私を含め、自分の考えや方法が最も正しいと信じている人は 実は多いのではないだろうか。
だから、他人が違う方法や考えを披露すると 多少の違和感を感じる。
その違和感を感じる最たるものが「家事」であると、私は思っている。
以前、訪問介護の仕事をしていた。
たいていは、相手の自宅で介護をしたり 家事などをする仕事であった。
初めての訪問ですることは「相手が何をしてほしいのか」「その方法」を聞くこと。
「この部屋に " 普通に " 掃除機をかけて」「お皿を "適当に"洗って」などと、先方から指示がある。
が・・・ この「普通に」「適当に」が最もクセモノである。
例えば、掃除機をかけるにしても
掃除機をかける=部屋を清潔にすることが大前提。
これが万人共通の「普通」であると思ってはいけない。
人によっては「掃除機の音が不快なので、とにかく早く終わらせて欲しい」ことを第1条件にしていることもある。
キレイ<スピード
それが、その人の「普通」
「じゃあ、何のために掃除機をかけるのか?」などの、議論はムダである。
とにかく本人は 掃除機は早く終わらせることが「普通」なのだ。長年信じて疑わぬ「普通」なのだから。
皿洗いにしても 食器によって洗うスポンジ・洗剤・洗いかたを細かに変える人もいる。
「別に、高価な食器じゃないしさぁ~」と思っても、それが、その人の「普通」
面白いもので、ほぼ全員が自信満々に「このやり方って普通でしょ!?」という。
「この私の方法は(世間一般的にも)普通のこと」と強く確信しているのだ。
自身のファッションセンスとか、今日飲んだ水分量とか、歴代の彼氏彼女の数を 自信満々に「これが普通・常識」と答える人は少ない。
しかし、こと家事になるとコレだ。
家事をする場所が 自分の家「ホーム」であり「アウェイ」でないこともあるかも。
強く確信しているがゆえに、少しでも違うことが「強い違和感」となる。
さて、ここまで専門家ヅラして 解説してきたが、これを書いたのには訳がある。
先日、姑が私のつくったカレーの具に トマトとソーセージが入っていたことに異を唱えた。
「カレーは、人参・ジャガイモ・玉ねぎ・牛肉のみの具で作るのが普通でしょ」と。
後日、私は 主人に「あなたのバスタオルの畳み方は、はおかしい。私の方法が普通でしょ」と、異を唱えておいた。
よって、本日のブログのまとめは
1.「常識」と「普通」ほど、奥深く難しく危険な言葉はない
2.姑に異を唱えられたら、とにかくさっそくサクサク主人に倍返しをする
みんな、そうでしょ?常識でしょ?普通でしょ~!?
ありゃ?違う?