少し前から、私が中学生まで住んでいた家の整理に、不定期で来ている。
母が「いつか誰か住むかも」と言って、そのままにしていた築50年以上の小さな家は、誰も住むことなく、物置小屋と化している。
家の中には、私や妹の学生時代の教科書やら、マンガ本、古くなった布団、食器などが、わんさか。
ごみ捨て場にも何十往復、リサイクルショップにも。
しかし、この家を処分しなかった、母の言う「いつか誰か住むかも」の理由は、表向きだと思っている。
本当の理由は、この家は、母の誇りなのだ。処分できるはずがない。
「この家は、私の貯金で買ったものなの。親にも頼ってないのよ!」
「ウチのお父さんは、一銭も出さないのに、当たり前みたいに住んでたし!」
父の前では言わないけれど、何度となく、母は私に言った。
「20代女性が家を買う」今では、そうでもないだろうが、50年以上前は、珍しかったと思う。
母の父親(いわゆる私の祖父)が
「社会的地位が低い女性こそ、自分だけの家(財産)をもて」
「女性1人で生きていくことになっても、雨風をしのげる家さえあれば、何とかなる」
という考えを受けてのこと。
そんな母の誇りの家は、私にとっても、生まれてから中学生までの、濃い思い出がギュッとつまっている家でもある。
ずいぶん、家の中が片付いてきた。
片付けてしまった形ある思い出は、誰にも片付けられない、取られない、私の頭の中に移行しよう。
それがいい。
まぁ、それにしても、古本屋さんに出張買い取りをお願いしたけれど、雨降りのせいか遅いなぁ。
この食器も、リサイクルショップに持っていこう。売れるかなぁ。
売れたら、お小遣いにしちゃうんだぁ!いくらになるかなぁ。
お母さん、申し訳ない。娘は、あなたの誇りより、現金の魅力に取り憑かれております。