4月から登校はしないけれど、中学1年になる息子が、私を呼んだ。
「新しい味ができたんだ。作るから食べてみてよ」と。
『新しい味』とは、息子が私の野菜たっぷりのおかずを嫌がって、数か月前から自分のために作る、豚こま肉炒めのこと。
我が家の冷蔵庫にある肉は、ソーセージと鶏胸肉、そして豚こま肉。
要は、安い肉しかない。
ソーセージは安物のせいか、息子の口には合わないのだと。私はスゴク合うけどなぁ。
胸肉は、切っていないので調理のために切るのは面倒だと。
そうなると、残りは豚こま肉しかないので、仕方なく息子は、豚こま肉のみをフライパンで炒めて、それをご飯にのせて食べている。
初めは、私に習った砂糖と醤油の味付けをしていたが、毎日となれば飽きる。
そこで、調味料をあれこれ入れて 独自に味の研究をしだした。
それが、冒頭の「新しい味ができた」になったわけで。
新しい味のご披露をすると、中1息子が台所に入ると、小2の弟も「オレもやってみたい!」と弟子志願をした。
「しょうがねぇなぁ。じゃあ、最初だから見学な!」と言って、弟子見習い候補を従えて、まんざらでもない顔で調理開始。
今回は、中濃ソースとケチャップ、醤油、ニンニク、生姜、少量のマヨネーズを入れてみるとのこと。
前も、似たような味付けをしてなかったっけ??・・なんて、調理中のシェフに 口が裂けても言えない。
そんな私の思いと裏腹に「兄ちゃん、すげぇな!でもオレだって、今度から作れそうだ!」と、冷凍ソーセージをレンジでチンするのが精一杯の 弟子見習い候補が大口をたたく。
兄ちゃんシェフ「簡単にできるわけない!」と返すかと思ったら「そうだな。でも、火は気をつけろよ!危ないからな」と。
肝心の味の方は、調味料種類多過ぎかと感じたが、なかなかに美味しい。ご飯がすすむ味だ。
しかし、当のシェフは「マヨネーズの味をもっと活かしたい」と、反省の弁。
さて、もう1人、我が家にはシェフがいる。
それが、小4の娘。
こちらは、兄シェフがまだ持たない包丁を数年前からもち、時折、台所で野菜を切ったりして、母の助手をしていた。
兄が肉炒めを習得する前から、厚焼き玉子をマスターした 我が家の第1号シェフである。
この1号シェフが、先週から リンゴを自分で皮をむき、切り始めた。
キッカケは、またしても母親が「後で」「後で」と言いながら、一向に切ってくれないことに呆れ果て、自分でやらねば りんごは一生食べられないと悟ったから。
包丁初心者あるあるだが、包丁の皮むきは 切り刻むより、見ている側には 恐怖でしかない光景だ。
更に、娘は私と違って、利き手が左であるからして、右利きの私からみるとホラーである。
かなり遠目で見ていても、そう思うのだから、傍で見たら発狂しそうだ。
そんな度胸は、私にはないので、娘が りんごを切っているときは 知らぬふりをしている。
手や指の置き方だの、たぶんいろいろ間違っているように思うが、まぁ本人が満足して食べているならよかろう。
そして、今のところ、出血だのの大参事に至っていないのが、奇跡としか言いようがない。
そんなわけで、私にとって生活が捗る逸品は、子どもが自分のために作った肉炒めであり、剥いた りんごである。
私が今までしていたことを子どもができるようになり、私は仕事が減った。生活は捗る。
子どもは、自分の好きな時に自分で調理することで、私を待つことなく、空腹をガマンすることがなくなる。生活は捗る。
生活は捗るうえに、肉を炒める、りんごの皮むき技術は 一生使える。一石二鳥。言うことなしの極上の逸品。
それはそうと『捗る』って、私には読めなかった。
分からないから調べるのだが、数分経つと忘れて、また調べる、また忘れる、調べる。
私の新生活が本当に捗る逸品は、漢字練習帳だ。
はかどる。はかどる。はかどる。
捗る。捗る。捗る。