子どもの頃、小学校が休みに入ると 私は いつも1週間ほど母と妹と共に 祖父母の家に泊まりにいった。
祖父母の家の庭は、柿に栗、梅、樫、銀杏・・と大きな木が何本もあり その他 沢山の植物が生え 子どもの私と妹には うっそうとした森のように見えた。
その中に建つ家は 雨漏りはするし すきま風は入るし 台所の電気ときたら裸電球が天井から1つぶら下がっているだけ。
他の部屋も小さな蛍光灯が頼りなく灯り、昼間でも うす暗いし 隣の部屋に行くのさえ怖かった。
ましてや、家のすみの真っ暗な廊下の突き当たりにある汲み取り式トイレは 今ならホラー映画にはうってつけの場所だろう。
風呂は薪で沸かしていた。
昭和50年代に薪の風呂なんて、当時でさえ珍しかったと思う。
私は その庭で、妹といつも遊んでいた。
祖父母の家の近所に知り合いはいないし、母も祖父母も運転ができないから遠出はできない、近所に遊園地などもないし ゲームもない。
だから、庭で妹と2人で ずっと遊んだ。
庭はどんな遊びもできた。
広すぎるゆえに、鬼ごっこもかくれんぼも 鬼になったら最後 まぁ捕まえられない。たいていギブアップして攻守交代となる。
障害物競争は 多種多様のルールとルートが作れた。「あの木にタッチして、葉っぱを3枚拾ってくる」
「赤い花を摘んだら"ヤッホー"って叫んで後ろ向きで帰ってくる」
おままごとは、葉っぱのお皿に木の実のおかず。
小枝に泥をぬったら お菓子のポッキーのできあがり。
雨が降ったら 家中の傘を引っ張りだし、全て開いてくっつけて地面にならべれば傘のお家のできあがり。
その傘のお家の中に身体を丸めて入って遊んだ。
落ち葉の季節は、色とりどりのじゅうたんが表れる。
落ち葉を舞いあげ、落ち葉の上を転がって遊んだ。
庭の木の手入れは、祖父が時折していた。
祖父はのびた枝など切るとき、何かボソボソ言いながら切っていた。
何を言っているのか聞いても教えてくれなかった。
後で、母に聞いたら
「木に謝ってるのよ。"すみませんね。痛いでしょうが切らせてもらいますよ"って」
祖母も雑草を抜くときは謝るのだそうだ。
うっそうとした森のような庭は、祖父母の愛情でできた庭である。
そして その庭は、今は存在しない。