時が止まっている場所
子ども3人が不登校になって、長い子で4年、短い子で3年。
さて、半年ほど前のこと、中2息子の担任の先生から
「息子さんの様子をみたいので、動画か、写真で、本人を撮影して欲しい」
と電話があった。
確かに、担任の先生は息子の顔をみたことがない。
了承して
「で、その写真なり、動画なりを、学校のメールアドレスにでも送付すれは良いですか?」
と、私は尋ねた。
すると
「いえ、その画像を持って、学校へ来て、私に見せてください」
その先生の言葉を、私は再度、脳内でおさらいした。
携帯で撮影した息子の画像を、
私がその携帯を持参し、
学校へ足を運び、
先生に、持参した携帯を渡して、
その画像をみてもらう。
これが煩わしくて、人間は、ネットを開発し、随分前から、活用しているんじゃなかったっけ??
脳内で、数秒おさらいをして、脳が、我が口に命令したであろう、返事の第1 声は
「・・・へっ???」
だった。
先生は
「お渡しすべき、お手紙も、たまっていますので、いらしてください」
と、申し訳なさそうに言った。
「お渡しすべき、お手紙 」
というのは、登校している生徒たちには、既に渡した手紙である。
数ヶ月前に終わった、保護者会とか、校内イベントのお知らせとか。
押印とか、サインしなくてはならない手紙以外、廃棄してくれと頼むのだが、そうはいかないらしい。
「手紙を取りにきてくれ」
の電話は、不登校になってから、中学校に限らず、小学校からも、数か月に1度ある。
私は分刻みで働く、一国の首相でも、世界を股にかけるCEOでもないので、数ヶ月に1度、小学校と中学校を来校するくらいの時間をとれないことはない。
とれないことはないけれども、ハッキリ言って面倒だ。
受け取った手紙の束は、申し訳ないが、ザッとみて、1~2分後にはすべて廃棄している。
学校が古い手紙を渡す理由は、何となくわかる。
後で
「皆がもらった手紙を私にくれないのは、差別だ!」
「そんな話、聞いていない!」
という保護者もいるからだろう。
実際に担任の先生と言葉を交わし、学校の雰囲気をみて
「あら、いい学校、いい先生じゃない」
と思うこともあるだろう。
それにしたって、このネット環境が整った時代に、学校だけは、昔同様、とにかく学校に足を運ばなくてはならない。
そして、極めつけは、斜線だけが書かれた通知表を取りに行くこと。
ハッキリ言おう。
PDFででも送ってくれ。
新学期がもうすぐ始まる。
過去の経験から、小中学校から、それぞれ
「お渡しすべきお手紙」
の呼び出しがある。
新学期は、そのお手紙に返事を書いて、もう1度渡しに行かねばならない。
最近、学校の連絡ツールは、国の重要無形民俗文化財にでも指定されているのではないかと、本気で思う。
そうであれば、諦めがつく・・・気がする。