たまにある、人と衝突する日。
その日は、実母と、それから娘と衝突した。
2人との衝突理由は、こうやって文字にすると、ホントにに些細で、笑っちゃうようなこと。
まず実母との衝突理由は
私の家は、朝晩に少しの時間、仏壇に向かってお経を唱える習慣がある。
子どものころからのことで、今もその習慣は続いている。
お経を唱えるときににつける、ロウソクと線香を火事になる危険性があるから、実家と同じような電気タイプのロウソクと線香にせよと母に言われたのだ。
それを私は、突っぱねてしまった。
確かに、火の危険性は分かる。
分かるのだが、私は、あの電気タイプの無機質な感じが、どうにも気に入らない。
ロウソクに揺れる炎、線香の香りとポトリポトリと落ちる灰。これがいいのだよ。
なんて言うと聞こえはいいが、そんな情緒を私が持ち合わせているはずはない。
それに仏壇に向かっていたって、集中して唱えてるなんてことはない。
あれやこれやと気を散らし、毎度口だけ動いてる感じ。
ホントは、線香とかロウソクとかなんて見てないでしょ。
そうそう、その通り。
でも、実家の電気タイプのを見ると、なんだかなぁとは思っていたのよ。
だけれど、80才を過ぎた両親の家には良い選択だと感じた。
そう、だから、だから分かるのよ。分かっている。
私の説明できない、要は何となく~な理由と、母の確固たる実証済みの危険性と、どちらが良いかなんてのは、頭では分かっているのよ。
でも「嫌だ」と最後まで言い続けた私。
結局、母が「ここまで言って分からないなら、もういいわ」と折れた。
もう1つの衝突は、10才の娘と。
今朝から「(ぶどうの)マスカットが食べたい」と娘が騒いでいた。
マスカット=粒の大きいぶどう だと私は確信していた。
マスカット=シャインマスカット だと娘は確信していた。
粒の大きいぶどうなら、何種類かあるだろうし、同じぶどうなのだからデラウェアでもよかろうと、私は思っていた。
「値段にもよるけれど、安くなっていたら買ってもいいよ」と私は娘に返事をした。
夕方行ったスーパーで、シャインマスカットは1房999円だった。
場所や時期によっては、2000円近くするシャインマスカットが999円とは、確かに安い。
しかし、ふと隣を見ると、シャインマスカットと同じような形状・大きさで色のみ違うぶどうが700円で売られてる。
更に隣のぶどうは、500円。
更にその隣に至っては、3パックで400円。
考えるまでもない。
「高い!シャインマスカット却下!」の私の言葉に、娘が信じられないといわんばかりに目を見開いた。
「見て!いつもより、1000円も安いよ!買って!」
「無理。高い。量が少ないのに高い」
「他のぶどうなら検討するけど」
「他のはいや!マスカットじゃない!マスカットはシャインマスカットだけなの!」
「無理」
「高い」
「量が・・・」
をロボットのように繰り返す私に「もういいっっ!!!」と娘が折れた。
実母にしても娘にしても「別にいいよ」「分かったよ」の返事もでも良かった、できたのではないか。
時間が経って、そうも思うのだが、それでもその言葉が口から出ない。実行できない。
私の頭の中で、天使が「自分の考えをちゃんと伝えたのは偉いわ!」と褒め、隣で悪魔「こういうの、若いときは反抗期、それが老害に変化するんだよねぇ」とニタリ。
この文を書いていたら、実母から電話があった。
ロウソクと線香の話を蒸し返されるとビクビクしてでたら、全く違う話で、結局、二人で笑って電話を切った。
さすが母は私の操縦術を心得ているなぁ。
娘が、今、私が座るPCの隣に黙って顔を出している。
さぁ、私、娘に対して、どうする?どうしたらいい?