吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

防御策のメモ

現在、子どもたちのものが入っている棚の一部に、下記のようなメモが貼ってある。

 

メモを貼った主は、小5の娘(上)と、小3の息子(下)。

 

 

ぜったいにあけるな!

あと、さわるな

ぜったいにだぞ!!

ぜったいにだぞ

もしやったら、ぜったいにゆるさないからね!

なかみは、ふうせんだよ

 

 

びょういんからもらったふうせんであそばないでね。

 

数日前に診てもらった病院で、娘と息子は風船をもらった。

 

これを、ふくらませて、ボールのように手ではじいて、部屋で2人で遊んでいる。

 

ごくごく一般的な遊び方だが、今、これが楽しくて仕方がないよう。

 

キャーキャー言いながら、ここ数日、1時間ちかく風船を追いかけている。

 

この大事な風船を、自分たちが寝たあと、昼夜逆転中の、中2兄に取られぬため、小5&小3の考えた防御策が、あのメモ。

 

これを書いておけば、後で「知らなかった」とか言われて逃げられないようにと。

 

しかし、ちょっと考えれば、中2男子が風船に興味があるか?いう話だけど。

 

案の定、兄は、そんなメモには目もくれないし、風船にも。

 

だが、小5と小3の妹弟は、気が気ではなかったのだろう。

 

何故、気が気ではないのか。

 

それは、過去、明日も残っているだろうと思った夕食のおかずが、翌朝無かったとか。

 

明日食べようと思っていた、お菓子が無くなっていたとか。

 

自分のものだと思っていたシールが無くなって(捨てられて)いたとか。

 

あれが無くなっていたとか、無くなっていたとか、無くなっていたとか。

 

犯人が全て兄ではないし、親だったり、自分も犯人になったりなのだが、そんな中で生まれた防御策はあのメモというわけで。

 

それにしても、このメモ、全部、見事にひらがなだぁ。

 

もう1人は、ひらがなも書けず、四苦八苦。

 

まぁ、いいか。

 

子どもは、元気に生きてるだけでいい。

 

いつか、この字が笑い話になったらいい…なぁ。

固定観念

お題「思い切ってやめてみた事」

 

三角コーナーをやめた。

 

台所のシンクの角にある、三角形のゴミ箱のあれである。

 

あるとき「ゴミは、排水溝のゴミ受けで良い」という記事を見つけ、それがやめたキッカケ。

 

それは、目から鱗だった。

 

以前から、シンクを洗うのに、三角コーナーは邪魔であった。

 

ゴミを集めるにも、三角コーナーと排水溝と2ヶ所。

 

そうだよ!考えてみたら、リビングにもゴミ箱は1つ。

 

なのに、狭い台所シンクに、2つのゴミ箱はいらないよなぁ。そうだ。そうだ。

 

早速、取っ払ってみたら、これが快適。

 

シンク広く使えるし、シンクを洗うのも邪魔するものがない。

 

三角コーナーの網目に詰まったゴミを、歯ブラシで掃除する手間とも、オサラバ。

 

私みたいな、ズボラが、何故こんなことに気付かなかったのか不思議なくらいである。

 

「シンクには、三角コーナーが置かれているもの」当たり前。

 

実家にもある、学校の家庭科室にもあった、友達の家にも。

 

しかしながら要は、必要かどうか考えたことすらない、長年の固定観念が、三角コーナーを長らく鎮座させていたのだ。

 

いやぁ、固定観念って怖い。

 

いや待てよ、ウチは、三角コーナーより先に、登校をやめてたわ。

 

三角コーナーをやめるより、登校をやめる方が簡単…いやいや、まさか、そんなことは…。

 

固定観念、怖い。

 

頭は、柔軟にしたいものだ。

酢ヲ愛ス

年々、私、お酢が、酸っぱいものが、好きになっている。

 

しかし、子どもの頃は、お酢は好きではなかった。

 

何故なら母が、お酢が好きだったから。

 

母が焼きそばを作る。作るのはいい。有り難いのだが

お酢をかけないの?」

「美味しいからかけなさいよ!ほらぁ」

と言って、返事をする前に、私の焼きそばに、お酢をまわしかける。

 

ハッキリ言って、子どもの私には、全然美味しくない。いや、まずい。

 

母は、焼きそばに飽きたらず、野菜炒め、中華丼、タンメンにも同じように、問答無用でお酢攻撃を発動。

 

何てことをしてくれるのだ。

 

かける前までは、美味しかった料理なのに。

 

母としては親切心。

 

子どもの私にはありがた迷惑。

 

それを、母に分かってもらうまでに、数年かかったほどだ。

 

しかし、その毛嫌いしていたはずのお酢が、好きなものとしてDNAには組み込まれていたらしい。

 

30代のころから、年々、私の身体で目覚めていった。

 

最初は、ポン酢。

 

焼きさんま+ポン酢の美味しさに気付き、サラダにも揚げ物にも、ポン酢。

 

はては、ご飯にポン酢をかける始末。

 

しかし、酸っぱさが、酸っぱさが足りない。

 

もっと他の料理にも…!!

 

子どもの好きな、マヨネーズ味の、ツナマヨサラダ、ポテトサラダにも、少量のお酢を入れると、味が締まる気がする。

 

簡単な浅漬けにもお酢

 

あれだけ嫌いだった焼きそばにも…子どもにはかけず、自分が食べる分のみお酢をドバドバ。

 

よって、我が家のお酢は、1.8Lのものを買っている。

 

買ってきた野菜、すべて酢漬けにしてみたら、どんなに素敵だろうと、野菜室をのぞいて妄想する私は、変ですかぁ?

神がいた

たまに、小3の息子が通うフリースクールから、電話がある。

 

この電話は、出る前から、かかってくる理由は分かっている。

 

「息子さんが、機嫌が悪くて、帰りたいと言っています。迎えに来て頂けませんか」

もしくは

「閉室時間なのですが、息子さんが寝てしまって起きません。迎えに来て頂けませんか」

の2択。

 

フリースクールに通い始めた頃は、月に2~3度こんな連絡があったが、最近はめっきり減った。

 

それが今日、夕方にフリースクール近くの駐車場で、息子の帰りを待っているとき、電話がきた。

 

今回は「寝てしまって~」の方。

 

やれやれとフリースクールに行ってみると、部屋の隅のソファーで、寝転んでいるのが見えた。

 

ソファーのそばには、息子が親友と言って慕う、フリースクールスタッフがいた。

 

親友と言っても、たぶん息子より15~20才くらい年上。

 

その年上の親友スタッフが「起きようよ~」「みんな帰っちゃうよ」と必死に息子をなだめていた。

 

その必死の声に、息子の返事は「眠いんだよ!」の一点張り。

 

今日のは、時間がかかりそうなパターンだ。うわぁ…ヤバいやつだ。瞬時に悟った私。

 

案の定、私が何を言っても「眠いんだよ」と繰り返すだけで、いっこうに動く気配なし。

 

親友スタッフが

「じゃあさ、お母さんに車を、公園じゃなくて、フリースクールの前に停めてもらおうか」

と提案したので、ひとまず、私は公園の駐車場から車を動かすことに。

 

私がフリースクールを出ていくときも「眠いんだよ!」と相変わらずの息子の声。

 

さて、どうしたものか?

最悪、スタッフと息子を引きずっていくかぁ?

いやいや、階段もあるし…何かうまい誘導文句は…

全く手立てが、私には浮かばない。

 

こういうとき、ベビーカーやら、おんぶできた時代は、強制的に押し込めたがなぁと懐かしんでみたものの、さて困った。

 

と、5分後に車をフリースクール前に停めて戻ってみると、はたして息子は起きていた。

 

親友スタッフに「ここのゲームのやり方ってさぁ、どうするの?」と尋ねられ、得意気に教えていた。

 

いったい、これは…どういうこと??もうこれは見事というしか。

 

何1つ息子に強制させず、機嫌もきっちり治して、息子は、フリースクールのドアを開けて車に乗った。

 

息子の親友は、私にとって、神になった。

 

こりゃあ、足を向けて寝られない。

息子、服を着る

小3の息子が、進化した。

 

ここ3~4年、誰が何と言おうと、自宅では一糸纏わぬ姿で、春夏秋冬過ごしてきた息子。

 

それが、数日前から、自宅で、半ズボンと、長袖Tシャツを着ている。

 

きっかけは、慢性の鼻炎が酷くなって、両鼻がつまり「息ができない!!」と、夜中に泣き叫び、散々な思いを数日したから。

 

ほうほうのていで受診した耳鼻科で「普段から暖かくして」とアドバイスを受け、本人も服を手に取ったという次第。

 

薬が効いて、症状は良くなったが、元の姿に戻ることなく、服を着続けている。

 

これ、何かに似ている。

 

そうだ。学生時代の教科書に載ってた、猿から人への進化の図。

 

この息子の進化、まだ、下着を着けるという域にまでは、たどり着いていない。

 

幼少期には親に着せられていた服を、自分の意志で脱ぎ、そしてまた着るようになった彼の服の歴史は、この先、どう進むやら。

 

そういえば、人類は、服を着てから、下着を着けるまで、どのくらいかかったのだろう?

 

さて、息子は、下着を着けるのか?自宅で、服を着続けるのか?さぁて。

さんまのからくりテレビ

お題「人生で一番笑った番組は?」

 

さて何だったろう?と考え、思い浮かんだのは「さんまのからくりテレビ」

 

他には…と考えてみたが、やはりこれを越えるものが、私にはない。

 

番組のほとんどが、素人を主役にしたもので、下は幼稚園児から、上は100才以上。

 

酔っぱらいにクイズを出題したり、幼稚園児の恋物語を追いかけたり、遠くの家族へのビデオレター、英語の質問に英語でしどろもどろで頑張って答えるイケイケの若者…。

 

クスリと笑える人から、想像の斜め上をいく受け答えをする人まで。

 

世の中には、面白い人が、こんなにもいるものかと感心した。

 

番組が始まった頃は、まだ私も20代で、それほど親ともベタベタしなくなった時期。

 

だが、毎週日曜には、この番組を家族全員でみて、ひとしきり笑っていた。

 

その毎週あった番組が終わり、特番はあったのだろうか。

 

仕事やら子育てが忙しく、見ないまま数年が過ぎて、去年だったか、YouTubeで「からくりテレビ」のコーナーだった1つをみつけた。

 

久しぶりにみたら、大笑い。

 

あまりに私が笑うので、子どもたちも何だ何だと寄ってきて、子どもたちも大笑い。

 

人間関係いろいろあるけれど、それでも人って面白いなぁ、かわいいなぁと思える番組が「さんまのからくりテレビ」

母の誇り

少し前から、私が中学生まで住んでいた家の整理に、不定期で来ている。

 

母が「いつか誰か住むかも」と言って、そのままにしていた築50年以上の小さな家は、誰も住むことなく、物置小屋と化している。

 

家の中には、私や妹の学生時代の教科書やら、マンガ本、古くなった布団、食器などが、わんさか。

 

ごみ捨て場にも何十往復、リサイクルショップにも。

 

しかし、この家を処分しなかった、母の言う「いつか誰か住むかも」の理由は、表向きだと思っている。

 

本当の理由は、この家は、母の誇りなのだ。処分できるはずがない。

 

「この家は、私の貯金で買ったものなの。親にも頼ってないのよ!」

「ウチのお父さんは、一銭も出さないのに、当たり前みたいに住んでたし!」

 

父の前では言わないけれど、何度となく、母は私に言った。

 

「20代女性が家を買う」今では、そうでもないだろうが、50年以上前は、珍しかったと思う。

 

母の父親(いわゆる私の祖父)が

「社会的地位が低い女性こそ、自分だけの家(財産)をもて」

「女性1人で生きていくことになっても、雨風をしのげる家さえあれば、何とかなる」

という考えを受けてのこと。

 

そんな母の誇りの家は、私にとっても、生まれてから中学生までの、濃い思い出がギュッとつまっている家でもある。

 

ずいぶん、家の中が片付いてきた。

 

片付けてしまった形ある思い出は、誰にも片付けられない、取られない、私の頭の中に移行しよう。

 

それがいい。

 

まぁ、それにしても、古本屋さんに出張買い取りをお願いしたけれど、雨降りのせいか遅いなぁ。

 

この食器も、リサイクルショップに持っていこう。売れるかなぁ。

 

売れたら、お小遣いにしちゃうんだぁ!いくらになるかなぁ。

 

お母さん、申し訳ない。娘は、あなたの誇りより、現金の魅力に取り憑かれております。