吾輩はズボラなるままに

16才、中2、小6の3児の母です。子ども全員ベテランのニート&不登校。親子共々、ズボラ万歳で過ごしています!

早寝早起きの訳

不登校児あるあるの中で『昼夜逆転』は、あるある中のあるある。

 

同時にこれは、不登校保護者のお悩みトップ3に入る、あるある中のあるある。

 

16才息子も、この昼夜逆転になって、だいぶ経つ。

 

私も、最初は悩んだ。

 

悩んでいたときに参加した、不登校保護者の会で、こんな話が出た。

「やりたいことがある、やらねばならないことがあるから、たいていの人は、朝(決まった時間)に起きるんです」

「皆さんも、休みの日に起きる時間が遅くなったりしませんか?」

 

なるほど。

学校に行かないのなら、朝起きる必要ないわな。

 

そう言われて腑に落ちてから、息子の起床・就寝時間が気にならなくなった。

 

一旦気にならなくなると、時間どころか、寝る場所も気にならなくなる。

 

居間の床で寝ていようが、ソファで寝ていようが。

 

布団の1枚でも掛けていれば、どこで寝ようが、いつ寝ようが。

 

これも、不登校あるあるなのだが、不登校児は外に出ないので、菌をもらうことが少ない。

結果、あまり病気にならない(もちろん個人差あり)

 

仮に風邪などをひいたところで、治すための時間は、たっぷりある。

 

そんな訳で、大手を振って昼夜逆転ができるようになった息子の起床・就寝時間は、毎日バラバラになった。

 

2度寝、3度寝は当たり前、徹夜しようが、24時間睡眠しようが、無問題。

 

そんな息子が、最近、私より少し前に寝て、私よりだいぶ早く起きていることに気づいた。

 

私としては、そういう時間割になったのかと、気にもとめていなかった。

 

だが昨夜、何の気なしに

「もう寝るの?最近、朝も早いよね。早寝早起きなんて偉すぎ〜!私にゃムリだね〜」

と、寝室に向かう息子の背中に、冗談めかして言った。

 

そう言われた息子は、振り返り、ちょっと面倒くさそうに

「だって、洗濯を朝7時にしないといけないからなぁ」

 

息子に、洗濯を頼んだ覚えはない。

 

私が洗濯を頼んだのは、夫である。

 

その夫も、ほぼ毎日していたが、息子がすることが多くなって、最近はしていない。

 

でも、息子がしていないときはしてくれる。

 

そのことを話すと

「いや、あれ(父の洗濯方法)では、洗濯物が乾かないんだよ」

「それに、お母さんが朝7時前は近所迷惑だから、洗濯機をまわすな!って言うから、7時に合わせて早く起きてんだよ」

と、少し口を尖らせた。

 

確かに、朝3時にまわしたことがあって、古い集合住宅で、それほど静かにまわってくれない我が家の洗濯機のこと、注意はした。

 

それに、朝7時というのは、洗濯開始必須時刻のことではない。

 

しかし、息子の答えは

「7時に始めなきゃ、今の時期は乾かないんだよ」

 

そういえば、息子は『洗濯物は、外干しすべし』という、こだわりをもっている。

 

要は、息子は洗濯が好きなのだ。

 

それを言うと、16才男子は真っ向から否定して洗濯をしなくなるかも…なので、言わぬが花。

 

『やりたいことがある、やらねばならないことがあるから、たいていの人は、朝に起きるんです』

なるほどなぁ。

あのときの言葉の答え合わせが、数年かけてできた。

 

そういえば、昨年亡くなった実父も、洗濯が好きで、外干し必須。

 

あまりに早い時間に洗濯機を回すから、よく母に叱られて

「◯時前には、洗濯機は回さないでちょうだい!!」

って、言われてたっけ。

 

これは父から孫へ、受け継がれし血…それとも…??

 

洗濯する息子の背後に白い影??いやいや、見えませんてぇぇぇ。

喧嘩するほど仲がいい

『喧嘩するほど仲がいい』

こんな言葉はあるけれども、実際、こういう相手がいる人って、どのくらいいるのだろう。

 

私は、相手に嫌な言動があると、心のシャッターが閉まる。

 

ちょっと閉まることもあるし、半分、完全に閉まることも。

 

多少開いていても、その後、そこから閉まることはあっても開くことは、ほぼない。

 

だから、1度喧嘩したら、仲良くなんてできない。

 

例外は、実妹のみ。

 

その妹とだって、喧嘩したのは、10代の頃が最後。

 

さて、小6息子は、最近、荷物が散乱している物置部屋を自室にして、フリースクールの同い年の友人と、夜な夜な楽しそうに長電話をしている。

 

隣の部屋まで聞こえるほどに、ゲラゲラ笑って、時々ちょっと汚い言葉と、興奮して奇声もあげたり、とにかくよく喋ること喋ること。

 

ゲームをしながら話しているらしく、そんなハイテンションで、長いこと電話ってできるものかと呆れるような、羨ましくなるような。

 

しかしながら、先日出掛けた際に、息子がボソリと、その相手のことで悩んでいると言う。

 

相手の軽口が、気にさわるのだそう。

 

「オレのこと、すぐ煽るんだよ」と。

 

相手に注意したらどうかと話すと

「そんなことは毎度言っている」

フリースクールのスタッフにも困っている旨を話して、注意してもらった」

「それでもやめないから、もうアイツとは距離をおく」

 

そう言いながら、数日経つと、また電話をしている。

 

今夜もそう。

 

いつものように、息子の大きな声が、廊下まで聞こえるので、立ち止まって聞いてみる。

 

「あのさぁ、そういう煽りがイヤだって言ってるよなぁ!」

「自分が、このくらい大丈夫って思う言葉なら、相手が大丈夫って、どんな解釈だよ!!」

「だからぁ、それは、そっちの考えだろ?」

 

相手の声も、少し聞こえているが、何を言っているのかまでは分からない。

 

しかし、息子の言葉から推測するに、相手も負けじと持論を展開しているらしい。

 

ここまで相手と話せているなら、先日の悩み相談は、そこまで親として危惧することはないかと、盗み聞きをやめた。

 

それから、数分後に部屋の前に来たとき、まだ電話は続いていた。

 

続いてはいたが、息子のおどけたモノマネのような声と、その後にすぐゲラゲラと笑い声。

 

中2娘の言葉を借りれば、息子は

「心のシャッターを、1度は全部閉めても、次に会うときには全開にして、その人に接する」

「全開のまま、良い方向に行けば良いが悪くなったとき、シャッターが全開だから防御にならずダメージも受けやすい」

「だから、昔はそれでよく地団駄を踏んで怒っていたのだろう」

「今は、シャッターの開け閉めが早くなったのか、まぁ防御方法を少し覚えたんじゃない」

 

そう分析した中2娘だったが、最後に

「あぁやって、シャッターを何度も全開にしたり、ハッキリ相手に注意できるって羨ましいよ」

とポツリと締めた。

 

確かに。

 

さぁそろそろ、夜も更けてきた。

 

息子の声の大きさを注意してこなければ。

 

私は、うるささと羨ましさを感じる部屋を、ノックした。

あのときの後ろ姿は、どんなだったかなぁ

  顔の広いママ友から、年に数回、ちょっとしたアルバイト依頼が、我が家の16才ニートの息子にくる。

 

ちなみに、そのママ友も、不登校児の保護者。

 

息子に、初めてアルバイトの依頼が来たのは、昨年のこと。

 

2日間にわたって開催される地域のお祭りの、ゴミの管理だった。

 

仕事内容は、出店で出された食器類などのゴミを、ごみ箱に捨てるよう、分別して捨てるように来場者に呼びかけたり、自らも落ちているゴミを拾ったり分別するというもの。

 

日当で7000円もらえるという。

 

「やってみたい!」

と、二つ返事の息子だったが内心は、随分緊張していたよう。

 

なんたって、小学6年から不登校、中学はその場所さえ知らず、高校も行く選択はしなかった。

 

自室に引きこもることはないが、毎日居間で漫画を読んだりゲームをしたり。

 

外出は、ほとんどしないし、家族以外の付き合いもない。

 

そんな彼だったが、生まれて初めての2日間のアルバイトを、やり通した。

 

バイト代は、その場で現金で渡され、そのお金の重みを胸に満足そうに帰宅した顔は、よく覚えている。

 

弟妹たちに、自慢もしていたっけ。

 

今年は、ママ友主催の講座と、昨年に引き続きのお祭りのゴミ管理で、2度アルバイト料をいただいた。

 

そしてまた、息子に、3度目のアルバイト依頼が来た。

 

ママ友と他数人が主催する、ワークショップのスタッフに来てくれないかというもの。

 

今回も息子は二つ返事で了承した。

 

ワークショップの場所は、自宅最寄り駅から電車で2つ先の駅前にある、大形スーパー内の一角。

 

多くの16才は、きっと難なく1人で行って帰れる所だが、息子は1人で電車に乗ったことがない。

 

アルバイト当日は、私も都合があって送迎は無理。

 

5才下の電車でフリースクールに毎日通う弟に付き添いを頼むなんて、兄の沽券に関わるだろう。

 

なので、私と一緒にアルバイト現場を下見をすることに。

 

さて下見当日、2人で自宅最寄り駅に着き、切符を買う手間を省くために、私が持っている交通電子カードを息子に渡した。

 

私は、切符を買って改札口を先に通り、振り向くと、切符を入れるところに電子カードをまさに突っ込もうとする息子。

 

「違う!!!」

と私が叫んで、ことなきをえた。

 

そうか…1人で電車に乗ったことがないということは、こういうことか。

 

普段、外出には車がほとんどなので、息子と電車で出掛けたのは随分と昔だ。

 

そのときは、切符を持たせていたはずで、電子カードを持つことじたい息子は初めてで、駅の改札を通るのも数年ぶりなのだから、こうなるか。

 

電車が来るまでのホームで、息子は

「当日間違えないよう、メモをする」

と言って自身の携帯になにやら打ちこんでいた。

 

来た電車で2駅乗ると、改札からその大型スーパーは見えた。

 

大型スーパーの中を通り、ワークショップをする場所に到着すると、また息子は携帯に何やらを打ち込む。

 

その姿を目の端に置きながら、私はスーパーの中の雑貨屋をウロウロしながら待った。

 

ふと雑貨屋の前を

「走っちゃダメ!危ないから!」

と、小さな子どもを追いかける、手に荷物を持った若い母親が横切った。

 

目の端に子どもを置きながら、いつでもスクランブル体勢で走れるようにしていた、10年前の私を思い出した。

 

10年後、目の端に置いていた子どもは、勝手に走り去ることなくノソノソと私に近づいて

「終わった、帰ろう」

そう低い声でボソボソ言う。

 

帰るときは、もう改札で電子カードをかざすことを覚えた息子。

 

それを見ながら、スクランブル体勢で追いかけた息子の後ろ姿は、はてどんなだったかと懸命に私は思い出すのだった。

16才、洗濯のこだわり

人間は、多かれ少なかれ『こだわり』を持っている。

 

この『こだわり』が強くみられるものの1つが、家事だと、私は思っている。

 

以前、家事代行の仕事をしていたときに、そう感じた。

 

家々によって違うのはもちろん、家族の中でも、人の数だけ方法がある。

 

そして、自分と違った家事の方法を目の前で見ると、ほとんどの人が酷く違和感を感じるようだ。

 

そう言う私も、違和感を感じる1人なのだが。

 

さて数カ月前から、16才息子が、洗濯や炊飯器でご飯を炊く、汚れた食器を食洗機に入れてくれるようになった。

 

特に、洗濯は、洗濯機に洗い物を入れてボタンを押すところから、干して、畳むまでを、ほぼ毎日してくれる。

 

有り難い。

 

私は、極力、息子の家事の方法に口を出すのはやめようと誓った。

 

しかし、先日、ベランダに干す洗濯物の下着の干し方だけに

「近所から見えないよう、下段の物干し竿に」

と注文をつけた。

 

息子は、素直に

「なるほど」

と従ってくれた。

 

ところが、それからしばらく経った今日は、洗濯物が多かった。

 

息子は下着を干した洗濯ハンガーを、上段の竿に吊るした。

 

しかしながら、そこで私は「待った」をかけた。

 

「下段の竿に干してある洗濯物を、まだ余裕のある上段の竿に移動すれば、下着のハンガーは下段に掛けられる」

と進言。

 

しかしながら、息子は眉根を寄せる。

 

下段の竿には、彼の中で、毎度干すものが決まっているようだ。

 

それならば

「干し場所がない下着類は、浴室で乾燥をかけて乾かしたらどうか」

と言ってみるが

「いや、晴天の日にはベランダで全てを干したい」

と、息子も譲らず。

 

結局、私が外出の時間が迫って

「分かった!あなたに任せる!」

と、外出。

 

まだ、外出先でこれを書いているが、さてどうやって干しただろう?

 

けれども、今日、私が帰宅するのは、もう洗濯物がしまわれている頃。

 

わざわざ

「今日、どうやって干した?」

と尋ねるのは、息子から嫌がられるかな。

 

まぁ、そういう『こだわり』があるということは、多少なりとも洗濯に対して思い入れがあるのだろう。

 

小6からの不登校を経て、中学はその場所さえも知らずの16才のニート

 

少しずつだけど、彼は成長している。

母親の誕生日はいつでしょう?

その日、中2娘と小6息子が「観たい映画がある」というので、映画館へ車で送迎した。

 

観終わって帰宅する車内で、私の誕生日がもうすぐであることが話題になった。

 

小6息子が

「お母さんの誕生日は、◯日でしょう?」

と、さも当然と言うように言ったが、1日ズレていた。

 

すかさず中2娘が正してくれたが、当の息子は

「あれ〜?そうだったっけ??」

と笑い、まるで悪びれた様子はない。

 

「え〜覚えられてないなんて、ショック〜!!」

と私がおどけると、小6息子は

「何か、お母さんだけ誕生日が難しいんだよ!他の家族の誕生日は覚えてるんだよ」

「でも、オレは友達の誕生日も覚えられないから、お母さんだけ覚えてない訳じゃないよ」

「来年までには、たぶんちゃんと覚えるからさ!」

 

そのいちいちに中2娘が

「他の家族は覚えてるって、それフォローになってない!」

「お母さんと友達とを一緒にするんじゃない!」

「来年とか、たぶんじゃなくて、今すぐに覚えるんだよ!」

と呆れながら、私への気遣いのツッコミを入れてくれる。

 

そんな姉弟の会話も面白くて、私も笑いながら息子に

「あなたの言葉はフォローのつもりかもしれないけれど、笑いながら、私の首を絞めているようなものよ??」

 

そうやって、ワイワイしながら自宅のドアを開けると、小6息子が、やおら玄関先で振り返り

「(16才の兄は)お母さんの誕生日は、絶対分かんないよ!」

と言う。

中2娘は

「いや、分かってるはず!」

と、反論。

 

居間でゲームをしていた16才のもとへ、3人でバタバタと駆け寄って尋ねてみると

「11月の…えっと…うーん…」

と言ったきり、いつまで経っても日にちが出ない。

 

それを見て、小6息子は

「ほらみろ!オレは1日ズレただけだけど、兄ちゃんは、まるっきり覚えてない!オレの方が偉いぜ!!」

そう大声で勝ち誇った。

 

その日、小6息子に

『目くそ鼻くそ笑う』

と言う言葉を教え、息子2人には私の誕生日を改めてキッチリ教えた。

 

その隣で中2娘は

「たぶん2人とも、明日聞いたら覚えてないよ」 

とクスクス笑うのであった。

異世界同士の話

先日、道端で久しぶりに近所のママ友と会った。

 

彼女には、私の娘より1つ年上の、中学3年のお子さんがいる。

 

私は、子どもが不登校であることを、近所にも公表しているので、彼女もそのことは知っている。

 

彼女のお子さんは私立中学へ入り、毎朝6時に家を出て、授業時間が夕方までみっちり、土曜日も授業、日曜は遠方の会場での模擬テストやら資格試験やらで、母親が付き添っている。

 

同年代の子どものいる母親だが、かたや不登校で鉛筆を握るなど年に1度あるかどうか、かたや私立中学の子どもの母親。

 

要は、私たちは異世界の住人同士のようなもの。

 

異世界の住人同士が、共通の話題を見つけるのは難しいが『母親』という唯一の共通項を頼りに互いの子どもの話をする。

 

しかしながら、登校児の話しを聞くのは面白い。

 

不登校の我が子が、それをしていないことに、今は何ら後ろめたさがないので、登校児の日常話は、私からすれば

『週末は、サーフィンをしています』(私は運動音痴)

『家の窓ガラスを磨くことが何より好き』(私は掃除は苦手中の苦手)

『機械類を自分使用にカスタムすることが好き』(私は機械をみると思考停止する)

という人の話を聞くようなもの。

 

自分はまるっきり興味も理解もできないが、そういうことができたらいいなぁ!そういう人の思考はいかなるものや?と、興味はある。

 

だから、毎朝早くに起きて登校していること、長い授業を受けていること…の全てが

「え〜スゴーイ!」

「うわぁ〜!頑張ってるねぇ」

なのだ。

 

しかしながら、不登校児の母親の私に気を遣ってなのか、彼女は即座に

「全然そんなことない!朝は起きないから、起こすの大変だし、それでいて文句は言うし」

「成績も悪いの!」

「部活?在籍しているだけ、レギュラーじゃないし、下手なくせにやってるのよ」

 

「いやいやそんなことはない、凄いことよ」

と私が返しても、それを上回るように強い否定を彼女は繰り返す。

 

不登校児の親の私を気遣ってだろうが、そこまで我が子を卑下せずとも…とモヤモヤしつつ、何度か、そんなやりとりして、はたと私は思い出した。

 

そうだった、その昔、私も登校児の世界にいた頃は、他人には我が子を卑下すればするほど美徳という、その世界の暗黙のルールであった。

 

忘れていたのは、私の知っている不登校・引きこもりの世界の親は、たいていが我が子を褒めるから。

 

他人に我が子を褒められたら、それを感謝し素直に受け取る。

「ウチの子、お風呂に入るようになったのよ」(不登校界隈で風呂に入らないのは、あるある)

「ウチの子、お腹が空いたら、自分で近所に買い物に行くの」(お金は、親が渡したもの)

「ウチの子、自分の部屋から出てこないけど、食事のときは、時折出てくるの」

 

その返しは、登校児のそれと同じで

「え〜スゴーイ!」

「うわぁ、頑張ってるね」

そう言われた母親は、総じて「そうよね」とニッコリ微笑むのだ。

 

お風呂に入ったのも、買い物も、部屋から出てくるのも、幼児がしていることではない。

 

子どもとはいえ、大人と呼ばれる年齢の人のことだ。

 

これだけ書くと呆れかえる人も多いが、私の知るこの世界の親は、子どもに対するハードルは、とんでもなく低い。

 

我が子は『法律を遵守して生きていれば良い』のだ。

 

そうやって甘やかすから…と、世間に眉根をひそめられるのは、誰もが承知。

 

そんなことは親は何億回も考えて、何なら今も考えており、過去に嫌と言うほど実行もしたが上手くいかなかったのだ。

 

子どもを諦めたわけではない。

 

子どもに接する方法と考えを変えたのだ。

 

子どもから何か発するまで、親は黙っていようと。

 

ネグレクトではない。

 

黙って知らん顔をしながら、その実、子どもの一挙手一投足を観察している。

 

観察はしているが、監視ではない。

 

観察ばかりでは疲れるから、自分の人生を楽しもうと決める。

 

異世界同士の私たちは、結局最後まで話が噛み合わないまま「またね」と、ニコニコして別れた。

 

どちらが良いとか悪いとかは、全くない。

 

異世界なのだから、その考えが分かるはずはない。

 

私に、サーフィンや窓拭き、機械いじりの楽しさが分からないのと同じだ。

 

謙遜は、日本の美徳だ。

 

でも

「サーフィンが好きなんですね、上手ですね」

と言ったら

「えぇ、そうですよ。頑張っているし楽しいんですよ」

と返してくれたら、私は嬉しいな。

 

「ウチの子、朝から頑張って起きているんです」と返してくれたら、私は嬉しかったな。

息がしやすい場所

息子のフリースクールが主催する、1泊2日の宿泊行事に、中2娘と小6息子と共に参加した。

 

この行事は、フリースクール生徒はもちろん、OB・OG、保護者、フリースクール外部の人でもOKというもので、宿を貸切にする。

 

参加者は、老若男女30人ほど。

 

この行事への参加は、今回で3度目。

 

これまでは、家族3人で同じ部屋にしてもらっていたが、今年から息子は男性たちの部屋に泊まるというので、娘と2人部屋。

 

宿に着いた途端、息子は見知ったスタッフや生徒の姿を追いかけて、廊下の先に消えた。

 

娘と私2人になり、荷物を手に指定された部屋に入ると、そこにはベッドが2つ。

 

普段は布団の我が家なので、ベッドというだけで、娘は歓声をあげた。

 

それにしても、普段、ほとんど外出せず、家族以外と接することのない娘が、これに参加をしたのは意外。

 

確かに、過去2回も娘は参加はした。

 

参加はしたけれど、他の参加者とのほとんど接点もなく、私と部屋に引きこもって1泊2日が終わった印象だったので、今年は行かないかもと思っていたが。

 

今回も昼過ぎに宿に着いたが、夕食まで部屋から1歩も出ず。

 

夕食後、食堂から部屋に戻る途中に大広間があったので、ひょいと覗く。

 

この大広間は、夜通しボードゲームや話しができるように開放している。

 

広い畳敷きに、いくつもテーブルが出されており、部屋の隅には、山と積み上げられたボードゲームとお菓子に飲み物。

 

各テーブルには、夕食前までしていたのだろうか、将棋や、麻雀、ジェンガなどのゲームがそれぞれにみえた。

 

そうかと思えば、沢山の紙と色鉛筆やペン。

ここのテーブルは、絵を描くことが好きな人たちのものだろうか。

 

それまでは、多くの人で賑わっていたろう大広間に、そのときは誰もいなかった。

 

大勢の人が苦手な娘も、誰もいないことに安心したのか大広間に一緒に入ってきた。

 

「絵しりとり、しない?」

絵を描くことが好きな娘を誘うと、コクリと頷いた。

 

紙と鉛筆を娘に渡して、2人でテーブルへ。

 

思案顔をした娘が、鉛筆で紙に描き始めると、息子と、私も知っているフリースクールスタッフ2人が

「何をしているの?」

とニコニコして顔をのぞかせた。

 

「良かったら、一緒にいかが?」

と誘ってから、娘がイヤかもしれないと内心慌てて、娘の顔を見たが、息子もいたせいか大丈夫そう。

 

私たち家族3人と、フリースクールスタッフ2人の計5人となった絵しりとりは、ワイワイと盛り上がった。

 

絵しりとりが終わると、間髪入れずに、絵しりとりを一緒にしていたフリースクールスタッフがボードゲームを持ってくると、参加人数は更に増えた。

 

娘も私も、そのまま持ってきたボードゲームに参加。

 

また次のボードゲームを誰かが持ってきて、ゲームを説明してくれる。

 

気づくと、最初に絵しりとりを一緒にしていたスタッフ2人も、息子もおらず、周りは今回参加している名前も顔も分からない若い子が5〜6人。

 

メンバーやゲームが変わっても、分からないゲームには、懇切丁寧にゲームを知っている子が必ず説明してくれる。

 

どんどん変わるメンバーと、私と娘はいろいろなボードゲームを、日付が変わる頃までし続けた。

 

まだまだ続けるという彼らに、手を振って、さてと立ち上がり大広間を見渡すと、あちこちのテーブルでゲームに興じる人、それを見学する人。

 

向こうでは、歌を歌う人に、それに手拍子をする人も。

 

寝転んで、1人でゲームをする人、車座で話しが盛り上がっているところも。

 

「あ〜足が痺れちゃったよぉ~」

と、大広間の隅で、足をさする娘の顔は、宿に着いたときより明るかった。

 

この行事に来ている、知り合いの保護者が

「ウチの子、この宿泊が緊張するって、朝は泣いていたのよ。ドタキャンかと思ったわ」

と、夕食前に打ち明けてくれた。

 

その泣いていた子も、大広間の向こう側で我が息子と一緒になって、笑っている。

 

ここにいる全員が、不登校や引きこもりの経験や関わりがあり、社会では『生きづらい』『繊細過ぎる』とはじかれた部類のはずが、こうも盛り上がっている。

 

ここは息がしやすいようだ。

 

私には引きこもっていただけに思えた過去2回も、娘にとっては息がしやすかったのだろうから、来たのだな。

 

分かって、腑に落ちて、私はその夜は自宅と同じようによく眠れたのだった。