吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

定期検診の憂鬱

1番下の子どもを 毎日幼稚園のバス停まで送迎している。


同じバス停には、まだ未就園児を抱えたお母さんが数人。


そのお母さんたちが「今日は保健所で、子どもの定期検診なの」というと、どこか憂鬱そうである。


定期検診は大変だ。


小さな子どもを抱えて、数時間待つことだけでも 大変なのに 下の子どももいたらその数倍の大変さが待ち受けている。


けれども、それより母親を悩ますのは「他の子どもより(標準より)我が子ができていない」と、専門家に言われることである。


体重が増えていない・言葉が遅い・歩行が遅い・・。
私も同じ悩みを抱えていたので、その気持ちは分からないでもない。


「病気や障がいを早めにみつけてあげたい」とする保健所の専門家の気持ちもわかる。


でも、毎月 体重を保健所に計測に来させたり 心配しすぎて知育玩具や学習教材をあれこれ買ってしまうほど 親に強いる・そういう精神状態にさせる必要があるだろうか。


我が家の3人の子どものうち、1番上の子と末っ子が 言葉と歩行が遅かった。


1番上の子は3才で幼稚園に入園したときは、言葉もまったく喋らなかったし スプーンやフォークも使えなかった。給食は手づかみだった。


末っ子が歩いたのは、1才半過ぎだった。


1番上の子のときは 話さないのは 言葉を使う場所・機会がないからだと言われた。


だから 毎日児童館に通い、それでも足りないと 体操教室に通い、大学病院の耳鼻科に検査に行き 療育相談と療育教室に通い、それでも母親の話しかけが足りないと言われた。


それもこれも「この年齢の9割以上は、これができるんですよ」
この言葉が常に頭にあったから。自分を否定されている気がしたのだ。


でも 結局、私自身が、まいってしまった。
幼稚園に入園したとき、もうできない・幼稚園に任せようと すべてやめた。


あれだけ心配していた子どもは 年令がすすむにつれ、周りの子と同じようにできるようになった。


「なんだ。ちょっと待っていればよかったんじゃない」


だから、末っ子が1才半健診で歩けなかったときには「彼は、そのうち歩く」と、つっぱねた。


「たまたま、うまいこと育ったからそう言えるのだ」と言われれば、確かに結果オーライだ。


でも、大人だって皆違うじゃない。


走るのが速い人・字を書くのが上手な人・おしゃべりな人・数字に強い人・筋肉質な人・・。


それを「個性」という。
身体的な「個性」 性格的な「個性」


子どもだって同じだと思う。


「うちの子は、これができない」「これが未熟と言われた」「どうしよう、どうしよう」母親たちは言い続ける。


「大丈夫ですよ」「母親は、ドーンと構えていてくださいな」と、まず保健所では言ってくれないか。


そのうえで「このあたりが、少し遅い」と言ってもらえたら、あの頃の私は どれほど気が楽になったろう。


今、顔を曇らす母親が どれほど減るだろう。

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