吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

欲しい言葉

「どうして、私は 家事がスムーズにできないのだろう?」


「どうして、私の家は こんなに汚れているのだろう?」


「お母さんは、もっと手早くやっていたのに。実家はもっときれいだったのに」


「お母さんは、もっとちゃんとしたご飯をつくっていたのに」


「どうして私はできないのだろう」


ここ最近、自分にはできないと諦めがついた家事だが 随分と長い間、私は上記のような呪縛で 自分を勝手に縛り付けていた。


少し前に、何かの記事で

「今のあなたと、母親との家事の精度を比べてはいけない」

「あなたが覚えている頃の家の中は、育児が一段落したころだ」

「育児が最も大変なときの家の様子を、あなたは小さくて覚えてはいないのだから」


そうかもしれないと思った。


母親と比べたり、ママ友と比べたり、ブログや雑誌にとりあげられるママと比べたり。


汚いことも、できないこともわかっている。


きちんとしたい。そういう気持ちも十二分にある。でも、できないのだ。気持ちだけが空回る。


皿を1枚洗うこと、洗濯物1枚干すことが、信じられないくらい時間がかかる。


これも、何かの記事だったか。育児を会社の仕事にたとえたものがあった。


「コピーを頼まれ、自分の席を立ち 歩いて3~4歩さきのコピー機まで行く」

「その3~4歩の間に、突然 床が割れ足を取られる」

「やっとの思いで這い上がったら、目の前にヤギがいてコピーする書類を食べ始める」

「ヤギから書類を奪うが、ボロボロの書類をまた1から書き直さなくてはならない」

「机に戻ったら、PC・筆記用具がすべてなくなっていた・・・」

「この信じられない事態が無数に1日中、何年も繰り返される」

「これが育児だ。これを会社で毎日やっていられるか?」

「この繰り返される事態のなか”仕事が遅い”と言われてどう思うか?」と。


言いえて妙だと、ニヤリと笑ってしまった。


欲しいのは「大丈夫。そのままでいい」という言葉。


それと、「大丈夫。あとは全てやっておく」

「眺めのいいホテルをとっておいた。ゆっくり温泉にでもつかってこい」

「美味しいものでも1人で食べてこい」

「もちろん、オレの財布から払っておいた」

「携帯など鳴らすものか、なんなら携帯の電源を切っておいてもいい」

・・・えっと・・それから、それから・・。


妄想は果てしなく。