あるアフリカの人の「なぜ踊るかって?石じゃないからだ。石が踊るのを見たことがあるか?」という言葉ほど、人がなぜ踊ったり走ったり歌ったり絵を描いたりするかについての完璧な答えを知らない
— ヲノサトル (@wonosatoru) January 11, 2019
子どもの頃、夏休みの楽しみの1つは 近所の公園でひらかれる 盆踊り。
早めに風呂に入り、かるい夕食を食べながら「まだ(盆踊りは)始まらない?」と何度も母に尋ねソワソワ。
薄暗くなってから 浴衣を着せてもらって、下駄をはいて駆け出せば そこは見慣れた公園ではなく夢の国。
決して広くない公園に、やぐらが組まれ 町内会の名前入りテント、屋台が1~2軒 申し訳程度にあるだけの小規模なものだったが、子どもの私には十分であった。
太鼓が鳴り、雑音まじりの音の割れた いつもの盆踊りの曲が流れれば夢の時間のはじまり、はじまり。
まずは、5~6人が上がれば いっぱいのやぐらの上で踊るため 子どもたちは我先にと並ぶ。私も並ぶ。
小学校は、人前に出るなど 絶対にしない私だが やぐらの上で踊るのは大好きだった。
1曲終わると やぐらで踊るのは、次の人に交代だから 終わると、やぐらを下りて また上るため列に並ぶ。
そんなことを何度も繰り返した。
のどが渇くと、子ども会で事前に配布されたジュースチケットを持って 町内会テントに行くとジュースが1本もらえた。
ジュースを飲みながら、数少ない屋台をのぞいて また やぐらの上に躍りに行く。
近年の私は「あぁもう帰ろうよ」「蚊にさされるし、人は多いし」「疲れたぁ」そんなことばかり言っている。
今の私が「なぜ踊るのか?」と、やぐらに並ぶ 子どもの私に尋ねたら、子どもの私はなんて答えるだろう?
なぜ、一文にもならないブログを書いているのか?
なぜ、くだらないことで悩むのか?
なぜ、同じあやまちを繰り返すのか?
石じゃないから。
今日は、いい天気。大きく伸びをして、大きく口をひらいて、深呼吸。
確認しよう。私は、石じゃない。