久しぶりに、大阪へ行った。
大阪は、何度か行ったことがあるけれど、ほぼ観光をしたことがなく、街がわからない。
いつも「間違えぬよう」「遅刻せぬよう」と電車乗り換えアプリやら、地図アプリと、にらめっこし、同行者に気を配り。
外の景色をみる余裕すらなかった。
しかし今回は、日帰りとはいえ、心には余裕があり、初めて大阪の景色を、ゆっくりとみられた。
新大阪駅から、電車に乗っていると、次の駅が「はなてん」だとアナウンスが聞こえた。
二人掛の窓側席から、ぼんやりと、外を眺めながら、はなてん…漢字では花店か?花展か?いや…華…天??
その辺りは、見事な、天国のような、天に通じるような花畑があったとか?
大きな花市場があった?
華道家が多く住んでいたとか?
いや、地元では有名な、花にまつわる悲恋物語とか?
どちらにしても、花に由来した地名に違いない。
大阪は、商人の街・笑いの街と言われて雑多な印象だったが、花にまつわる、こんなステキな名前の駅があったとは。
何だかんだ言っても、お隣は、京都。
お笑いだの、たこ焼きだのという、庶民文化に埋もれながら、雅な文化も、こうやってあるんじゃないか。
これは、はなてんの駅に到着したら、是非とも、駅の看板の文字を確認しなくては。
窓の外を眺めながら、次の「はなてん」の駅を、少しドキドキしながら待っていた。
子どものころ、電車に乗ると、いつも妹と並んで外を眺め、駅の名前をみてはしゃぎ、到着駅はまだかと、何度も親に尋ねたっけ。
そんな昔のことをも思い出したりしているうちに「はなてん」に着いた。
はたして・・駅の看板は!!!
「放出」と書いてあった。
何度も確認した。
「はなてん」は、次の駅の間違いではなかろうか。
違う、ここだ。
「はなてん」は、漢字で書くと「放出」
「放」と「出」で「はなてん」
分かる。確かに、読めないことはない。
でも、でも、でも、「花」じゃない「華」でもない。
「店」でも「展」でも「天」でもない。
勝手に、確信に近い期待をもち、そう、勝手に頭がお花畑になっていたのは、私なのだ。
分かっている。
しかしながら、茫然自失とは、このことよ。
放出駅から動き出した電車内で、鈴木雅之氏の曲が、私の頭の中をまわった。
放出の名前の由来にも、花にまつわるものは、残念ながらなかった。
日本語・・ムズカシイある。