孫へ、受け継がれし血…それとも…??

 

洗濯する息子の背後に白い影??いやいや、見えませんてぇぇぇ。