子どもの姿は、そのまま親の姿・評価である。世間は、そう思う。
例えば、箸のあげさげ。
子どもがおかしければ「まぁ、みっともない」そしてすぐ「親の躾がなっていないから」と思われる。
子どもの言動、着ているもの、持っているもの、学力・・そのすべてが親の評価が一緒についてくる。
かくいう私も、そう思っている。
歯磨きも、そう。「虫歯は親の責任」そうだよね。たしかに。幼い子供は特に。
私も、泣き叫ぶ我が子を仰向けにさせて 押さえつけながら歯磨きをさせた。
嫌がる子どもは、口を開かない。どこまで、みがけているのか分からない。
でも「私は、歯ブラシを 子どもの口に突っ込んだ」
「私は、子どもの歯磨きはしたのだ」
「私は、躾を怠る悪い母ではない」
「子ども虫歯にさせては可哀想」といいながら その実「私は、子どもの歯磨きをする いい母親である」と自分への安心感が欲しかった。
それだけ苦戦しながら日々みがいても、定期検診で「ココが磨けていない」「アソコに汚れている」「歯茎が傷ついている」と言われる。
「そりゃあそうだろう。毎度、虐待もどきの状態で、指を噛まれながらの歯磨きだもん」
「あれで、完璧に磨けていたら 今頃 わたしゃ、ブラックジャックも真っ青の歯科医にでもなってるさ」
という悪態をのみこんで「なかなか、歯磨きしてくれなくてぇ~」と、せめてもの言い訳。
しかし、何故か 歯医者にくると おとなしく口を開けて「いつも、お利口ね~」と 若くきれいな先生に言われて ニヤケている我が子。
私のせめてもの言い訳が・・説得力なし。
でも、そのとき気付くべきだった。何故、家になると歯磨きを嫌がるのか?歯医者では嫌がらないのか?
「ウチの子、外面はいいんだから!!」私は、そう思っていたが 違ったのかも。歯医者さんは怒らないからかも。
待合室にはオモチャがあって、診察は誉めながら、安心させながら。口を開かないなら、無理はさせない。「ちょっとでも開けて偉いね」
我が子は、現在 10才・7才・5才。
歯磨きを嫌がることはないが 好きになったわけでもない。
私が「やれ」と言わねばやらない。
歯科医から、仕上げ磨きは小学校卒業まではするように言われたが 10才には もう何年もしていない。
7才と5才の仕上げ磨きも、したりしなかったり。
羽交い締めにして、指をかまれて、あれだけ 頑張った過去は 何だったのか?
「食事後の歯磨き」それを教えるだけに、あそこまでする必要はあったのか?
もう少し、おおらかに構えてもよかったのかも。
人によって 虫歯になりやすいなどの体質もあるから、上記の記事は賛否あるだろう。
しかし、歯磨きにせよ、なにかを教えるとき「子どものため」と言いながら、実は親の自己満足や見栄でないかと、自身が足を止められる 1つの意見かと思った。