欲しい言葉
「どうして、私は 家事がスムーズにできないのだろう?」
「どうして、私の家は こんなに汚れているのだろう?」
「お母さんは、もっと手早くやっていたのに。実家はもっときれいだったのに」
「お母さんは、もっとちゃんとしたご飯をつくっていたのに」
「どうして私はできないのだろう」
ここ最近、自分にはできないと諦めがついた家事だが 随分と長い間、私は上記のような呪縛で 自分を勝手に縛り付けていた。
少し前に、何かの記事で
「今のあなたと、母親との家事の精度を比べてはいけない」
「あなたが覚えている頃の家の中は、育児が一段落したころだ」
「育児が最も大変なときの家の様子を、あなたは小さくて覚えてはいないのだから」
そうかもしれないと思った。
母親と比べたり、ママ友と比べたり、ブログや雑誌にとりあげられるママと比べたり。
汚いことも、できないこともわかっている。
きちんとしたい。そういう気持ちも十二分にある。でも、できないのだ。気持ちだけが空回る。
皿を1枚洗うこと、洗濯物1枚干すことが、信じられないくらい時間がかかる。
これも、何かの記事だったか。育児を会社の仕事にたとえたものがあった。
「コピーを頼まれ、自分の席を立ち 歩いて3~4歩さきのコピー機まで行く」
「その3~4歩の間に、突然 床が割れ足を取られる」
「やっとの思いで這い上がったら、目の前にヤギがいてコピーする書類を食べ始める」
「ヤギから書類を奪うが、ボロボロの書類をまた1から書き直さなくてはならない」
「机に戻ったら、PC・筆記用具がすべてなくなっていた・・・」
「この信じられない事態が無数に1日中、何年も繰り返される」
「これが育児だ。これを会社で毎日やっていられるか?」
「この繰り返される事態のなか”仕事が遅い”と言われてどう思うか?」と。
言いえて妙だと、ニヤリと笑ってしまった。
欲しいのは「大丈夫。そのままでいい」という言葉。
それと、「大丈夫。あとは全てやっておく」
「眺めのいいホテルをとっておいた。ゆっくり温泉にでもつかってこい」
「美味しいものでも1人で食べてこい」
「もちろん、オレの財布から払っておいた」
「携帯など鳴らすものか、なんなら携帯の電源を切っておいてもいい」
・・・えっと・・それから、それから・・。
妄想は果てしなく。