吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

カバンよ、カバン

普段使いのカバンというのは、普通、何個ぐらい持っているものだろうか。


私は、1つである。


何故1つかといえば、別のカバンを使う際に 中の荷物を移し替えると、必ず何か忘れるから。


その移し忘れるものが、どういう訳か、財布とか鍵とかカードとか、超重要なものなのだ。


何度 天を仰ぎ、何度 頭を垂れたことか。


バッグ イン バッグ というのもやってみたが、結果は同じ。


あぁ、書いていて 情けないズボラである。


だから、冠婚葬祭以外 使うカバンは1つだけ。


現在使っているのは、ナナメ掛けのカバン。


毎日毎日、雨にもマケズ、風にもマケズ、エコバッグ代わりに商品をギュウギュウ詰められたり、水たまりに落としたり、放り投げられたり・・使い倒して4年。


だいぶ、お疲れである。


そろそろ代替わりをしようかと、ネットで調べだして数か月。


どうもピンと来ない。


私の好きなカバンは、ナナメ掛けができて、チャックで開け閉め出来て、色は・・サイズは・・値段は・・。


ここ10年以上、好きなカバンの基本的部分は変わっていない。


今までは、探し出すと早く決まっていたのだが、今回はどうしたことか。


どこかの高価なブランドものを探しているわけではないから、そこまでこだわらずとも良いのだが、やはり買ったならば 使い倒したい。


今まで買ったカバンは、毎日 手入れをしているとかは皆無だが、毎日 私のカバンが世界一ステキ!と思ってきた。


だからこそ、新しいものを買うときには『これだ!!』と、ピンとくるのが、私には大切。


もう探さない方が良いのかとやめてみても、しばらくすると、やはり探してしまう。


カバンよ カバン、私の次のカバンはどこにある。


それとも、私のあまりの使い倒され方に、カバンに避けられているのかしらねぇ。

ですけど、何か?

少し前に、小4の娘の担任の先生からの
「放課後に、クラスに来てみませんか?」
との誘いに 娘が、意外にも首を縦に振った。


同じ小学校在籍の小2の息子もついていくと言うので、親子3人 夕方の校門をくぐった。


担任の先生が来ると、娘は、いつものように私の後ろに隠れてしまったが、帰りたいとは言わなかった。


担任の先生が娘のために用意してくれたのは、小さな色とりどりの輪ゴム。


それを、繋げてブレスレットを作ろうと教えてくれた。


youtu.be


用意してくれた椅子にさえ 座ることをためらっていた娘だったが、細かい手作業が好きな娘は、すぐに先生と向かい合って夢中になっていた。


一方、息子は何もすることがないとふくれっ面。


息子は、校庭で遊びたかったのだが、放課後の校庭解放はしていないとのこと。


息子の担任の先生も来てくれたが、読書も、クラスで飼っている虫も、育てている植物にもまったく興味なし。


どんなに誘っても、廊下に座り込む姿に、そのうち先生の姿は消えてしまった。


機嫌の悪かった息子が笑顔になったのは、娘の担任の先生が息子に作ってくれたブレスレット。


息子の大好きな色である 赤と黒の輪ゴムを繋げて作ってくれたのを、たいそう喜んだ。


娘も、自分の好きな色で繋げたブレスレットが出来上がり、ニッコリ。


滞在時間30分ほどだったが、帰りは 教室から昇降口まで、娘は 私の後ろではなく 私の前を先生と歩いた。


その夜、娘の口から
「今日作った、ブレスレットを家でも作りたい」
というので、早速買いに。


そして、今 私の腕には カラフルなブレスレットがはまっている。


後ろでは、娘が 真剣な表情で小さな輪ゴムを繋げている。


娘は先生と、週に1度放課後に会うことを約束した。


今日、昨年から通っていたフリースクールに中1の息子の退学届けと、小2の息子の休学届を出しに行った。


何かを手放す子、何かを拾う子。


随分前、不登校児の先輩ママが
「ウチの子が、どんな風に育つのか楽しみで仕方ない」
と言った。


当時の私は、
『楽しみ・・??不安じゃなくて??この人、正気??』
と、心の中で嗤った。


今、あのときの言葉が ようやく分かるようになってきた。


常識を覆されることのオンパレードで、それを1つくぐりぬける度、ホント 親は図太くなる。


我が押し レイソルも、連敗を着実に重ねている。


いろいろ図太くなった結果、今の心情は
「~ですけど、何か?」


youtu.be

不登校児の親である前に

お題「気分転換」


いつも拝見するブログで告知された『Shifo Presents !最強のオタクはあなた!』という企画に、心をくすぐられ参加した。


ameblo.jp



当日、メンバーは、全員が不登校児の保護者。


こういうメンバーだと、普段は名前を言ったあとに
「(子どもが)不登校歴 ○年です」
「現在の登校状況は・・」
という、子どもの紹介が 自己紹介というのが常である。


しかし、その日の自己紹介は違った。


名前を言ったあとに
「私の推しは△△です」
「今日は、◇◇の話をします」
子どもの話は一切なし。


そんな自己紹介のあと、1人10分という持ち時間で 自分の好きなことを話す。


アイドル・韓流・スポーツ・アニメ・音楽・歴史・ミュージカル・・・資料を持ち出し、カメラに向けながら 皆が楽しそうに熱弁。


好きになった理由・魅力がどこにあるか・ライブに行ったこと・聖地巡礼したこと・・。


なるほど、人は好きな話をするときには声が高くなり、テンポも速くなるのだなぁ。


もちろん、私も。


四半世紀推しのレイソルの話を、声を上ずらせながら。


話はあちこち飛び、起承転結もあったもんじゃない。


だって、レイソルの話を 誰かにしたことないもの。


頭に浮かんだことを、興奮しながら まくしたて、聞いている側が分かっているのか確認もできない。


でも、話しているのが楽しくて。楽しくて。


10分なんて話すことがあるだろうかと思ったが、あっという間だった。


10分が終わって
『あぁ、子どもたちが私に 好きなゲームの話・アニメの話をするとき、こんな気持ちで話していたのか』
そう思った。


いつもと全く様相の異なる会は、聞く側も飽きることがない。


自分が気づきもしなかったことを、こんな風にみて、こちら側からもみて・・と 肩ひじ張らず教えてもらえるのが、たまらなく楽しい。


そうだった。


私たちは『不登校児の親』である前に、何かが好きで、何かを楽しみながら、生きてきた、生きている、誰とも似ていない1人の人間なのだ。


そんな当たり前のことを、今更ながら 気づいた夜。


皆がキラキラしていた夜だった。

pixy!!

スポーツを観戦していると、美を競うものでなくても、選手の姿・技術に『美しい』と感じる、見惚れることがあるだろう。


私が好きなサッカーも そう。


サッカーを『美しい』と 初めてそう思わせてくれたのが、ピクシー(妖精)という愛称の選手だった。


ピクシーは、サッカー好きなら誰もが1度は聞いたことのある 元 世界的名選手。


だいぶ長いこと、日本でプレイをしてくれたお蔭で、その雄姿を拝むことができたわけで。


ただ、ピクシーは私の推しのレイソルではなく、敵のチームにいたのが残念な点であった。


ja.wikipedia.org


初めて彼を見たのは、レイソルのホームでの試合。


当時のレイソルのホームグラウンドは、今以上に ピッチと応戦席がものすごく近い、観客も1万人超入れば満員なるほど こじんまりとしていた。


それが応援するには、選手と一体感になれて ちょうどいいとサポーターの自慢。


しかし、見方を変えれば、グラウンドが こじんまり しすぎて相手のサポーターに失笑をかっていたというのも事実。


そんなスタジアムに相手チームとして現れたのが、ピクシー。


まだ、来日して1~2年目の30才前後だったか。


選手としては円熟期を迎えつつあった、素晴らしい時期。


私は、まだサッカーを観始めて間もない頃。


開始の笛が鳴った途端、周りの選手が、必死に走り、ボールを取ろうと 取られまいと身体をぶつけあい、応援の声が響く。


しかし、彼だけ サッカー選手ではなく バレエダンサーだった。


彼が いくつかバレエのステップを踏むかのように動くと、ボールを奪おうとした我がレイソル選手が 操り人形のごとく滑って倒れる。


皆が目を外していた場所から、急にボールのある舞台中央に出てきてたかと思えば、とんでもないパスを こともなげに出す。


ボールが ゴール内に吸い込まれる様は、ボールにピアノ線がついていたかのよう。


彼がボールを持つと、私の耳に白鳥の湖が、くるみわり人形の音楽が流れる。


何て美しいのだろう。


サッカーって、美しいスポーツなんだな。


あの頃、有名外国籍選手が あちこちのチームにとっかえひっかえ来ていたが、彼のプレイの衝撃は別格だった。


まだまだ、井の中の蛙だった選手と観客に「これが、世界だ」と突き付けられたような。


そして、監督になっても、妖精だった。


www.youtube.com



そのピクシーが、祖国の選りすぐりを連れて、今夜 日本に帰ってくる。


井の中の蛙は、少し井の中から出られるだろうか。


elgolazo.jp

不登校児が思う 授業参観

小4の娘の担任の先生から電話があった。


娘が登校できそうな行事などがあると 、電話をかけてくれる。


それで 娘が登校することは ほぼないのだが、それでも連絡をくれるのは 有り難い。


今回の電話は「授業参観があるので、登校してみてはどうか」というもの。


電話を切って、娘に、そのことを伝えた。


すると娘は
「授業参観・・必要??」
首を少し傾げながら、ちょっと困ったように言った。


私は、その言葉の意味が分からなくて黙っていたら、娘が
「だって、お母さん、家で 毎日ず~っと私のこと見ているよね。また、私のこと見る必要ある??」


あぁ・・そういうことか。


確かに。


担任の先生は
『少しでも登校してほしい、参観日なら母親もいるし心強いだろう』
『なんなら、保護者と一緒に、授業を後ろで見ていてもいい 』
そんな意味合いで 連絡をくれたのだろう。


だが、本来の授業参観は、親が学校での 子どもの姿を見にくるもの。


しかし
『現在、毎日朝から晩まで傍で見て十二分知っている私を、母親のあなたは 場所を変えてまで見たい??見る必要ある??』
というのが、娘の言葉の真意。


それが分かって、私は笑ってしまった。


確かにそうだ。


登校しているお子さんなら、平日は学校にいる時間が長いから 、その 親の知らない時間の姿を見ようと思うが、我が家は毎日が日曜日で、毎日が夏休み


夏休み中に開催する 授業参観をみたい親は、そうは いないだろう。


「それも、そうね!そうだ、そうだ!」
と笑いながら返事をする私を、娘は きょとんとしながら
「そういうことでしょ??そんなに面白い?」
と、私をみていた。


授業参観をそういう側面で見られる日が来るなんて!スゴイ!!面白い!!


分かるかしら?この感覚。


きっと、眉をひそめる人も多いだろう。


でも、登校拒否児がいなかったら、たぶん一生分からなかった感覚。


ホント、不登校は 新しい感覚が、視野が、広がる、広がる。


ウチの子、面白いよ!!

何度も観た映画は

「この映画を、何度も観た!」と言われたら、たいてい その映画は自発的に観たものであり、すなわち その人は その映画が好き。


そういう結論に至るだろう。


だが、私は違うのだ。


「何度も観た映画は なにか?」と尋ねられたら、私は『トップガン』と答える。

eiga.com


トップガンを、私は今までに7~8回観た。


それも15~20才くらいの間に、7~8回。


しかし、そのうちの1度として 自発的に観たことがない。


私の好きな映画は、派手なアクションや暴力シーンがなく、ハッピーエンドで終わるもの。


その点ではトップガンは嫌いではないし、好きな部類だ。


嫌いではないが、トップガンがすごく好きなわけでもない。


そんな立ち位置の映画だったトップガンを 何故か、15~20才の間『観なければならないループ』に 私は はまってしまっていた。


『観なければならないループ』というのは、学校の映画鑑賞会であったり、遊びに行った友だちの家であったり、修学旅行のバスの中でだったり、盆暮れの親戚の家だったり・・。


ことあるごとに、何故か そこには『トップガン』が鎮座。


確かに、当時 大ヒットした映画ではあった。


そのために、トップガンが好きな人が多かった、トムクルーズも売り出し 真っ最中って感じだったし・・そんな理由もあるだろうか。


別に文句が言いたいわけではない。


何というか、あの5年間の トップガン出現率の異様な高さは 何だったのだろうかと、今でもふと思うくらいで。


あれだけ観たトップガンだったが、残念ながら、その後 私がトムクルーズのファンになることもなく、映画関係の仕事に就くこともなく、飛行機オタクになったわけでもなく、パイロットの夫を持ったわけでもなく。


しいていえば、 自宅の 近所に自衛隊の基地がある。


そこの隊員が基地からサングラスをかけてオートバイで出ると、海岸線を疾走・・ではなく、迷彩服に眼鏡姿で 田舎道を自転車で走っているのを見かける。


トップガンと私の現在の関係性は、そんなもので。


でも、たまに トップガンの あの音楽がラジオから流れたりすると、思わず空を見上げて トムクルーズパイロット姿を思い出し、私の学生時代も思い出し、甘酸っぱくなるわけで。

48年目の素麺の真実

今週のお題「そうめん」

 

lingaiziyrk.hatenablog.com

 

拝見したブログに『素麺に 缶詰のミカンを一緒に入れて食べる』という記事があり、雷に打たれるほどの衝撃を受けた。

 

私は、素麺と一緒に果物を入れて食べたことがない。

 

実際に見たこともない。

 

しかし、素麺には 果物が入っているということは知っている。

 

何故 知っているのかと言えば、雑誌やテレビのCMで見たから。

 

初めて見たのは、小学生の頃だったか。

 

雑誌の広告ページに 素麺と一緒に缶詰のミカン、サクランボが盛り付けてあった。

 

それをみて親に尋ねた

「何故、あの素麺には みかんとサクランボが入っているの?」

 

親の答えは

「あれは、素麺の写真がキレイに映るよう、特別にそうしているだけ」

「飾りだから、あれは 食べないのよ」

 

そう信じて、数十年。

 

しかし、しかし、それが事実ではなかったことが、今日 初めて分かった!!

 

たかが素麺。だから、どうした。

 

だけど、されど、素麺みかん。

 

分かっている。

 

知っている人には、ホントどうでもいい話なのだ。

 

だがしかし、人生48年目にして分かった、この素麺の真実・発見は 千葉の鳥など比べ物にならぬ。

 

jp.rwwiki.cn

 

この歴史的発見を、我が親にも話さなくてはと 連絡をしたら

「あら?そうなの?それより コロナのワクチン接種が・・・」

 

あぁ・・ワクチン接種も大事だが、今は素麺なんだ。

 

あぁ・・この興奮を誰かわかってはくれないか。

 

あぁ・・日本は広い、日本の食の多様なことよ。

 

ただ悲しいかな、興奮はしているが 食べ物に対して非常に保守的な私は、素麺とみかんを一緒に食べる勇気が、まだない。