CJ、トットちゃんを読む
私がお願いして始まった、お隣の外国人の奥様とのマンツーマン英語教室も、早いもので4ヶ月ほど経った。
お隣さんは、ご夫婦で外国籍の方。
ご主人は日本語が堪能だが、奥様は日本語はまったく。
『外国語を習うのに、先生が日本語が話せない方が上達する』
なんてことを、どこからか聞いていたので、これ幸いと、奥様の方にお願いをした。
だが話は、そう上手くはいかない。
なんたって、未だ私の英語レベルは、開始前と同じ低空飛行のまま。
教えてもらう単語や、文章などは、華麗に右から左へ流れ、我が脳にとどまることをしらず。
老化のせいにしたいが、それにしても…だ。
英会話教室は、特に教科書というものはない。
奥様との会話の中から分からないことを聞いたりして、授業は進められてきた。
ところが、最近
『このままでは、コイツの英語力は伸びん!』
と、奥様も気付いたのか、教科書が登場した。
その教科書というのが、英訳された『窓際のトットちゃん』
これを、万年低空飛行の私が読むことになった。
この本は、日本語が堪能なご主人が、日本語を学ぶキッカケになった本。
ちなみに、ご主人の現在の愛読書は、大江健三郎氏とのこと。
「面白いんですよ」
と日本語で書かれた、大江氏の本を、目を輝かせてご主人は私の前に出された。
出されたところで、おそらく生粋の日本人のはずの私だが、ノーベル賞受賞者ということ以外、かの方のことは知らないので愛想笑いが精一杯。
さて、話しを戻して。
このたび私の教科書となった『窓際のトットちゃん』は、小学生のときに読んで以来。
もちろん、日本語で。
『全く内容を知らない本より、私が少しでも知っている本が良かろう』
と、ご夫婦で教科書に選んでくれたらしい。
そんな数十年ぶりに、英語となって、私の前に現れたトットちゃん。
列車の教室に憧れたっけ。
小林先生、あんな先生いたらなぁと羨ましかったな。
そんな淡く甘酸っぱい物語を思い出しつつ、読み進めるはずが、蓋をあけると、たった1行読むのさえ四苦八苦の七転八倒。
ピリオドまでの1文を、まず朗読し、それから最初に戻って、意味を1つずつ解読していく。
「えっと…この she は、トットちゃんよね?」
「えっ?違う?あぁ、お母さん?いや、先生か?」
「この単語の意味は?」
「ようするに、トットちゃんは…」
独り言の日本語をブツブツ言った後
「ここ分からないです!」
「ここは、こういう意味で合ってます?」
と拙い英語を、奥様に向かって投げ掛ける。
そんなんだから、1ページ読むのに30分以上かかる始末。
物語は、序盤も序盤、トットちゃんが、ようやく転校初日まできたところ。
終わりは、まったく見えぬほどに、果てしなく先。
奥様は
「あと5ヶ月くらいで読み終えるようにしましょう!あなたなら、できるわ!」
と言ってくれるが
「あと、5年の間違いですよ」
と訂正しておいた。
毎回、教室が終わると、どっと疲れる。
しかし、たった1文でも理解できると
「あぁ、そういうことか」
「あぁ、そういえば、昔に読んだとき、そんなフレーズがあったな」
なんて一丁前の達成感と満足感もある。
1ページに30分かかる生徒相手に、忍耐強く笑顔でつきあってくれる先生に感謝しつつ、CJ(中年女子)の手習いは、今日もつづく。