常識を捨てて、常識を作る1年
私の、一番嫌いな言葉は『他の方は、そうしていますよ』『そうする方が多いです』
この言葉、時と場合によっては 最強の心のよりどころになる。
初めてのモノを目の前にしたとき、自分に知識がないとき、どうして良いか分からないのに 早く決断せよ!ってときには、非常に頼りになる。
知人にお返しする品物をみに、デパ地下に来たはいいが どの店も甲乙つけがたし、さぁいったい どうしたら??
なんてとき『他の方は..』の言葉は、
そう!それを!その言葉を待っていた~!ってなもんだ。
しかし、大事な決断のとき、これほど邪魔な、言葉はない。
そして、安易にそれを相手に言うべき言葉ではないと、私は思う。
この1年は 我が子の不登校という事態に、この『他の方は、そうしていますよ』がいつも付きまとう1年だった。
昨年3月にコロナで、小学校が休校になったのを皮切りに、我が子3人は次々と不登校になり、年明けには 誰も学校に足を向けなくなった。
学校が大好きだった小6の息子が、支援級に変わって楽しみにしていた小3の娘が、ピカピカのランドセルの小1の息子が、どうして。
どうして、学校に行かないのだろう。
私は、どこで何を間違えたのか。何を見落としたのか。
学校に行かないなら、勉強を家でやろう。
ゲームも制限しなくては。
登校中の子に負けてはならぬ。
将来、困るだろう。
だって『他の方は、そうしている』じゃない。
でも、子どもたちの顔は曇るばかり。
私は、怒鳴ってばかりで疲れる一方だった。
どうしたらいいかと、専門家に尋ねたら
「少しでも勉強をしたのに、それをどうしてあなたは褒めない?」
「やりたいものを、やりたいだけさせなさい」
「それが良い方へいく近道だ」
「学校に行くことが全てじゃない」
そう言われて 面食らったが、信じるものは救われる??ホントか?? と、その言葉を信じようと、ほぼヤケになって 子どもの勉強を手放した。
ゲームの制限もなくした。
子どもたちの顔が、一気に明るくなった。
髪が伸びても、お風呂に入らなくても黙った。
朝は起こさない。
1つ常識を手放すごとに、面白いことに、私の心も軽くなった。
早く起きろ、宿題をやれ、忘れ物はないかと言わなくて、済むなんて、なんて楽なんだ。
髪が伸びたら、子どもから切りたいと言ってきた。
頭が痒いな、そろそろお風呂に入ろうかなと言ってきた。
昼になったら起きてきた。
なぁんだ、私がガミガミ言わなくても 何とかなるのか。
子どもも楽しそう、私も楽だ。
それでも、時々『他の方は、そうしていますよ』と言葉が聞こえたり、見えたりすると不安が押し寄せる。
そうは言いながら、最近は図々しくもなってしまった。
毎朝、学校への欠席電話はしてください。他の方は全員していますよ。
今年度は休みますじゃダメですか?毎朝は、忘れちゃいます。
毎日子どもを甘やかせて、親としての仕事をしていますか?他の方は、皆さんしていますよ。
衣食住の供給が、親の仕事じゃダメですか?
私の この1年は、世間の常識を捨てた1年で、私の常識を作り始めた1年。
未開の土地を切り開くようで、本当にこの荒れ地に作物はできるのか。
この場所で、方法で合っているのか。
不安と、楽しいのいりまじる 開墾の日々だ。
いつか、花が咲いたらいいな。