こういうの好き。いい答えだ。
個人的には、正解にしたい。
こういう答えを正解とする教育が、未来の柔軟な面白い発想の大人を作るのではないか?
以前、何かの本で読んだのだが、他人を動かしたいとき。
例えば、何かを買わせたい、こちらの意見に同意してほしいときの、これならyes!と言わせる誘い文句を国別に紹介していたものがあった。
国によって「そうすれば、あなたは英雄だ!」とか「ご両親が喜ぶだろう」とか「それをするのはあなたが初めてだ」とかあった。
ちなみに日本人には「他の人は 皆さん そうしていますよ」というと良いと。
確かに。
先日「みんなの学校」という映画をみた。
同じ年代の子どもを持つ親として、保健室登校を続ける娘を持つ親として、非常に考えさせられた。
いろいろな子どもが周りにいること、一緒にいることが普通の、大阪にある公立小学校の1年間を追いかけたもの。
何かが欠けていたり、強すぎたり、弱すぎたり、過敏だったり、鈍感だったりの子どもと、先生と、親がでてくる。
他の学校から溢れた子どもが、その学校を頼ってやってくる。小学校のお助け小屋みたいなところ。
そんな現場は、映画でみる以上に 大変だろうと思った。
生徒と先生と親がみんなで手探りをしながら 泣いたり笑ったり怒ったりして、少しでも前進したいと もがいていた。
普通の人間とは何か。普通にできるとは何か。良くわからなくなった。
算数の答えも、人も、いろいろあって、いろいろいて当然だと思う。
みんなちがって、みんないい。
十人十色。
そんないい言葉が、日本にはあると思い出した。
今日、娘は学校に行かなかった。
私は、友人とのランチに行きたかった。私1人で行きたかった。
「どうして、普通に学校に行ってくれないの?」
「お母さん、あなたのせいで ずっと何処にも行けない!」
私は、娘をなじった。怒鳴った。
普通とは何だ。