吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

我が家の弁当事情

平日は、夫と子ども3人、計4人の弁当を作っている。

 

最初は、フリースクールに通う、小4息子1人だけだったが、そのうち我も我も・・と。

 

小6娘と、中3息子は自宅にいるのだから、弁当はいらないはずなのだが、ご要望があった。

 

家にいる2人の昼食は

「冷蔵庫と鍋におかず、炊飯器にご飯あるから、適当にどうぞ~」

と言い放つ母に従い、冷蔵庫や鍋を開けたところで、朝と何ら変わっていないおかずが、目に入るのみ。

 

弁当の要望は、少しでも、目新しさを求めたのだろう。

 

確かに、お弁当って、容器にいろいろ上手にキュッと詰まっているのがいいんだ。

 

お弁当に入れた具材を作った、フライパンとか鍋から、それぞれ皿に出して食べたって、味は変わらない。

 

なんだけど、そんな具材を容器に詰めて『お弁当』と言う体裁をとると、美味しそうに見えるのだ。

 

そして少しだけ特別感もあったりして。

 

だが、間違ってはいけない。

 

お弁当に美味しそうとか、特別感を抱くのは、料理上手の方が作ったもの。

 

ズボラな面倒くさがりが作る弁当は、なんたって中身は、前日や朝食の残りがほとんど。

 

そこに、日によって冷凍食品やら、魚、卵が入ることのみが目新しいといえば、目新しい。

 

詰め方だって、雑。

 

よって、毎度、変わり映えしない、雑な弁当が出来上がる。

 

でも、料理上手のお弁当は、やっぱり憧れるので、おかずを入れるカップを、色のついたものにする。

 

もちろん、ケチなので洗って何度も使える、シリコン製。

 

ズボラは、たかだかそんなことでも、料理上手に近づけた!SNSで絶賛の弁当にソックリ!・・そう思い込む。

 

ちなみに、家族に誉められたことはない。

 

それでも、思い込むというのが肝心。

 

さて、持参した弁当が、夜になっても洗い物に出てこないというのは、あるあるだろう。

 

我が家も、会社、フリースクールに行く、夫と小4息子がそれ。

 

しかし、その点に関しても、代り映えしない弁当を作り続ける、強心臓のズボラは、対処が違う。

 

金切り声を上げて、注意するなんて言う労力は使わない。

 

「弁当箱がないため、明日の弁当作成は中止します」

「弁当箱がないため、2リットル保存容器を代用します」

そう彼らに、静かに申し渡す。

 

そうすると、弁当箱を自分で洗いはじめる。

 

今のところは。

 

さて次は

「弁当は、もういらない」

そう最初に言い出す勇者は、誰だろう。