吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

迷いと決断と猫背

中学3年の夏。私は「普通高校に行こう。行く」と決断をした。

 

中学2年の秋から、私は1日も学校に行っていない いわゆる 登校拒否児童であった。

 

登校拒否のきっかけは、よくある話。人間関係である。

 

中学2年になって同じクラスになった友人2人と私を含めた3人が、仲良しグループであった。

 

今となっては、バカらしくて笑ってしまうが、当時 中学生の女子で仲良しグループに所属していないことは、いわゆる「死」を意味するほどの重大事項である。

 

「私は、このクラスのどこかに居場所がある。決して1人ぼっちではない」ということを対外的に示さねばならなかったのだ。

 

この3人グループで、移動教室もいっしょ。休み時間もいっしょ。給食もいっしょ。帰り道もいっしょ。いつもいっしょ。

 

3年生は、クラス替えなしの持ち上がりだから、このグループに入っていれば 残りの中学校生活は安泰だ!!そう思っていた。

 

ところが、6月になって ほかの仲良しグループから追い出された子が なんとなく仲間に入ってきた。


話してみると案外気が合うので、そのまま4人グループとなった。

 

最初は楽しかったが、そのうち 後から入ってきた子が 私の悪口を他の2人に言うようになった。


私に思い当たることはない。理由を尋ねても「そんなことは言っていない」の1点張り。

 

そのうち、悪口を聞かされていた2人も 私を避けるようになり 仲良しグループで3対1の構図になってしまった。

 

もともと「超」のつくほど大人しい私。「それなら他の仲良しグループに入ろう」と割り切って他をあたるなんてことはできるはずもない。

 

そうこうしているうちに、私の悪口はクラス中に広がった。

 

「うちのグループには来ないでね」そう 面と向かって言われたこともあったが、大多数からは無視をされた。

 

私はただただ黙ったまま、1言の反論もできないまま2学期の運動会のあとから 学校に行けなくなった。

 

中学2年の秋。高校受験のために1番大事な時期が始まっていた。

 

当時、いまほど「登校拒否」というのは浸透していなかった。学校に行かないというのは、いわゆる「素行の悪い生徒」「不良」がするものであるという私の周囲の認識であった。

 

事実、通っていた中学は3学年で500人近く生徒がいたが 不良でもないのに登校拒否をしていたのは、私1人だけ。周囲から見ると「奇異」な存在であった。

 

学校に行けなくなってからの朝は恐怖しかなかった。


目をギュッと瞑って、身体をこわばらせて布団の中にいる。眠っているわけではない。朝3時前から起きてそうしている。

 

「今日こそは学校へ行こう。いや、行かねばならない」でも、身体は岩のように動かない。怖い、怖い。助けて。

 

朝 起きないことに、母親が怒る。

「情けない」


「今がどんな時期か分かっているのか?」


「人間関係くらいで休んでいたら、この先の人生どうなる?」


「ご近所でなんて言われているか知ってるの?みっともない」

 

母に布団から引きずり出されても、私は必死になって布団をつかみ 泣きわめいた。

 

そうかと思えば、布団から起き上がれたが 制服がかかったハンガーの前で立ちつくし、震えが止まらず過呼吸になったことも。

 

母親が諦めて、学校へ欠席の電話をしてくれると 「今日は休める」と確定して少し安堵。

 

それでも「怠け者の恥さらし」と母に言われ続けた。悲しかったが、学校に行くより ましだった。

 

週に何度かの夜、私は塾へ行った。別に勉強が好きなわけではない。

 

登校拒否児のくせに塾に通えた理由は、塾には通学先の中学の生徒がいなかったから。


誰も私のことを知らないそこでは、誰も私をいじめない。私は、元気でおしゃべりなどこにでもいる普通の女の子になれた。

 

2学期と3学期の通知表は、すがすがしいものだった。オール1にくわえ担任からのコメント欄も空欄。私は他人ごとのように、それを眺めた。

 

母は怒り泣いた。そして「あなたを虐めたやつらが、普通高校に行けるのよ!?なのに、いじめられたあなたは このままじゃどこの高校にも行けないわよ!!」と言った。

 

母の言葉が、登校拒否になってから初めて 私の心に少しだけ ひっかかった。

 

中3の4月になって、市の施設で登校拒否の小中学生を対象に 今でいう「フリースクール」があることを母が聞いて、私はそこへ行くことにした。

 

私の生まれて初めて自分でおこなった「決断」だった。

 

そのフリースクールには、小学校低学年から中学3年までの女の子ばかりが3~4人。

 

フリースクールに出席した日は、学校を出席したとカウントされる。でも、来てもいい。来なくてもいい。遅刻してもいい。早退してもいい。勉強してもいい。しなくてもいい。

 

お互い自分のことを話さないが、同じ傷を心に負った者が集まるそこは、塾とは違う居心地の良さがあった。

 

フリースクールでのお昼は、もってきたお弁当をひろげて 生徒みんなで輪になって自分の好きな曲を録音したカセットテープを、かわるがわるに施設のカセットデッキで聴くのが恒例だった。

 

曲を聞きながら「これ、好きなの?私もすき」「聴いたことある。これ、なんて曲?」小さな声で遠慮がちに交わされる会話は、ぎこちなかった。でも、どこか安心感があった。

 

しばらくして、フリースクールのスタッフの人に「ここは中学3年までしか来られない」ことを聞かされた。

 

「あなたを虐めたやつらが、普通高校に行けるのよ!?なのに、いじめられたあなたは このままじゃどこの高校にも行けないわよ!!」母のあの言葉が思い出された。

 

私は、中学3年の6月に、保健室登校を始めた。フリースクールにはもう戻らない。自分で決めた。

 

保健室登校と行っても、生徒が登校が終わる9~10時ころに誰にも会わないように私は登校し、授業が終わり休み時間になる前に帰る。ものの数十分の滞在時間。

 

それでも、必死に手を通した制服は鎧を着たかのように重かった。学校へ行く足は震えた。それでも、学校へ歩いた。


立ち止まったら、来た道を振り返ったら、もう登校は二度とできなくなると思ったから。

 

普通高校へ行きたいと思った。塾での私のように、フリースクールでの私のようになりたいと思った。

 

2学期から教室に入って、皆と同じ時間に登下校をした。教室に入った初日の光景は、いまだに覚えている。

 

「私の席はどこ?」そう言ったら、しばらく教室中があっけにとられた顔をしていたっけ。

 

数か月ぶりに戻った教室は優しくなかった。中3の2学期。高校入試まであと半年きったこの時期。

 

小テスト1つに、隣の人間が何点取ったのかが気になって仕方ない。1人でも多く蹴落とさなくてはいけない。ライバルを減らさなくては。教室がピリピリしていた。

 

「休んでいた間、塾には通っていたんだって?」

「学校に来ない間、塾の勉強ができてよかったよね~」

「テストの点がよくても、休んでいたから普通高校は無理でしょ?まさか受験なんてしないよね?」

 

私は、心を持たないロボットになることにした。


どんなときも背筋を伸ばした。


涙が出そうなときは、口を真一文字にして歯をこれでもと かみしめた。


周りにいるのは、人間ではない。カボチャかスイカだと何千万回も思い込んだ。


その頃、フリースクールの子たちが全員学校に戻ったと聞いていた。


きっと、今 彼女たちも歯をくいしばっているはず。

 

私は、ここの生徒が誰もいない普通高校に行きたかった。どうしても行きたかった。

 

当時、少し遠くの私立中学に通っていた妹が 自分の隣の学校がいいのではないかと勧めてくれた。

 

見学に行った。誰も私をしらない遠い学校。雰囲気も一目で気に入った。


「登校拒否していなかったら、こんな偏差値の低い学校なんて・・」と言っていた母も、気に入ってくれた。

 

入試の日は、父が 私の知る限り初めての有休をとって一緒に行ってくれた。

 

心配性でせっかちな父は「もし、当日交通機関が止まったら大変だ」と、夜中に起こされて 夜も明けぬ頃に学校に到着をしてしまった。

 

学校の守衛さんが「いくらなんでも早いよ」と笑いながら 父と私に守衛室でコーヒーを出してくれた。

 

あまりに早く家をでてきたものだから、入試が始まるころには、お腹が空いて空いて「グーグー」と派手にお腹の音をならしながら問題を解く羽目にもなった。


でも、そんなことは気にならなかった。守衛さんのコーヒーとお喋りが良かったたようだ。


私がペーパー試験を受けている時間、父は別室で親の面接を受けていた。

「お前もか?お父さんも、お腹がなるのを止めるのが大変だったよ」と、昼になって講堂で母の作ってくれたお弁当を食べながら2人で笑った。


昼休憩をはさんで、今度は子どもの面接。緊張しなかった。「何でも答えてやる」と腹がくくれた。父と笑いながら食べた弁当が良かったようだ。

 

そして、しばらくして合格通知が来た。

 

もう中学校には用はなかったが、意地で休まずに最後まで登校した。


最後まで、誰も私に謝らなかった。


卒業式は出席したはずだが覚えていない。覚えているのは、その日のうちに中学校のものをすべて捨てたこと。サイッコーに気持ち良かった。


高校は、制服も気持ちも 羽のように軽かった。毎日、お腹をかかえて笑った。


お陰で、猫背になってしまった。



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