数日前から、私の携帯スタンドが見当たらない。
携帯依存症の私は 携帯をみながら、聞きながら家事をするので、これを重宝していた。
重宝していたのに、いつも置いていた場所に、どういう訳かない。
だが、スタンドがないからと言って、携帯が見られないわけではないため、特段 不便ではない。
それに、家の中には確実にあるのだから、そのうちすぐに見つかるだろうと真剣には探さなかった。
しかしながら、見当たらない。
携帯を自宅内で探すのが日常茶飯事なのに、今度はスタンドも探すのかぁ!?と、自分自身の老化にうんざりと、少々の恐怖すら感じていた。
今朝、ダメモトで 小1の息子に「お母さんの携帯スタンドを見なかった?」と尋ねた。
ダメモトの理由は、テレビに夢中の息子が 探し物などしないだろう、それに自分の持ち物さえ、しょっちゅう探しているのに、親の持ち物など気にするはずがなかろう、まだ
小1なのだから。
しかしながら、予想を裏切り、息子は、すっくと立ちあがったかと思うと 居間をくるりと見渡し「あっ!あそこじゃない?」と本棚の上をすぐ指差した。
指差す方向には確かに、数日探していた携帯スタンドが。
「え~~!?スゴイ!!何で?こんなところに!?」
「息子くんが見つけると思ってなかった!スゴイね!嬉しいよ!」
そう喜びながら、私は、実は複雑な気持ちでいた。
『何故、私は 数日も探して、こんな分かりやすい場所を見落としたのか?』
『何故、私は 携帯スタンドを、絶対置かない本棚に置いたのか?いや、そういえば置いたな』
という、自分の記憶力・行動・視野の狭さなどの老化を思い知らされた。
そして、どうせ息子は見つけようとはしない、たかが小1で見つけられるはずがない、見てはいないと思い込んでいたのを恥じた。
大袈裟だと笑われるだろうが、自分の老化と子供の成長を見せつけられた 気がしたのだ。
そんな私と裏腹に、探し当ててくれた息子は、私が思っていたよりビックリしたこと、褒めたことに喜び、得意になっていた。
「オレがね、ちょ~っと周りをみたらね、あったの!」
「だから、あれかな?って思って教えたんだ!」
「どう?ビックリした?嬉しかった?」
「お母さん、机の下とか見てたでしょ?オレはね、上を見ようと思ったんだ」
「そしたらね、すぐだよ!すぐ見つけたんだよ!スゴイでしょ?」
息子を褒めながら、なくしたものは、たいてい分かる『お母さんは探し物名人!』そう私は自負していたのになぁと、ぼんやり考えていた。
息子は、好きなテレビそっちのけで 同じセリフを何度も何度も私に言って、長いこと喜んでいた。
そんな息子の姿を見ていた。
私の自負が、段々とちっぽけに感じてきた。
誰かに認められること、褒められるって、やっぱり嬉しいこと。
いつまでも甘えん坊で、手を貸さないとダメな末っ子だと思っていたのは、私だけで、息子は成長しているのだ。
探し物名人の看板はおろして、今度は『落とし物名人』の看板を掲げるとする・・
いや待て、それは悔しい。惜しい。
子どもの成長に目を細めて、道を譲ってばかりでは、何だか自分が一足飛びに老けそうだ。危ない危ない。
成長は認めるし、褒めてもやるが、探し物名人の座は、まだまだ譲らんぞ。
誰だ?そんな座はいらねぇという奴は??