教育とは何ぞや
ネットニュースに、彼の動画のことが載っていた。
自らを「革命家」と名乗る彼を、私は 名前と時折 物議を醸す発言をしているという認識くらいで、今回初めて 顔をみた。
ネットニュースのコメント欄には、否定的なものが大多数。
そのコメントの多くに
「教育を子どもから奪う 彼の親の顔が見てみたい」
「学校に行かせない 彼の親の考えが分からない」
ありゃ、まぁ。
ここにも1名、見てみたい顔と、考えが分からない親が。それ、私だけどさ。
彼の動画に、有名人が反応した。
「子どもに教育を受けさせる義務を放棄した親には罰則が必要」
「子供を学校に通わず、身の回りの出来事を学ぶことで生きる力を云々という頭の悪い親がいますが、身の回り生活からどうやって虚数の概念を学べるのか聞いてみたい」
「『虚数なんて知る必要がない』と考える人は知識が足りないし、子供の成長に制限をかけてることに気づかないならアホでしょ」
はぁ、辛辣。
え~~っと・・虚数って何だっけ??
まずは、そこから調べる アホ親、ここに1名。
なるほど、ネットニュースで否定的な意見をした人は、この有名人のような思いが根底にあるのかも。
ところで「教育を子どもから奪う・・」「教育の義務を放棄した・・」の『教育』って、そもそも何??
ここまで携帯をいじって「人間、いろいろな考えがあって、面白いなぁ」と、ようやく冷静に思えた。
やっぱり、不登校児の親としては、耳が痛い話だもの。
話は戻る。
動画の中で『革命家』の彼が、小3のとき「学校の友達がロボットに見えた」といっていた。
まさに私が今、小学校に行くたびに思うことと全く同じ。
「あそこに私もいたのか」「うちの子、よく耐えたよなぁ」と感じる。
決して、学校が悪いわけではない。
全員が美味しいと思える食事が存在しないように、全員が合う場所は存在しない というだけ。
人参が食べられないと動画で言ったところで、ネットニュースで話題になることは ほぼない。
だけど、学校に行かないと言うと、ネットニュースで大盛り上がり。
要は、少数派は、肩身がいつも狭いのだ。
確かに、革命家の彼の物言いは、過激で生意気に感じるかもしれない。
でも『革命家』と名乗るくらいだ。
革命家は、いつの世も雄弁で過激で、対抗する反対勢力は強力なのだ。
パイオニアの道は、いつの世も厳しい
私は、そう感じた。
そして、最後に 知人にすすめられた番組を見た。
「死にたいと思った」「自殺しかけた」なんて、たいていの人には1回くらいあることだろうと、最初のうち、少しナナメに番組をみていた。
でも、「それを乗り越えなくてもいい」「抱えて生きていくのだってあり」「死にたいと思うのが、私の日常」と言う出演者たち。
はぁ、乗り越えなくていいのか。
負の極致にあるような感情を押し殺すとか、持ってはいけないのではなく、正々堂々と抱えていくのか。
少し心がほどけるというか、新しい選択肢を知ったというか。
いい番組だった。
教育は、虚数の概念を教えるのも大切。それも教育。
「死にたい」と思った時、よそ見をする方法を 1つでも多く知っているのも大切。
それも教育。
私はそう思う。
「学校から死なずに逃げてきたウチの子3人は、今、よそ見をする教育中」
・・って言うと、教育を放棄した頭の悪い親の、自分擁護発言って言われるかしら?
まっ、いいか。