3人の子どもが揃って不登校になって、長い子で2年近く。
1番短い小6の子どもも、家にいるのも1年になる。
先日、その小6の学校から「緊急事態宣言が出たので、子どもの生存確認をしたい。本人の姿もしくは声を確認させてほしい」という申し出があった。
下の子ども2人は、たまに学校に顔をだしているので免除されたが、小6の子どもは断固として足を向けようとはしないため。
学校側も、県の教育委員会からのお達しだそうで「こちらも仕事ですから」と。
そうですか、お仕事なら仕方ない。先生もご苦労様です。
と言いたいところだが、当の不登校中の本人が もちろん断固拒否。
結局、子どもが在籍しているフリースクールの代表の方が 学校と話し合いをしてくれ、フリースクールで確認をしているから、それでよしとなった。
代表の方は「先生は、とてもまじめな方ですね。最後は分かってくださいました」と だけ私に話してくれたが、たぶん多少の すったもんだ があったのではなかろうか。
最近はコロナの話題で大きなニュースとして取り上げられなくなったが、親の子どもへの虐待なども懸念しての「生存確認」なのだろう。
まぁ 登校していない学校から一応気にされたのは、仕事の一環だとはいえ有り難いこと。
有り難いことだが、この話が最初に出たときに「ウチは無理だ」と私が学校に告げた際「他の不登校のご家庭全員、家庭訪問や電話連絡を全員承知してくれた。お宅も、子どもを説得するべき」と学校側から言われた。
皆が同じことをしてくれたら、学校側は楽なのは分かる。
ウチだけ特別扱いをしてくれとは言っていない。思ってもいない。
「みなさん、そうしていますよ」「だから、あなたも同じようにするべき」
ただ、いつになっても 日本人の好きな言葉だなと、つくづく感じた。
以前、同じ不登校中の子どもを持つ親御さんが「子どもが、生きていてくれさえすればいい」と言っていた。
その言葉が、最近よくわかるようになった。
テストの点が下がった、上がった、部活の顧問が合わない、卒業式が・・という、他の家の母親たちの悩みが、まるでおとぎ話のように聞こえるのは、私が学校から遠ざかったおとぎの国にいるからだろうか。
ウチの早生まれの小6は、もうすぐ12才になる。
中学の制服も、カバンもいらない。ただ、12才になる。
嬉しいよ。ただそれだけで。