吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

スイカ待つ娘

最近、小4の娘が スーパーに行く度に ため息をつく。


理由は、大好物の スイカが、まだ売っていないから。


娘の所望するスイカは、決まった産地やブランドのものではない。


『丸々1個』で、『大きく』て、私が買ってくれる『安価』なスイカである。


要は、暑い夏には 毎日、店頭にズラリと並ぶ大玉スイカのこと。


私自身、あまりスイカは好きではない。


娘のスイカ愛は、私の母の血である。


私の母は、無類のスイカ好きで、夏の実家の冷蔵庫には大玉スイカが、毎日必ずある。


「どうしよう!スイカが冷蔵庫に入らない!」と嘆きながら、2~3日もするとスイカはなくなり、また買ってきては「どうしよう!」と嘆く母の声は、我が家の夏の風物詩。


そんな我が母の血を引いた娘は、夏になるとスイカが必ずある、実家に行くのを喜んだ。


母も自分と同じスイカ好きの孫と、スイカを食べるのを楽しみにしていた。


しかし、スイカの赤い部分をすべて食べ、あれよあれよと半玉以上をお腹に入れてもまだ欲しいと言う孫に、さすがに母が心配してストップをかける というのが、ここ最近の夏の風物詩になっている。


昨夏は、実家に帰省しなかったので、娘はスイカが食べ足りなかったらしい。


「スイカは、いつになったら売られるの?」娘が言い出したのは、昨冬のクリスマス前。


「早くても、7月だねぇ」の私の言葉を、信じて待ち続けて、半年以上。


ようやく、ようやく7月に入ったというのに、安価な大玉スイカがないことに、娘は苛立っている。


先日は、スーパーを3店まわったが、結果は同じ。


「梅雨か空けないとねぇ」の私の声に、娘の口が尖る。


やれやれ、今年の夏は、スイカ運搬が 私の主な仕事になりそうだ。


夏の暑さは大の苦手だが、あの尖った口がなおるなら。


さて、梅雨明けが待ち遠しい。

接種と摂取

『欲しいものがあったら、買う前に(本当に必要か)真剣に3度考えろ』

『それでも欲しいものなら、手に入れるべき。そこまで考えたら後悔は、それほどしないものさ』


これは、30年以上前に亡くなった祖父の言葉である。


スーパーの野菜売り場で、これを 毎度実践はしないが、高価なものを買う時や 大事な決断時に、私は この言葉を頼りにしている。


意外と、この方法は 私には適しているようで、これで購入したものに、あまりハズレはない。


さて、先日、考えさせられる動画をみた。


コロナの変異種に罹患した人の動画と、親がコロナワクチン接種をした人の動画。


youtu.be

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どうしても欲しいものではないが、考えるべき問題である。


遅かれ早かれ、私にも子どもにも接種券が来るだろう。


はて、どうしたらいいのか。


1度目を真剣に考えてみたが、分からない。


たぶん、答えを知っているのは タイムトラベラーくらいか。


情勢をみながら、2度目・3度目を考えることにしよう。



最近、祖父の言葉通りに3度考えて、手に入れたものもある。


ハンドブレンダー。

mens.tasclap.jp


1万円でお釣りがくるくらいの値段のものだが、購入を決めるまでに 10年近くかかってしまった。


いつまで経っても野菜嫌いが治らないどころか、拍車がかかる 我が子に、とにかく野菜を少量でも摂取させることが先決と思ったのだ。


この10年、購入に踏み切れなかったのは、下手に野菜をすりつぶすと、大きな形の野菜が逆に苦手になるのではないか。


野菜の存在を分かったうえで食べられれば、自信になるだろうし、将来 外で「大きい野菜は食べられません」などと言って笑われることもなかろう。


そんなことを悶々と考え続けて10年。


ようやく、将来 笑われようが知ったことか!


まずは、野菜を子どもたちの体内に入れよう!


という考えに至った訳で。


結果的に買ってよかった。非常に良かった。


今のところ、カレーライスとミートソースが評価が高い。


カレーの茶色と、トマトの赤は、野菜の青みを隠すには うってつけ、偉大だ と改めて気づく。


こんな便利なものを、どうしてあの怒涛の離乳食時に使わなかったのか、それだけが悔やまれる。


3度考えるのは良いとして、10年経過させるのは、我ながらいかがなものかと思いつつ、このブレンダーの便利さに毎度感激する 今日この頃。


これが、私の最近の未解決の接種と、解決の摂取のこと。

48チャイ。最近気になること

近所に、新しい何かが建つときは ワクワクする。


工事に関する 看板はあるけれど、あまり見ないようにする。


少しずつ出来てくる過程を眺めながら、想像をするのがいい。


「高層マンションだったら、ウチの中が丸見えだなぁ」
オフィスビルかなぁ」
「いや、そこまで高層じゃない。ならば スーパー?食べ物屋さん??」


子どもも一緒に考える。
おもちゃ屋さんがいいなぁ」
「オレは、回転寿司か、焼肉屋がいい!」
「トランポリンとかある、室内のあそび場!」


実は、少し前に 出来上がった3階建ての、そこそこ広い建物が、近所にある。


しかし建物の周りに『テナント募集』のノボリだけが立ったまま、もぬけの殻 。


建物内に、全く誰も入っていない。


昨年、工事をしていたときには5月には営業が始まると書いてあったのだが。


医療ビルという噂があったが、最近ではカフェが入るとか、オフィスビルになるとか、インターナショナルスクールとか・・噂を通り越して、言う人の空想・願望レベルになっている。


商業ビルで、2か月経っても、こんな状態というのは、私は初めてみる。


これも、コロナの影響だろうか?


私に何もできることはないのだが、当初のワクワクから、心配のドキドキに変わりつつある。


いったい、この建物に関わる会社内で何が起こっているのか??


最近、中1の息子がハマっている名探偵コナンのように、鮮やかに解決したいものだ。


しかしながら、今のところの手掛かりは テナント募集看板に書かれた不動産屋の名前のみ。


そして、私には警察や探偵の知り合いもいないし、変声機を作ってくれる知り合いもいない。


そもそも、私は高校生ではないし、天才探偵でもない。


身体は小さくなりたくないし、黒づくめのファッションでうろつく 目立ちたがり屋に 目をつけられるのはイヤだ。


誰か、このモヤモヤを解決してくれる人はいないか・・探偵ナイトスクープにでも・・と思いながら、酒を呑む 今日この頃。


平和である。


小学生の頃は、48才は、もっと高尚なことを考えていると思ったがなぁ。

これぞ、ホームエデュケーション ??

小2の息子は、小学校入学から10日目にして行かなくなった。


勉強も半年前に、完全にしなくなった。


YouTubeやゲームのお蔭で、字は読めるけれど 書けない。


普段の YouTubeとゲーム、時々のお出かけの生活の中で、字を書く必要はない。


よって、息子は ひらがなで、自分の名前を書くのが精一杯である。


しかし、最近 字を書く必要に迫られている。


それは、中1の兄や、小4の姉とのケンカのとき。


精一杯の反論をして泣いて、怒って、足や手を出してみても、兄や姉には かなわない。


そこで、小2の息子が思いついたのが、居間の隣にある和室のふすまを閉めて、その中にこもること。


普段は開いているふすまを閉めることで
『オレは怒っているんだ!』
『お前とは話したくない!』
という、自分の心を相手に示すのだ。


しかし、ふすまは閉めても、鍵が付いていないので、ケンカ相手が容易に入ってきてしまう。


ケンカ相手に「部屋に入ってくるな」と口で言うのはイヤだから、紙に書いてふすまに貼りつけよう。


その為には「はいってくるな」の字を書かねばならぬ。


しかし、その字が、自分は書けない。


そこで手に取るは、埃をかぶった小1の折り目のついていない 教科書の五十音のページ。


ケンカの怒りを抑えながら 教科書を開き、何度もみながら ようやく紙に書いた字が、ケンカ相手に
「何て書いてあるかわからな~い!変なの~!」
と笑われてしまった。


「なんだよ~!!!」
ケンカ相手をにらみながら、涙がこぼれる小2息子。


書いた紙を ひょいとのぞくと、1文字1文字が紙のあちこちに書いてあり、結果、意味不明文章の出来上がり。


横書きは、左から右へ、上から下へ、縦書きは、右から左へという原則を知らなかったか??怒りで忘れたか??


ケンカは、相手をとっかえひっかえ、毎日 続いた。


その度に、小2の息子は教科書を開き、怒りに震えながら、ふすまに貼りつけるための 字を書く。


最新版がこちら。


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『(姉は和室に)くるな。(姉のことを誰も)たすけるな』


ほう、読めるようになったじゃないか。


ケンカをしながら、字の練習ができるとは画期的じゃないか。


これぞ、ホームエデュケーション・・・なのか???

カバンよ、カバン

普段使いのカバンというのは、普通、何個ぐらい持っているものだろうか。


私は、1つである。


何故1つかといえば、別のカバンを使う際に 中の荷物を移し替えると、必ず何か忘れるから。


その移し忘れるものが、どういう訳か、財布とか鍵とかカードとか、超重要なものなのだ。


何度 天を仰ぎ、何度 頭を垂れたことか。


バッグ イン バッグ というのもやってみたが、結果は同じ。


あぁ、書いていて 情けないズボラである。


だから、冠婚葬祭以外 使うカバンは1つだけ。


現在使っているのは、ナナメ掛けのカバン。


毎日毎日、雨にもマケズ、風にもマケズ、エコバッグ代わりに商品をギュウギュウ詰められたり、水たまりに落としたり、放り投げられたり・・使い倒して4年。


だいぶ、お疲れである。


そろそろ代替わりをしようかと、ネットで調べだして数か月。


どうもピンと来ない。


私の好きなカバンは、ナナメ掛けができて、チャックで開け閉め出来て、色は・・サイズは・・値段は・・。


ここ10年以上、好きなカバンの基本的部分は変わっていない。


今までは、探し出すと早く決まっていたのだが、今回はどうしたことか。


どこかの高価なブランドものを探しているわけではないから、そこまでこだわらずとも良いのだが、やはり買ったならば 使い倒したい。


今まで買ったカバンは、毎日 手入れをしているとかは皆無だが、毎日 私のカバンが世界一ステキ!と思ってきた。


だからこそ、新しいものを買うときには『これだ!!』と、ピンとくるのが、私には大切。


もう探さない方が良いのかとやめてみても、しばらくすると、やはり探してしまう。


カバンよ カバン、私の次のカバンはどこにある。


それとも、私のあまりの使い倒され方に、カバンに避けられているのかしらねぇ。

ですけど、何か?

少し前に、小4の娘の担任の先生からの
「放課後に、クラスに来てみませんか?」
との誘いに 娘が、意外にも首を縦に振った。


同じ小学校在籍の小2の息子もついていくと言うので、親子3人 夕方の校門をくぐった。


担任の先生が来ると、娘は、いつものように私の後ろに隠れてしまったが、帰りたいとは言わなかった。


担任の先生が娘のために用意してくれたのは、小さな色とりどりの輪ゴム。


それを、繋げてブレスレットを作ろうと教えてくれた。


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用意してくれた椅子にさえ 座ることをためらっていた娘だったが、細かい手作業が好きな娘は、すぐに先生と向かい合って夢中になっていた。


一方、息子は何もすることがないとふくれっ面。


息子は、校庭で遊びたかったのだが、放課後の校庭解放はしていないとのこと。


息子の担任の先生も来てくれたが、読書も、クラスで飼っている虫も、育てている植物にもまったく興味なし。


どんなに誘っても、廊下に座り込む姿に、そのうち先生の姿は消えてしまった。


機嫌の悪かった息子が笑顔になったのは、娘の担任の先生が息子に作ってくれたブレスレット。


息子の大好きな色である 赤と黒の輪ゴムを繋げて作ってくれたのを、たいそう喜んだ。


娘も、自分の好きな色で繋げたブレスレットが出来上がり、ニッコリ。


滞在時間30分ほどだったが、帰りは 教室から昇降口まで、娘は 私の後ろではなく 私の前を先生と歩いた。


その夜、娘の口から
「今日作った、ブレスレットを家でも作りたい」
というので、早速買いに。


そして、今 私の腕には カラフルなブレスレットがはまっている。


後ろでは、娘が 真剣な表情で小さな輪ゴムを繋げている。


娘は先生と、週に1度放課後に会うことを約束した。


今日、昨年から通っていたフリースクールに中1の息子の退学届けと、小2の息子の休学届を出しに行った。


何かを手放す子、何かを拾う子。


随分前、不登校児の先輩ママが
「ウチの子が、どんな風に育つのか楽しみで仕方ない」
と言った。


当時の私は、
『楽しみ・・??不安じゃなくて??この人、正気??』
と、心の中で嗤った。


今、あのときの言葉が ようやく分かるようになってきた。


常識を覆されることのオンパレードで、それを1つくぐりぬける度、ホント 親は図太くなる。


我が押し レイソルも、連敗を着実に重ねている。


いろいろ図太くなった結果、今の心情は
「~ですけど、何か?」


youtu.be

不登校児の親である前に

お題「気分転換」


いつも拝見するブログで告知された『Shifo Presents !最強のオタクはあなた!』という企画に、心をくすぐられ参加した。


ameblo.jp



当日、メンバーは、全員が不登校児の保護者。


こういうメンバーだと、普段は名前を言ったあとに
「(子どもが)不登校歴 ○年です」
「現在の登校状況は・・」
という、子どもの紹介が 自己紹介というのが常である。


しかし、その日の自己紹介は違った。


名前を言ったあとに
「私の推しは△△です」
「今日は、◇◇の話をします」
子どもの話は一切なし。


そんな自己紹介のあと、1人10分という持ち時間で 自分の好きなことを話す。


アイドル・韓流・スポーツ・アニメ・音楽・歴史・ミュージカル・・・資料を持ち出し、カメラに向けながら 皆が楽しそうに熱弁。


好きになった理由・魅力がどこにあるか・ライブに行ったこと・聖地巡礼したこと・・。


なるほど、人は好きな話をするときには声が高くなり、テンポも速くなるのだなぁ。


もちろん、私も。


四半世紀推しのレイソルの話を、声を上ずらせながら。


話はあちこち飛び、起承転結もあったもんじゃない。


だって、レイソルの話を 誰かにしたことないもの。


頭に浮かんだことを、興奮しながら まくしたて、聞いている側が分かっているのか確認もできない。


でも、話しているのが楽しくて。楽しくて。


10分なんて話すことがあるだろうかと思ったが、あっという間だった。


10分が終わって
『あぁ、子どもたちが私に 好きなゲームの話・アニメの話をするとき、こんな気持ちで話していたのか』
そう思った。


いつもと全く様相の異なる会は、聞く側も飽きることがない。


自分が気づきもしなかったことを、こんな風にみて、こちら側からもみて・・と 肩ひじ張らず教えてもらえるのが、たまらなく楽しい。


そうだった。


私たちは『不登校児の親』である前に、何かが好きで、何かを楽しみながら、生きてきた、生きている、誰とも似ていない1人の人間なのだ。


そんな当たり前のことを、今更ながら 気づいた夜。


皆がキラキラしていた夜だった。