最近、子ども3人が誘いあって、同じゲームをしているよう。
ゲームといっても、トランプやらオセロなどの、周囲から見えるゲームではなく、お互いが持っているゲーム機での通信ゲーム。
私からは、画面は見えない。
聞こえるのは、声だけ。
「兄ちゃん、どこにいるの?」
「こっち!左、そうそう!違う!右!いや後ろ」
「姉ちゃんは、何してるの?」
「今、○○やってる!」
「じゃあ、オレはこっちで✕✕始めとく!」
声だけ聞いている私は、さっぱり分からないが、本人たちは楽しそう。
外出や、これから寝るなどで、ゲーム機を離れるときは
「△△をやっといて!よろしく!」
「分かった!」
そんな、引き継ぎをしている。
私も外出時や、家事への意欲がわかないとき、子供たちと引継ぎをしている。
「ご飯は、なにも作っていない!何とかして!」
子どもたちからの返事はないが、各々、何とかしている。
最近は、その引き継ぎさえしないことも、度々。
特に、休みの土日は、そう。
台所をと冷蔵庫、そして私の様子をチェックし『こりゃダメだ』と判断すると、子どもらは、冷凍庫や冷蔵庫、炊飯器へと、各々手を伸ばす。
この代償として、大袋の冷凍チキンナゲットや、ソーセージ、豚こま肉、食パン、乾麺の消費スピードが、驚くほどに早いが、文句は言えない。
それに引きかえ、野菜の作り置きは、いつまでも残っているが、文句は言えない。
子ども3人が、毎日が夏休みになって、もうすぐ4年。
私と子ども互いの関係は、いうなれば、阿吽の呼吸で、以心伝心をしつつ、要は、あきらめが肝心なのでありまする。