義務教育
「毎日が日曜日」なんて、私の アラフィフ ならぬ アラエイティ の両親は笑って言うが、3人の不登校児がいる我が家も「毎日が日曜日」である。
学校や幼稚園に行かせねばという葛藤などなど紆余曲折ありつつ、現在は「毎日が日曜日」で、今は落ち着いている。
さて、いったい なぜ落ち着けたのかと考えてみた。
自分が不登校、引きこもり経験者だというのもある。引っ越し先に、不登校児をもつ母親など理解者がいたのもある。
だがしかし、それでも随分ここにも書かせてもらったが、私はだいぶ あがいて もがいていた。
あがきもがきをやめようと思ったのは・・・。そうだ「義務教育」の考え方だった。
私は義務教育というのは、親が子どもを「学校」に登校させることだと思っていた。しかし、それは違うとフリースクールのスタッフに教えられた。
現在の義務教育というのは、
「子どもをとりまく大人たちが、小中9年間、子どもに教育環境を提供すること」
なのだ。
教育環境場所は、学校とは明記されていない。
義務教育の「義務」は、子どもの義務ではなく、大人の義務なのだ。
要は、子どもが楽しんで教育を受けられる環境を 大人が提供するもの。そして 教育は、学校の授業科目だけではない ということを教えられた。
だから義務教育の場所は 駐車場でもいい、おばあちゃん家でも、空の上でも、海の上でも。方法は YouTubeでも、ゲームでも、音楽でも、手伝いでも。無限だ。
最初は、YouTubeや、ゲームで教育なんてと思ったが、不登校児の関係者、保護者は口をそろえて言うのだ。
「YouTubeで、字幕がでるから漢字がよめるようになるのよね」
「ゲーム内で出てくる英単語知ってたり」
考え方がおおらかだ。視野が広い。そう思った。
この「義務教育」の本当の意味を知って、ようやく私は不登校を胸を張って容認できた、できているのだと思う。
誤解を招くかもしれないが、学校は習い事の1つだと私は思っている。
世の中には 水泳教室、習字教室、そろばん、野球・・多種多様の習い事があって、その中で水泳教室は通わねばならないとか、え??習字教室に行くの!?そろばん教室?そんな恥知らずな!と感じるのは少数であろう。
そして、その習い事をやめること、別の習い事に変更するときに 世間から白い目で見られたり、教室から「何故こない?」「やめるのは許さない」「来ないのは親の責任」「根性なし」とか言われるだろうか。
学校教育が悪いとは思わない。学校が合っている、楽しいならば 登校していた方が、不登校よりも進路選択など、今の世の中を生きていくには 便利で容易である。
小6の息子が、ゲームの課金のために、私に借金をしている。
息子の借金返済方法は、掃除機&モップかけで100円。洗濯物取り込み、畳み、タンスにしまうで150円・・てな具合で、家事を1つするたびに私が100円前後を払い、それを私に返すという仕組み。
昨日までの期限だった借金は、土壇場で30円足りないことが判明し「なんてことだ~~!!!」と騒いでいる兄を見かねて、妹が家事労働をして30円を負担してくれた。
そんなことがあったのに、その10分後に借金をした息子。
返済期限は来月14日「オレが、借金を返して、それでお母さんからチョコレートをもらえるのかぁ。いいじゃん!その日に決めた!」と。
家事労働をして金を稼ぎ、借金のちょっとした苦労も感じ、妹の優しさに助けられ・・これが我が家の義務教育。