人間、生活環境などが変わると、今まで仲良くしていた人や、居心地が良いと思えた場所に 違和感が生じるなんてことがある。
例えば、独身から結婚したり、学生から就職したり、転勤やら子どもが産まれたりとか。
不登校の保護者も、たまに学校の学級懇談会に出席したり、近所の母親と話すと、そこでの話題についていけない・違和感がある というのは、あるあるで。
たまに読む学校からの手紙も、私の場合そうだ。
学校は、登校していない期間に配布した手紙を取っておいてくれて、時折 まとめて渡してくれる。
子どもが 不登校を始めた頃は、渡された手紙の内容に
『この行事に我が子も行けたらよかった』
『もう、こんなに勉強が進んでしまっているのか』
と胸が痛んだ。
だが、そんな感情も手放してしまうと、学校の手紙も 町内の回覧板でも読むかのようになるから不思議だ。
先日も1ヶ月分の手紙を、学校からもらったのだが、その中の小2の息子の学年だよりの一文に目が止まった。
『ご家庭で、お子さんの書く字が汚い場合、必ず書き直しをさせてください』
我が家の小2の息子は、小1を1週間ほど行っただけで登校をやめた。
ひらがな・カタカナの文字は、YouTubeの検索やらゲームの字幕のお蔭で読めるが、書くほうは、ひらがなでさえ 全て書けるか危うい。
そういえば、中1の息子は 筆圧がない&悪筆で、学校でも塾でも ことあるごとに注意されていた。
私も、随分 きつく言ったなぁ。
我が家は、子どもたちの精神的な立て直しを優先すべく、3人とも勉強を半年ほど前に、すべて手放した。
現在、子ども達の手は 鉛筆の代わりに持つは、ゲーム機と箸。
そんなわけで、学年便りでいう『お子さんの書く字』は、ウチでは ほとんど見ていないので『書き直し』しようにも・・
と、ちょっと1人で笑ってしまったという 自虐話。
そんなことの数日後、久しぶりに小2の息子の字を見られた。
朝食に出した私のスープが口に合わなかったようで、家族に向けて
「(このスープを誰か)たべてください」
のメッセージを食器に貼りつけたもの。
私には、この字を書き直しさせることは とてもできないよ。