今週のお題「わたしの節分」
私の招き入れたい福は『差別がなくなる福』
「お前ごときが何を偉そうに」
そうだよね。だが、まぁ聞いてくれ。お喋りおばちゃんの戯言を。
1週間くらい前、街頭の大型モニターで流れるニュースをぼんやり見ていたんだ。
アメリカだったかな?男性芸能人が襲われたというニュース。
被害者の男性芸能人を見たのは、初めて。
写真では、まだ若く見える彼は 自分が同性愛者だと以前に公表したのだという。
彼を襲った人物は、差別的な言葉を叫びながら暴行を加えたと報じていた。
現地では、この手の犯罪が増えているらしい。
私には、同性愛者というだけで どうして忌み嫌われるのかが分からない。
被害者の彼が、過去に一方的に暴力をふるったとかいうなら話は別だが。
「アンタが当事者、近しい人間じゃないから呑気なことが言えるのよ」と言われれば、仰る通り。
でも、自分の子どもが「同性が好き」「自分の性に違和感がある」と言っても私は応援する。
誰かを好きになれるなんて ステキだ!
自分のことが自分で分かるなんて、それを認めるなんて勇気がある‼️スゴイよ。
誰かをイジメたり、暴力をふるったなんてより ずっとずっといい。
同性愛に限らず「差別」って「自分と違う」って感覚から始まる。
その違うことに「それ、いいね」ってなるか、ならないか。
色々な悲しい事件の根底は「差別」から始まることが多いように思う。
そして 色々な悲しい事件は、たいてい大人が起こす。
「自分がされてイヤなことは相手にしちゃいけません」
5才の息子に言い聞かす言葉。
「みんなちがって みんないい」
NHKの教育テレビの子ども向け番組でながれてた。
「自分にされてイヤなことは相手にしちゃいけません」「みんなちがって みんないい」って、そんなに難しいことかな?
これから 思春期を迎える我が子に、こんな差別の渦に入っていく我が子に 母として何ができるだろう。
ニュースの被害者の彼に親はいるだろうか。親は、被害者になってしまった彼をどう思ったろう。世の中を、どう思ったろう。
私なら、正気ではいられない。
「うちの子どもが、なにしたっていうんだ‼️」そう叫ぶだろう。
鬼を追い出し、福を招き入れたい。そう思ったわけだ。