吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

インフル患者 おおいに愚痴る

子どもたち3人は、完全に 元気になった模様。
朝5時から、鬼の居ぬ間にYouTubeとゲーム祭である。


私はというと、だいぶよくなったものの 頭痛と倦怠感がまだ残り 本調子ではない。


土曜の夜、主人が出張から戻ってきた。
現在、唯一のインフル非罹患者である。


インフル蔓延家庭内で、自分がうつるのを心配する気持ちは分かる。
しかし、非罹患者ということは 「健康な動ける人間」である。


だが、翌日の日曜 朝食の時間になっても非罹患者は起きて来ない。
子どもが空腹を訴えに 私のところにくるので 仕方なくサンドイッチを作る。


作り終わった頃、起きてきた 非罹患者。
作ったサンドイッチを当然のように食べ そのまま、使った食器も片さず自室にこもってしまった。


昼食にレトルトカレーを作り(作ったと言えるのか?)夕食用にと焼きそばも作った ワタシ。
非罹患者は朝食と同じことをきっちり繰り返す。


シンクには、数日前からの洗われていない食器が山となり、居間のテーブルも主人と子どもの使った食器や ゴミなどが起きっぱなし。


同じ状況で 私は、いや主婦たちは ウチの非罹患者と同じ行動をとるだろうか?


いや、大部分はしないだろう。
インフルに自分もうつるかもと思っても 皿を洗い、部屋をざっとでも片付けるだろう。


同じ部屋にいたくなければ、食料だけでも確保するだろう。
目と鼻の先のコンビニに惣菜を買いに行き、冷蔵庫に突っ込んでおくはずだ。


何故、それができない。何故、この状況が見えない。


男性の脳は「察する」ということに疎いと、何かの本で読んだことがある。
細かく具体的な指令を望む脳であるらしい。


だが、私に言わせれば 社会に出て働くということは「察する」に始まり「察する」に終わるということではないのか?


社会で働かずとも、子どもの社会でさえ「察する」は必要不可欠である。


よりによって主人は、営業職である。
「察する」の能力が最もなくてはならないのではないか?


「ご主人、会社で気をつかって疲れちゃったんでしょう」そういう意見もあるだろう。
分かる。家ではダラダラしたい。気をつかわず休みたい。分かる。


普段なら、このようなことも10000歩譲って良しとしよう。
だが、今は緊急事態である。それが分からぬのか。


あぁ、頭痛が また激しくなった。
頭痛がこれ以上激しくならぬよう、非罹患者に洗濯物干しを命じた。


あんた、昨日今日初めてやってきた「指示待ち」新人くんじゃありませんで・・わてら、16年の付き合いでっせ。


言われる前に、察しろ‼️ 察してくれ!!