吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

pixy!!

スポーツを観戦していると、美を競うものでなくても、選手の姿・技術に『美しい』と感じる、見惚れることがあるだろう。


私が好きなサッカーも そう。


サッカーを『美しい』と 初めてそう思わせてくれたのが、ピクシー(妖精)という愛称の選手だった。


ピクシーは、サッカー好きなら誰もが1度は聞いたことのある 元 世界的名選手。


だいぶ長いこと、日本でプレイをしてくれたお蔭で、その雄姿を拝むことができたわけで。


ただ、ピクシーは私の推しのレイソルではなく、敵のチームにいたのが残念な点であった。


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初めて彼を見たのは、レイソルのホームでの試合。


当時のレイソルのホームグラウンドは、今以上に ピッチと応戦席がものすごく近い、観客も1万人超入れば満員なるほど こじんまりとしていた。


それが応援するには、選手と一体感になれて ちょうどいいとサポーターの自慢。


しかし、見方を変えれば、グラウンドが こじんまり しすぎて相手のサポーターに失笑をかっていたというのも事実。


そんなスタジアムに相手チームとして現れたのが、ピクシー。


まだ、来日して1~2年目の30才前後だったか。


選手としては円熟期を迎えつつあった、素晴らしい時期。


私は、まだサッカーを観始めて間もない頃。


開始の笛が鳴った途端、周りの選手が、必死に走り、ボールを取ろうと 取られまいと身体をぶつけあい、応援の声が響く。


しかし、彼だけ サッカー選手ではなく バレエダンサーだった。


彼が いくつかバレエのステップを踏むかのように動くと、ボールを奪おうとした我がレイソル選手が 操り人形のごとく滑って倒れる。


皆が目を外していた場所から、急にボールのある舞台中央に出てきてたかと思えば、とんでもないパスを こともなげに出す。


ボールが ゴール内に吸い込まれる様は、ボールにピアノ線がついていたかのよう。


彼がボールを持つと、私の耳に白鳥の湖が、くるみわり人形の音楽が流れる。


何て美しいのだろう。


サッカーって、美しいスポーツなんだな。


あの頃、有名外国籍選手が あちこちのチームにとっかえひっかえ来ていたが、彼のプレイの衝撃は別格だった。


まだまだ、井の中の蛙だった選手と観客に「これが、世界だ」と突き付けられたような。


そして、監督になっても、妖精だった。


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そのピクシーが、祖国の選りすぐりを連れて、今夜 日本に帰ってくる。


井の中の蛙は、少し井の中から出られるだろうか。


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不登校児が思う 授業参観

小4の娘の担任の先生から電話があった。


娘が登校できそうな行事などがあると 、電話をかけてくれる。


それで 娘が登校することは ほぼないのだが、それでも連絡をくれるのは 有り難い。


今回の電話は「授業参観があるので、登校してみてはどうか」というもの。


電話を切って、娘に、そのことを伝えた。


すると娘は
「授業参観・・必要??」
首を少し傾げながら、ちょっと困ったように言った。


私は、その言葉の意味が分からなくて黙っていたら、娘が
「だって、お母さん、家で 毎日ず~っと私のこと見ているよね。また、私のこと見る必要ある??」


あぁ・・そういうことか。


確かに。


担任の先生は
『少しでも登校してほしい、参観日なら母親もいるし心強いだろう』
『なんなら、保護者と一緒に、授業を後ろで見ていてもいい 』
そんな意味合いで 連絡をくれたのだろう。


だが、本来の授業参観は、親が学校での 子どもの姿を見にくるもの。


しかし
『現在、毎日朝から晩まで傍で見て十二分知っている私を、母親のあなたは 場所を変えてまで見たい??見る必要ある??』
というのが、娘の言葉の真意。


それが分かって、私は笑ってしまった。


確かにそうだ。


登校しているお子さんなら、平日は学校にいる時間が長いから 、その 親の知らない時間の姿を見ようと思うが、我が家は毎日が日曜日で、毎日が夏休み


夏休み中に開催する 授業参観をみたい親は、そうは いないだろう。


「それも、そうね!そうだ、そうだ!」
と笑いながら返事をする私を、娘は きょとんとしながら
「そういうことでしょ??そんなに面白い?」
と、私をみていた。


授業参観をそういう側面で見られる日が来るなんて!スゴイ!!面白い!!


分かるかしら?この感覚。


きっと、眉をひそめる人も多いだろう。


でも、登校拒否児がいなかったら、たぶん一生分からなかった感覚。


ホント、不登校は 新しい感覚が、視野が、広がる、広がる。


ウチの子、面白いよ!!

何度も観た映画は

「この映画を、何度も観た!」と言われたら、たいてい その映画は自発的に観たものであり、すなわち その人は その映画が好き。


そういう結論に至るだろう。


だが、私は違うのだ。


「何度も観た映画は なにか?」と尋ねられたら、私は『トップガン』と答える。

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トップガンを、私は今までに7~8回観た。


それも15~20才くらいの間に、7~8回。


しかし、そのうちの1度として 自発的に観たことがない。


私の好きな映画は、派手なアクションや暴力シーンがなく、ハッピーエンドで終わるもの。


その点ではトップガンは嫌いではないし、好きな部類だ。


嫌いではないが、トップガンがすごく好きなわけでもない。


そんな立ち位置の映画だったトップガンを 何故か、15~20才の間『観なければならないループ』に 私は はまってしまっていた。


『観なければならないループ』というのは、学校の映画鑑賞会であったり、遊びに行った友だちの家であったり、修学旅行のバスの中でだったり、盆暮れの親戚の家だったり・・。


ことあるごとに、何故か そこには『トップガン』が鎮座。


確かに、当時 大ヒットした映画ではあった。


そのために、トップガンが好きな人が多かった、トムクルーズも売り出し 真っ最中って感じだったし・・そんな理由もあるだろうか。


別に文句が言いたいわけではない。


何というか、あの5年間の トップガン出現率の異様な高さは 何だったのだろうかと、今でもふと思うくらいで。


あれだけ観たトップガンだったが、残念ながら、その後 私がトムクルーズのファンになることもなく、映画関係の仕事に就くこともなく、飛行機オタクになったわけでもなく、パイロットの夫を持ったわけでもなく。


しいていえば、 自宅の 近所に自衛隊の基地がある。


そこの隊員が基地からサングラスをかけてオートバイで出ると、海岸線を疾走・・ではなく、迷彩服に眼鏡姿で 田舎道を自転車で走っているのを見かける。


トップガンと私の現在の関係性は、そんなもので。


でも、たまに トップガンの あの音楽がラジオから流れたりすると、思わず空を見上げて トムクルーズパイロット姿を思い出し、私の学生時代も思い出し、甘酸っぱくなるわけで。

48年目の素麺の真実

今週のお題「そうめん」

 

lingaiziyrk.hatenablog.com

 

拝見したブログに『素麺に 缶詰のミカンを一緒に入れて食べる』という記事があり、雷に打たれるほどの衝撃を受けた。

 

私は、素麺と一緒に果物を入れて食べたことがない。

 

実際に見たこともない。

 

しかし、素麺には 果物が入っているということは知っている。

 

何故 知っているのかと言えば、雑誌やテレビのCMで見たから。

 

初めて見たのは、小学生の頃だったか。

 

雑誌の広告ページに 素麺と一緒に缶詰のミカン、サクランボが盛り付けてあった。

 

それをみて親に尋ねた

「何故、あの素麺には みかんとサクランボが入っているの?」

 

親の答えは

「あれは、素麺の写真がキレイに映るよう、特別にそうしているだけ」

「飾りだから、あれは 食べないのよ」

 

そう信じて、数十年。

 

しかし、しかし、それが事実ではなかったことが、今日 初めて分かった!!

 

たかが素麺。だから、どうした。

 

だけど、されど、素麺みかん。

 

分かっている。

 

知っている人には、ホントどうでもいい話なのだ。

 

だがしかし、人生48年目にして分かった、この素麺の真実・発見は 千葉の鳥など比べ物にならぬ。

 

jp.rwwiki.cn

 

この歴史的発見を、我が親にも話さなくてはと 連絡をしたら

「あら?そうなの?それより コロナのワクチン接種が・・・」

 

あぁ・・ワクチン接種も大事だが、今は素麺なんだ。

 

あぁ・・この興奮を誰かわかってはくれないか。

 

あぁ・・日本は広い、日本の食の多様なことよ。

 

ただ悲しいかな、興奮はしているが 食べ物に対して非常に保守的な私は、素麺とみかんを一緒に食べる勇気が、まだない。

不登校教に入信中

数日前から、中1息子の起床・就寝時間が変わった。

 

今年に入ってから 就寝時間がどんどん遅くなり、果ては5~6時に就寝して、14~15時に起床。

 

完全なる昼夜逆転生活。

 

それが、今は 就寝時間が14~15時、起床時間が22~23時。

 

太陽が出ている時間に起きているという、世間の『普通』に近付いている・・のか??

 

それまで、寝ていて食べられなかった朝食を、下の兄弟とともに食べられるようになって喜ばしいが、今度は一緒に食べていた夕食が 食べられない。

 

あれ?世間の『普通』に近付いている・・のかぁ??

 

まぁいいか。

 

息子は「誰もいない深夜・早朝の時間が1番楽しい」と。

 

起きている間は、妹弟と3人で寝転んで、一緒に同じゲームをして、ワイワイ騒いで、喧嘩をして、歌を歌って、おかずの取り合いをして。

 

1人の時間も、誰かとの時間も楽しんでいるように見える。

 

不登校になってすぐの頃は、登校しない我が子に呆れ、嘆き、怒っていた夫も『笑っていてくれればいい』と、今は分かってくれた。

 

息子の起床就寝時間がずれても、家族は誰も何も言わない。

 

以前と変わらず、家族の誰かが起きてきたら「おはよう」寝るときは「おやすみ」

 

でも、時々 ・・そう、ふと真夜中、私は知らず知らずのうちに 世間と隔離された山奥の怪しげな「不登校教」とかいう宗教団体に洗脳されているのではないかと 思ってしまって。

 

そうすると寝られずに 真夜中、不登校反対の声を思い出したり、SNSでみる。

 

あれこれ考え、でもやはり今のままが良かろうと思って寝る。

 

翌日、目をこすりながら「あんなこと考えずに、さっさと寝ればよかった」と後悔する。

 

だが、これは この先も続く 私のルーティンだろう。

 

 

こんな言葉に安心するのは、不登校教に入信しているのだろうかなぁ。

 

それでも、今は それでもいいか。

 

息子が、気持ちよさそうに眠っているし、下の妹弟もご飯を食べてゲームをしているから。

だから私はオムライスをつくる

不登校で家にいる 我が子3人にとって 食事は楽しみの1つ。


最近、リクエスト率の高いメニューは『オムライス』


オムライスのレシピを見ると、1人分に卵は2個以上使うように書いてあるが、我が家は1人分につき卵1個。


最初のうち、1人分 卵2個使っていたら、子ども3人が 各々3~4回おかわりをし続け20個近くの卵が消えた。


もちろん、1食で。


特段、小さいオムライスを作ったとは思わない。


1食で20個の卵が瞬時になくなるのを、圧巻と思うのは第3者だ。


当事者が感じるのは 圧巻ではなく 悲壮感。


両親の食い意地と大食いのDNAを、しっかと受け継いでいる故であり、文句も言えない。


だから、1人分のオムライスに卵は1個。


卵の消費量は 半端ないが、悪いことばかりでもない。


子ども達は、流行りの フワトロオムライス は好まない。


以前に、それっぽいものを作ったら卵のトロトロした部分を嫌がり、レンジで温めなおして 昔ながらのオムライスにしたくらいだ。


結果、私のオムライス作りのハードルは下がったわけで。


そして、もう1つの良い点。


ケチャップ味のご飯に、これでもかと野菜を入れても 野菜嫌いの子ども達が誰一人文句を言わずにぺろりと平らげること。


思うに、ケチャップで野菜の味を薄め、更に卵を覆うことにより影も薄くなるのではないかと。


だから、オムライスを作ると、母として 『子どもたちに野菜を与えた』『私はいい母親』という安堵感がある。


今日は オムライスを作った。


今夜は、殊更 よく眠れるような気がする。


私の『いい母親』ってのは、単純。

いいことと、悪いことと、疲れた 週末の話

己のズボラかげんを呪った。

 

5月の太陽をナメていた。

 

日焼け止めを忘れ、数十年ぶりに日焼けをした。

 

それというのも、週末、中1の息子が所属するボーイスカウトに付き添ったから。

 

ボーイスカウトの保護者の役割は 送迎だけなのだが、今回の活動場所が少々遠方。

 

その割に3時間で終わるので、一度自宅に戻ったところで また迎えに来なければならない。

 

「だったら、保護者も一緒に活動をサポートしてください」

と言われ、久しぶりに付き添ったわけで。

 

今回は、息子たちの下の小学3~5年生が所属するグループが釣りをする。

 

それを上の年代のグループの息子たちが、サポートをするというのが 活動内容。

 

というのは表向きで、実のところはサポートしつつ、息子たちのグループも一緒に釣りをしちゃおうかというのが、ホントのところ。

 

でも、我が家は 誰も釣りをしないので道具も知識もない。

 

息子も釣りには 全く興味がないが「行きたい」というので、朝7時過ぎに私の運転で息子と2人 家を出た。

 

向かうは、隣の隣の市の外れの湖。

 

名前は知っていたが、初めて行く場所。

 

着いたそこは、周りがサイクリングコースとなって整備されているが、それ以外は見渡す限りの田園地帯。

 

暑くもなく寒くもない、風も適度に吹いている。

 

最高に気持ちがいい。

 

さて、湖で釣りをするのかと思いきや、釣る場所は そこから田園にひかれた幅2メートルもないような水路。

 

たぶん誤って水路に落ちても、子どもの膝まであるかどうかの水深で、リスク管理はバッチリ。

 

リスク管理はバッチリだが、ド素人目にも、ここで大物が釣れるとは とうてい思えない。

 

隊が用意してくれた釣り竿は、竹竿に釣り糸をくっつけただけのものだし。

 

本格的な道具を持って、本格的な場所で釣りをするボーイスカウトというのも、何だか違う気がするから、これがいいのだ。

 

そんな、結果を気にしない のどかな釣りを ぼんやり見たり、初老ながら背筋ののびた隊長さんと話したりしながら3時間。

 

息子は 自分は釣り竿をもつことなく、草むらにどっかり座って

「釣れねぇけど、頑張れよ~」

「おい!そこは、ぬかるんでるから足元気をつけろよ~」

と、声だけ番長。

 

私は、そんな息子を少し離れたところで見ながら

「なかなか釣れないわね~」

「何か釣れるといいわね~」

と、どうでもいい感想おばちゃん。

 

子どもに対して、それ以上の人数の大人がいるものだから、ホントは 暇すぎて眠たくなったほど。

 

案の定、成果は 手で捕まえたカエルだの、釣り竿ではなく 網ですくった小さな魚が数匹とれただけだったが、子どもたちは ボヤキながらも楽しそうだった。

 

お昼に終わると、もう少し釣っていくという親子もいたが、息子も私も早々に後にした。

 

行きもそうだったが、帰りの車の中でも息子は饒舌だった。

 

「昨日は早々に布団に潜り込んだが、いつもの昼夜逆転生活がたたって眠れなかった」と言いながら、車の中で眠る気もないようで話し続ける。

 

眠っていない故の ナチュラルハイなのか??

 

それとも、私と2人での 久しぶりの遠出が嬉しいのかしら??

 

そんなことを思いながら、息子の話を うんうんと聞いていた。

 

それが楽しかった。嬉しかった。

 

帰宅して、感想だけおばちゃんをしていただけなのに疲れて 布団に直行。

 

そのときに、腕が何かヒリヒリするなぁとは思ったが 瞼の重さが勝ってしまった。

 

首の後ろと腕が、あきらかに赤い。

 

風呂の湯が、腕と首にかかると痛い。

 

声だけ番長の息子だったが、ボーイスカウトの解散時のミーティングで

「今日、(息子が)1番頑張っていた」

と、同じグループのスカウトが言ってくれたと、帰りの車内で照れなが話してくれた。

 

それが、私のいいことと、ちょっと悪いことと、ちょっと疲れた 週末のできごと。