小5娘が、YouTubeをみて「原宿竹下通りに行ってみたい!」とリクエストしてきた。
はて、私が竹下通りに最後に行ったのはいつだったろう。
思い出せない。
思い出せないまま、その日、小5娘と小3息子と私は、竹下通りに降り立った。
原宿駅改札を出ると、あの細い道と、ごったがえす人が、すぐに目に飛び込む。
そうそう、あれだ、あれ、あれ、竹下通り。
おや、改札前の信号機が、新しい。
竹下通り入口に、あんな大きな飾りはあったかな?
子どもたちに、迷子にならぬようにと注意して、いざ。
おや?何か、こぎれいになっている?
屋台が、露店が、ない。
私の頭の中の竹下通りは、左右に小さな店がギッシリあり、
その店の前には、アイドル生写真売りの人と、キッチンカーのような小さなクレープ屋が交互にあった。
更に、アイドル生写真を熱心に眺める人、クレープを買う列も。
だから、ただでさえ狭い通りは、人の間を、ぬうようにしなければ前に進めない。
それが、竹下通りだったはず。
だが、只今は、令和の時代。
アイドル生写真を道で売っている人はおらず…というか、どこに行ったのか?
クレープ屋は、きちんと建物内に入居。
あの頃、前後左右にいた、宇宙から来たのかと思うような服や、髪型のお兄さんお姉さんもいない。
代わりに、外国語がよく聞こえる。
そりゃ、令和の時代に、生写真と露店のクレープもないか。
小5娘は、YouTuberが食べていたという、お目当てのいちご飴を、小3息子はクレープを食べ、ご満悦。
なるほど、通りの端っこで立ったまま食べるのは、昔も今も変わらずね。
そうやって、キャラクターショップや、雑貨屋をのぞき、親子共々、まさに足が棒になったころ、帰りの電車に乗った。
小5娘は、再度訪問を熱望。
小3息子は、クレープ目当てに鳩が近づいてきたから、もうイヤだと。
息子は、動物が大の苦手なのだ。
原宿は、今も確かに若者の街だが「時代の最新発信元とは、ココのことさ!」とキバをむいて息巻いていた頃とは違っていた。
代わりに、誰でも受け入れる度量が深くなったというか。
どちらがよいかは分からないが、親となった身からすると、今の方がいいなぁ。
私の青春の思い出の街が、今度は娘たちに引き継がれるのも、いいなぁ。