吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

不登校教に入信中

数日前から、中1息子の起床・就寝時間が変わった。

 

今年に入ってから 就寝時間がどんどん遅くなり、果ては5~6時に就寝して、14~15時に起床。

 

完全なる昼夜逆転生活。

 

それが、今は 就寝時間が14~15時、起床時間が22~23時。

 

太陽が出ている時間に起きているという、世間の『普通』に近付いている・・のか??

 

それまで、寝ていて食べられなかった朝食を、下の兄弟とともに食べられるようになって喜ばしいが、今度は一緒に食べていた夕食が 食べられない。

 

あれ?世間の『普通』に近付いている・・のかぁ??

 

まぁいいか。

 

息子は「誰もいない深夜・早朝の時間が1番楽しい」と。

 

起きている間は、妹弟と3人で寝転んで、一緒に同じゲームをして、ワイワイ騒いで、喧嘩をして、歌を歌って、おかずの取り合いをして。

 

1人の時間も、誰かとの時間も楽しんでいるように見える。

 

不登校になってすぐの頃は、登校しない我が子に呆れ、嘆き、怒っていた夫も『笑っていてくれればいい』と、今は分かってくれた。

 

息子の起床就寝時間がずれても、家族は誰も何も言わない。

 

以前と変わらず、家族の誰かが起きてきたら「おはよう」寝るときは「おやすみ」

 

でも、時々 ・・そう、ふと真夜中、私は知らず知らずのうちに 世間と隔離された山奥の怪しげな「不登校教」とかいう宗教団体に洗脳されているのではないかと 思ってしまって。

 

そうすると寝られずに 真夜中、不登校反対の声を思い出したり、SNSでみる。

 

あれこれ考え、でもやはり今のままが良かろうと思って寝る。

 

翌日、目をこすりながら「あんなこと考えずに、さっさと寝ればよかった」と後悔する。

 

だが、これは この先も続く 私のルーティンだろう。

 

 

こんな言葉に安心するのは、不登校教に入信しているのだろうかなぁ。

 

それでも、今は それでもいいか。

 

息子が、気持ちよさそうに眠っているし、下の妹弟もご飯を食べてゲームをしているから。

だから私はオムライスをつくる

不登校で家にいる 我が子3人にとって 食事は楽しみの1つ。


最近、リクエスト率の高いメニューは『オムライス』


オムライスのレシピを見ると、1人分に卵は2個以上使うように書いてあるが、我が家は1人分につき卵1個。


最初のうち、1人分 卵2個使っていたら、子ども3人が 各々3~4回おかわりをし続け20個近くの卵が消えた。


もちろん、1食で。


特段、小さいオムライスを作ったとは思わない。


1食で20個の卵が瞬時になくなるのを、圧巻と思うのは第3者だ。


当事者が感じるのは 圧巻ではなく 悲壮感。


両親の食い意地と大食いのDNAを、しっかと受け継いでいる故であり、文句も言えない。


だから、1人分のオムライスに卵は1個。


卵の消費量は 半端ないが、悪いことばかりでもない。


子ども達は、流行りの フワトロオムライス は好まない。


以前に、それっぽいものを作ったら卵のトロトロした部分を嫌がり、レンジで温めなおして 昔ながらのオムライスにしたくらいだ。


結果、私のオムライス作りのハードルは下がったわけで。


そして、もう1つの良い点。


ケチャップ味のご飯に、これでもかと野菜を入れても 野菜嫌いの子ども達が誰一人文句を言わずにぺろりと平らげること。


思うに、ケチャップで野菜の味を薄め、更に卵を覆うことにより影も薄くなるのではないかと。


だから、オムライスを作ると、母として 『子どもたちに野菜を与えた』『私はいい母親』という安堵感がある。


今日は オムライスを作った。


今夜は、殊更 よく眠れるような気がする。


私の『いい母親』ってのは、単純。

いいことと、悪いことと、疲れた 週末の話

己のズボラかげんを呪った。

 

5月の太陽をナメていた。

 

日焼け止めを忘れ、数十年ぶりに日焼けをした。

 

それというのも、週末、中1の息子が所属するボーイスカウトに付き添ったから。

 

ボーイスカウトの保護者の役割は 送迎だけなのだが、今回の活動場所が少々遠方。

 

その割に3時間で終わるので、一度自宅に戻ったところで また迎えに来なければならない。

 

「だったら、保護者も一緒に活動をサポートしてください」

と言われ、久しぶりに付き添ったわけで。

 

今回は、息子たちの下の小学3~5年生が所属するグループが釣りをする。

 

それを上の年代のグループの息子たちが、サポートをするというのが 活動内容。

 

というのは表向きで、実のところはサポートしつつ、息子たちのグループも一緒に釣りをしちゃおうかというのが、ホントのところ。

 

でも、我が家は 誰も釣りをしないので道具も知識もない。

 

息子も釣りには 全く興味がないが「行きたい」というので、朝7時過ぎに私の運転で息子と2人 家を出た。

 

向かうは、隣の隣の市の外れの湖。

 

名前は知っていたが、初めて行く場所。

 

着いたそこは、周りがサイクリングコースとなって整備されているが、それ以外は見渡す限りの田園地帯。

 

暑くもなく寒くもない、風も適度に吹いている。

 

最高に気持ちがいい。

 

さて、湖で釣りをするのかと思いきや、釣る場所は そこから田園にひかれた幅2メートルもないような水路。

 

たぶん誤って水路に落ちても、子どもの膝まであるかどうかの水深で、リスク管理はバッチリ。

 

リスク管理はバッチリだが、ド素人目にも、ここで大物が釣れるとは とうてい思えない。

 

隊が用意してくれた釣り竿は、竹竿に釣り糸をくっつけただけのものだし。

 

本格的な道具を持って、本格的な場所で釣りをするボーイスカウトというのも、何だか違う気がするから、これがいいのだ。

 

そんな、結果を気にしない のどかな釣りを ぼんやり見たり、初老ながら背筋ののびた隊長さんと話したりしながら3時間。

 

息子は 自分は釣り竿をもつことなく、草むらにどっかり座って

「釣れねぇけど、頑張れよ~」

「おい!そこは、ぬかるんでるから足元気をつけろよ~」

と、声だけ番長。

 

私は、そんな息子を少し離れたところで見ながら

「なかなか釣れないわね~」

「何か釣れるといいわね~」

と、どうでもいい感想おばちゃん。

 

子どもに対して、それ以上の人数の大人がいるものだから、ホントは 暇すぎて眠たくなったほど。

 

案の定、成果は 手で捕まえたカエルだの、釣り竿ではなく 網ですくった小さな魚が数匹とれただけだったが、子どもたちは ボヤキながらも楽しそうだった。

 

お昼に終わると、もう少し釣っていくという親子もいたが、息子も私も早々に後にした。

 

行きもそうだったが、帰りの車の中でも息子は饒舌だった。

 

「昨日は早々に布団に潜り込んだが、いつもの昼夜逆転生活がたたって眠れなかった」と言いながら、車の中で眠る気もないようで話し続ける。

 

眠っていない故の ナチュラルハイなのか??

 

それとも、私と2人での 久しぶりの遠出が嬉しいのかしら??

 

そんなことを思いながら、息子の話を うんうんと聞いていた。

 

それが楽しかった。嬉しかった。

 

帰宅して、感想だけおばちゃんをしていただけなのに疲れて 布団に直行。

 

そのときに、腕が何かヒリヒリするなぁとは思ったが 瞼の重さが勝ってしまった。

 

首の後ろと腕が、あきらかに赤い。

 

風呂の湯が、腕と首にかかると痛い。

 

声だけ番長の息子だったが、ボーイスカウトの解散時のミーティングで

「今日、(息子が)1番頑張っていた」

と、同じグループのスカウトが言ってくれたと、帰りの車内で照れなが話してくれた。

 

それが、私のいいことと、ちょっと悪いことと、ちょっと疲れた 週末のできごと。

 

純悪

お題「わたしの癒やし」

 

人生に必要なものは、何か?


いろいろ思い浮かぶ。

 

思い浮かぶけれど、上位に『ユーモア』が必要だと、私は思っている。

 

昨年くらいから、YouTubeをよく見るようになった。

 

初めは、古今亭志ん朝の落語が好きになり、そのうち 博多華丸大吉の漫才になり、今はこれ。

 

www.youtube.com

 

悪役俳優2人組(時々ゲストあり)の数分から数十秒のコント?お芝居?が、くすりと笑えて好き。

 

先日、中1息子から

「これ、超 面白いんだよ!」

と見せられた動画が、全く面白さがわからず 解説してもらって、ようやく分かった。


分かったけれど、やはり面白いとは思えず。


笑いのツボは、年代も関係しているのだなぁと感じたしだい。

 

www.youtube.com

 

この10回クイズは、小4娘と小2息子との入浴でやったら 大うけだった。

 

私も実は、ひっかかってしまったというのは 内緒。

雨の日の過ごし方

今週のお題「雨の日の過ごし方」

雨音を聞きながら 昼寝をする。


これが、個人的に最高の贅沢だと思っている。


雨音が聞こえるくらいだから、どしゃ降りくらいの雨がいい。


そして『今は昼なのだ』と日の光を身体に感じさせるため、カーテンは少し開けておくのがいい。


その日は、できれば平日がいい。


平日の昼ひなか、どしゃ降りの雨、外で働いている人・外出しなければならない人も多いであろう。


そんな中、昼寝をしようとしている私。


これを贅沢と言わずして、何を贅沢と言えよう。


この贅沢を、脳内に身体に しっかと刻みつつ 眠りにつくのが身悶えするくらいの喜びだ。


その喜びを、最も感じていたのは独身時代。


仕事の休みが 平日だったので、雨が降ると いい気分で布団に潜り込んでいたっけ。


子どもが生まれると、それは ほどなく昼寝ではなく失神に変わった。


今は、失神はなくなったが、雨音は YouTubeと兄弟喧嘩の音にかき消され、昼寝はほどなく「腹が減った」
「どこか遊びに行きたい」
「パソコン起動のためのパスワードを打て」
の声で強制的覚醒にいたる。


雨音がしたら、昼寝に限る。


雨音は 昼寝の調べ。

肉焼き二代目修行中

小2の息子が、自分で肉を焼きたいと言い出した。

 

そう言いだしたのは、我が家では2人目。

 

初めて言い出したのは、中1の息子。

 

今から半年前くらいだったか。

 

私の野菜ばかりの料理は口に合わないし、空腹になっても すぐにご飯が出てこないことに業を煮やし 始めた。

 

冷凍庫の豚こま肉を解凍し、自分の好きな味付けで炒めて ド~ンとご飯の上にのせて食べるのが中1息子流。

 

それとほぼ同じ理由で、小2の息子も数日前から 私のもとで修行開始。

 

初日は、冷凍豚こま肉の解凍方法から。

 

小学校入学して1週間でやめた息子は、漢字がお手上げ。

 

電子レンジについているボタンの『分』『秒』の字が読めない。

 

更に、数字が1~15くらいまでしかカウントできないし、その大小も危うい。

 

レンジの『10分』『1分』『10秒』の3つあるボタンのうち、どこを押していいのか分からない。

 

「1(分)を2回押せば、ここの画面に2(分)って出るから。いい?ココのボタンよ」

「お母さん 分かった!3つあるボタンの真ん中を2回押せばいいんだね?」

「うん・・真ん中のボタンなんだけど・・数字を覚えた方がいいかなぁ・・まぁいいや、真ん中のボタンでも」

 

お次は、解凍されて 柔らかくなった肉を触るのが気持ち悪いと、肉を包んであるラップから肉が出せない。

 

半年ほど前に中1の息子に教えたときは、もっと簡単に教えただけでできるようになった。

 

やはり年齢的なできる・できないのハードルは違うのだなと感じた。

 

そうは感じながらも、面倒くさがりの母の

「肉がラップから出せないと、いつまで経っても肉は食べられないぞぉ。肉が食べたいならば、ハイ!頑張ってぇ」

の非情な声にめげず、肉にまかれたラップを開けていく小2息子。

 

その後も、小2息子のハードルは続く。

 

ラップから出した肉をフライパンに移そう、こぼす。

コンロの火をつけよう、つかない。

肉に均一に火が通るよう フライパン内の肉を広げよう、広がらない。

コンロの火かげん、熱い・怖い・・・。

 

本人がやりたがっている 味付けの工程までが、なかなかに遠い。

 

なるほど、こう見ると、料理というのは細かい工程・同時作業が多い。

 

そのための技術はいるし、火傷などのリスクを回避しながら、リスクに立ち向かう勇気も必要で。

 

あら、それができてる 私ってば凄いんじゃな~い?

 

なんて、1人ニマニマしているうちに、どうにか 醤油味の豚こま肉炒め完成。

 

小さすぎる皿に、フライパンの肉を全部入れようとしてこぼす という、最後のお約束の失敗もやり遂げて、満足顔の息子。

 

早速、自分で1番に食べるのかと思いきや、肉を盛った皿を 息子の中で家族カーストトップに君臨する小4の姉に差し出す。

 

「え~!?私が 最初に食べていいの??」

という姉女王に

「もちろん!」

と頷く 息子。

 

「うん!美味しいよ!」

の女王の声に、ようやく安心した笑顔で、自分も食べ始めた。

 

修行3回目の今日は レンジのボタンは忘れたが、ラップから肉を出せて、コンロの火をつけられるようになって、ケチャップ味に挑戦した。

 

女王にも喜んでもらえた。

 

良かったね。

 

ところで、教えている師匠に、まだ出来上がった肉を「食べて欲しい」と1度も持ってこないことが 若干 腑に落ちないんだけどなぁ。

雨の前日の気分転換

お題「気分転換」


明日が雨だと天気予報でいうので その前日に、病院へ定期検診をしに行った。


病院へは 1人で行く。


1人の時間が持てるから、病院通いは嫌いじゃない。


いつもは車で行くが、その日は 夫が車を使っていたから 電車で。


子どもが産まれてから、電車に乗る機会がめっきり減った。


その行動が少なくなると、脳は衰えてしまうのだろうか。


少し前に、子どもを連れて電車に乗ったら 乗り換えは間違えるわ、逆方向の電車に乗るわで 到着予定時刻を大幅に過ぎてしまった。


誰かと待ち合わせをしていなかったというのが、不幸中の幸い。


不幸中の幸いだけれど、自分の脳の衰退加減が恐ろしくなった。


でも今回の病院へは 乗り換えなしで、4駅乗るだけ。いくらなんでも大丈夫さ。


田舎の昼前の電車は空いている。


子どもがいないので、お喋りすることも、時間を気にすることもしなくていい。


何とはなしに 外の景色を見たり、中吊り広告を見たり、前に座っている人を見たり。


気候も良くて、穏やかで。


あぁ、気持ちがいい。


診察もすんなり終わり、駅にやってきたが、このまま帰宅する気になれなかった。


駅前の店たちが、私を呼んでいる。


私の意識がロックオンしたのは、広すぎず狭すぎずのちょうどいい本屋。


ちょうどいい広さの本屋を ゆっくり見ながら、単行本を3冊選ぶ。


本屋でのセルフレジなるものを、あわあわしながら初体験。


入ったときには気づかなかった、出入り口の雑貨コーナーを出る前に一周り。


そこにあったスイカ柄のTシャツをみながら、スイカが大好物の小4の娘は このTシャツも好きかしらと、ふと思った。


帰りの電車内は、学生が多かった。


黒いズボンに白いブラウスの制服の男の子たちをみながら、ウチの中1の息子が着たら どんなかしらと想像した。


最寄りの駅に着いて 階段を下りていたら、私の前にいた人が 真っ赤な上着に真っ赤な靴を履いていた。


赤が大好きな小2の息子がみたら「なんてカッコイイんだ!」と喜んだはず。


あら、いけない。夫を想像するのを忘れたわ。


そして、実は 帰りの電車を乗り間違えた。


病院の最寄り駅は2社の路線が入っていて、違う路線の改札をルンルン気分で入り、直後にUターンという失態。


これさえなければ、完璧な気分転換になったのだが・・ズボラは詰めが甘い。