題名のものは 私が 時折 拝見する 不登校児をもつ親のサイトで、ぶっちぎりで大賞に輝いた川柳
一見、親として随分と無責任な、随分と冷たいようにも見えるが、これが紆余曲折の末に辿り着く答えだと、私は思っている。
「~せねば」を何度も脱ぎ捨て、それでも 湧いてくる不安を払いのけるための言葉だ。
確かに 小学生の今、勉強をしていないのは 我が子は相当なハンデを背負っている。
登校して、勉強をすることで 選択の幅が広がることは確か。
でも、未来は誰にもわからない。
必ず幸せになるかどうかは、誰にも分からない。
この不登校サイトで、
人生を『 旅 』と考えたとき 毎日登校している子は『パック旅行』で旅している人、不登校の子は『バックパッカー』だと言ったスタッフがいた。
どちらも旅人で、どちらも一長一短ある旅。
同じところを歩いていても、見える景色は違う。
どちらがいいかは、楽しいかどうかは その人次第。
しかしながら「我らはバックパッカーだ」と、言うは易し・・。
だって 私は、子どもとバックパッカーの旅行をしたかった訳じゃない。
本当は、パック旅行で快適に旅をする気満々だったのだから。
私は「学校へ行こう」「ちょっとでも行こう」「学校がだめなら、せめて勉強だけでも」と 子どもに 叫び、首根っこをつかんで「パック旅行に行こう」と引き戻したのに、子どもたちは迎えのバスに全然乗らない。
バスは、時間だからと出発してしまい、結局 おいてけぼり。
仕方なく、私も子どもとトボトボ歩くことにした。
今日の宿はどうするの?
今ごろ、パック旅行なら有名な観光名所をみられたのに・・と随分と 私は子どもに愚痴をこぼした。
でも、トボトボ歩く道も悪くないと思うようになった。
キャンプも悪くないかも。
パック旅行にはあるはず予定表がなくて、時々 心配になるけれど。
ガイドさんに連れられ、目玉スポットになんなく着けるのはいいよなぁと 羨ましくなったりもするけれど。
でも、地元の人に出会ったり、同じバックパッカーに出会ったり、穴場の場所をみつけたりも悪くない。
そんなわけで、今の私も
行かんでも なんとかなるやろ 知らんけど
道が無いようであるような、無いのに道だと思い込み「なんとかなるやろ」と 歩いている。