吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

時が止まっている場所

子ども3人が不登校になって、長い子で4年、短い子で3年。

 

さて、半年ほど前のこと、中2息子の担任の先生から

「息子さんの様子をみたいので、動画か、写真で、本人を撮影して欲しい」

と電話があった。

 

確かに、担任の先生は息子の顔をみたことがない。

 

了承して

「で、その写真なり、動画なりを、学校のメールアドレスにでも送付すれは良いですか?」

と、私は尋ねた。

 

すると

「いえ、その画像を持って、学校へ来て、私に見せてください」

 

その先生の言葉を、私は再度、脳内でおさらいした。

 

携帯で撮影した息子の画像を、

私がその携帯を持参し、

学校へ足を運び、

先生に、持参した携帯を渡して、

その画像をみてもらう。

 

これが煩わしくて、人間は、ネットを開発し、随分前から、活用しているんじゃなかったっけ??

 

脳内で、数秒おさらいをして、脳が、我が口に命令したであろう、返事の第1 声は

「・・・へっ???」

だった。

 

先生は

「お渡しすべき、お手紙も、たまっていますので、いらしてください」

と、申し訳なさそうに言った。

 

「お渡しすべき、お手紙 」

というのは、登校している生徒たちには、既に渡した手紙である。

 

数ヶ月前に終わった、保護者会とか、校内イベントのお知らせとか。

 

押印とか、サインしなくてはならない手紙以外、廃棄してくれと頼むのだが、そうはいかないらしい。

 

「手紙を取りにきてくれ」

の電話は、不登校になってから、中学校に限らず、小学校からも、数か月に1度ある。

 

私は分刻みで働く、一国の首相でも、世界を股にかけるCEOでもないので、数ヶ月に1度、小学校と中学校を来校するくらいの時間をとれないことはない。

 

とれないことはないけれども、ハッキリ言って面倒だ。

 

受け取った手紙の束は、申し訳ないが、ザッとみて、1~2分後にはすべて廃棄している。

 

学校が古い手紙を渡す理由は、何となくわかる。

 

後で

「皆がもらった手紙を私にくれないのは、差別だ!」

「そんな話、聞いていない!」

という保護者もいるからだろう。

 

実際に担任の先生と言葉を交わし、学校の雰囲気をみて

「あら、いい学校、いい先生じゃない」

と思うこともあるだろう。

 

それにしたって、このネット環境が整った時代に、学校だけは、昔同様、とにかく学校に足を運ばなくてはならない。

 

そして、極めつけは、斜線だけが書かれた通知表を取りに行くこと。

 

ハッキリ言おう。

 

PDFででも送ってくれ。

 

新学期がもうすぐ始まる。

 

過去の経験から、小中学校から、それぞれ

「お渡しすべきお手紙」

の呼び出しがある。

 

新学期は、そのお手紙に返事を書いて、もう1度渡しに行かねばならない。

 

最近、学校の連絡ツールは、国の重要無形民俗文化財にでも指定されているのではないかと、本気で思う。

 

そうであれば、諦めがつく・・・気がする。