吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

探し物名人

数日前から、私の携帯スタンドが見当たらない。

 

携帯依存症の私は 携帯をみながら、聞きながら家事をするので、これを重宝していた。

 

重宝していたのに、いつも置いていた場所に、どういう訳かない。

 

だが、スタンドがないからと言って、携帯が見られないわけではないため、特段 不便ではない。

 

それに、家の中には確実にあるのだから、そのうちすぐに見つかるだろうと真剣には探さなかった。

 

しかしながら、見当たらない。

 

携帯を自宅内で探すのが日常茶飯事なのに、今度はスタンドも探すのかぁ!?と、自分自身の老化にうんざりと、少々の恐怖すら感じていた。

 

今朝、ダメモトで 小1の息子に「お母さんの携帯スタンドを見なかった?」と尋ねた。

 

ダメモトの理由は、テレビに夢中の息子が 探し物などしないだろう、それに自分の持ち物さえ、しょっちゅう探しているのに、親の持ち物など気にするはずがなかろう、まだ

小1なのだから。

 

しかしながら、予想を裏切り、息子は、すっくと立ちあがったかと思うと 居間をくるりと見渡し「あっ!あそこじゃない?」と本棚の上をすぐ指差した。

 

指差す方向には確かに、数日探していた携帯スタンドが。

 

「え~~!?スゴイ!!何で?こんなところに!?」

「息子くんが見つけると思ってなかった!スゴイね!嬉しいよ!」

そう喜びながら、私は、実は複雑な気持ちでいた。

 

『何故、私は 数日も探して、こんな分かりやすい場所を見落としたのか?』

『何故、私は 携帯スタンドを、絶対置かない本棚に置いたのか?いや、そういえば置いたな』

という、自分の記憶力・行動・視野の狭さなどの老化を思い知らされた。

 

そして、どうせ息子は見つけようとはしない、たかが小1で見つけられるはずがない、見てはいないと思い込んでいたのを恥じた。

 

大袈裟だと笑われるだろうが、自分の老化と子供の成長を見せつけられた 気がしたのだ。

 

そんな私と裏腹に、探し当ててくれた息子は、私が思っていたよりビックリしたこと、褒めたことに喜び、得意になっていた。

 

「オレがね、ちょ~っと周りをみたらね、あったの!」

「だから、あれかな?って思って教えたんだ!」

「どう?ビックリした?嬉しかった?」

「お母さん、机の下とか見てたでしょ?オレはね、上を見ようと思ったんだ」

「そしたらね、すぐだよ!すぐ見つけたんだよ!スゴイでしょ?」

 

息子を褒めながら、なくしたものは、たいてい分かる『お母さんは探し物名人!』そう私は自負していたのになぁと、ぼんやり考えていた。

 

息子は、好きなテレビそっちのけで 同じセリフを何度も何度も私に言って、長いこと喜んでいた。

 

そんな息子の姿を見ていた。

 

私の自負が、段々とちっぽけに感じてきた。

 

誰かに認められること、褒められるって、やっぱり嬉しいこと。

 

いつまでも甘えん坊で、手を貸さないとダメな末っ子だと思っていたのは、私だけで、息子は成長しているのだ。

 

探し物名人の看板はおろして、今度は『落とし物名人』の看板を掲げるとする・・

 

いや待て、それは悔しい。惜しい。

 

子どもの成長に目を細めて、道を譲ってばかりでは、何だか自分が一足飛びに老けそうだ。危ない危ない。

 

成長は認めるし、褒めてもやるが、探し物名人の座は、まだまだ譲らんぞ。

 

誰だ?そんな座はいらねぇという奴は??

 

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