幼稚園~小学4年の頃まで、私は家族がいない場所ではほぼ喋らなかった。
「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」というらしい。
診断を受けたわけではないし、当時はそんな言葉はなかった気がするので 私がそうだったかどうか分からないけれど。
家庭などでは話すことが出来るのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、ある特定の場面・状況では話すことができなくなる疾患であるという。
先生や友達と話したいと思うが「笑われたらどうしよう」「間違ったらどうしよう」「声がちゃんと出るだろうか」そう思うととても話すことが出来なかった。
学校で手を挙げて発言するなんてことは、とうてい出来ない。
教科書を読む順番がまわってきても、声の代わりに出るのは涙だけ。
でも、先生や友達が話すのを聞くのがとても好きだった。
本を読むのがすきだったから、音読の宿題は1度でいいところを10回も読んだ。
教室では読めないのに。
とうぜん、友達はいなかった。
こんな厄介な生徒がいて、先生も困っただろうな。
でも、先生からも親からもそのことで強く言われた覚えはない。
学校が初めて楽しいと思ったのは、5年生になってから。
奇跡的に友達ができたから。
休み時間や帰り道に私が話をしても、誰も笑わなかったし ちゃんと話を聞いてくれた。
それでも授業で手を挙げることができなかったけれど。
今、我が子の授業参観で 子どもが手を挙げたり、発表したり 声を出すのをみて 羨ましいような、誇らしいような。
今、気の利いた会話は得意じゃないけれど 手を挙げて発言できるのは おばちゃんになって図々しさを覚えたからだろうか。