少し前の週末、実家で父の誕生会をひらいた。父は、81才になった。
15年ほど前に 心臓、前立腺癌を立て続けに患って 太っていた身体はみるみる痩せていった。
止まらなかった食欲は、私の1食の量を1日かけて食べるようになった。
いつも 身体のどこかが痛むと言い、180センチの身長は腰が曲がり、目線が私と同じくらいになった。
何度も同じことを尋ねるのでイヤになると、母がたびたび愚痴をこぼす。
10年ほど前から 近所の小学校に、月2回ソロバンを教えに行っている。
入学式や卒業式に来賓として呼ばれるのだそうだ。学年の終わりには担当クラスから感謝の色紙をもらってくる。
パソコンどころか電卓もない時代の会社員には 必須だったらしい。「昔取った杵柄さ」と笑った。
その日、誕生日カード1枚に 家族でメッセージを書いて渡した。
料理は 父の好きな寿司と、揚げ物をスーパーで妹が買ってくれた。
糖尿もある父だが、今日くらいケーキが必要だろうと 妹がこれまた気をきかせて買ってきてくれた。
気のきかない姉(私)とその子どもは、ずっと実家でゴロゴロしていた。
ゴロゴロしていたお詫びに、ハッピーバースデイの歌を子どもたちと大きな声で歌った。
父は「いやぁ、有り難う、有り難う!」と言って笑っていた。
歌い終わってすぐに、子どもたちは我先にと料理に手を伸ばした。
「兄ちゃん、食べ過ぎ!それ、残しておいて!」
「そのお寿司なぁに?食べたい!」
「オレも~!」
「ダメ!オレが先!」
「・・・まだあるから!落ち着け~!!」私が一喝。
ハイエナのごとき食争い。普段、一応 それなりに食べさせているつもりだがなぁ・・まったく。
父は、自分の食事より 子どもたちや、私たちに何度も「(遠くにある)料理は取れるか?」
「こちらに、まだ料理があるぞ」
と、気をまわし続けた。
そんな気遣いも、体調を崩した ここ数年のこと。
昔は、母が揚げた天ぷらを揚げたそばから手を出して 家族の分をすべて食べてしまっていたのに。
それが、今は1つ食べては箸をおき「お父さん、もう少し食べなよ」と母に言われて、半口食べ「皆、食べてるか?」と気遣って「大丈夫だから、お父さん食べなよ」と、また母に言われて「いや、オレは食べてるよ」と。
数日前に、病院で癌の転移を言われたらしい。
最近まで、ショックで口をきかなかったと母が教えてくれた。
父は「オレは100才まで生きる」と、数年前に宣言した。
自分の父親が若くして、あっけなく逝ってしまい父は苦労したらしい。
「自分の父親の年齢を越すことが目標だった」と、いつだったかポツリと言ったことがある。
誕生会のその日、父は何度も「有り難う」と言った。
いい日だった。