吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

捗って、一生使える

#新生活が捗る逸品

 

4月から登校はしないけれど、中学1年になる息子が、私を呼んだ。

 

「新しい味ができたんだ。作るから食べてみてよ」と。

 

『新しい味』とは、息子が私の野菜たっぷりのおかずを嫌がって、数か月前から自分のために作る、豚こま肉炒めのこと。

 

我が家の冷蔵庫にある肉は、ソーセージと鶏胸肉、そして豚こま肉。

 

要は、安い肉しかない。

 

ソーセージは安物のせいか、息子の口には合わないのだと。私はスゴク合うけどなぁ。

 

胸肉は、切っていないので調理のために切るのは面倒だと。

 

そうなると、残りは豚こま肉しかないので、仕方なく息子は、豚こま肉のみをフライパンで炒めて、それをご飯にのせて食べている。

 

初めは、私に習った砂糖と醤油の味付けをしていたが、毎日となれば飽きる。

 

そこで、調味料をあれこれ入れて 独自に味の研究をしだした。

 

それが、冒頭の「新しい味ができた」になったわけで。

 

新しい味のご披露をすると、中1息子が台所に入ると、小2の弟も「オレもやってみたい!」と弟子志願をした。

 

「しょうがねぇなぁ。じゃあ、最初だから見学な!」と言って、弟子見習い候補を従えて、まんざらでもない顔で調理開始。

 

今回は、中濃ソースとケチャップ、醤油、ニンニク、生姜、少量のマヨネーズを入れてみるとのこと。

 

前も、似たような味付けをしてなかったっけ??・・なんて、調理中のシェフに 口が裂けても言えない。

 

そんな私の思いと裏腹に「兄ちゃん、すげぇな!でもオレだって、今度から作れそうだ!」と、冷凍ソーセージをレンジでチンするのが精一杯の 弟子見習い候補が大口をたたく。

 

兄ちゃんシェフ「簡単にできるわけない!」と返すかと思ったら「そうだな。でも、火は気をつけろよ!危ないからな」と。

 

肝心の味の方は、調味料種類多過ぎかと感じたが、なかなかに美味しい。ご飯がすすむ味だ。

 

しかし、当のシェフは「マヨネーズの味をもっと活かしたい」と、反省の弁。

 

さて、もう1人、我が家にはシェフがいる。

 

それが、小4の娘。

 

こちらは、兄シェフがまだ持たない包丁を数年前からもち、時折、台所で野菜を切ったりして、母の助手をしていた。

 

兄が肉炒めを習得する前から、厚焼き玉子をマスターした 我が家の第1号シェフである。

 

この1号シェフが、先週から リンゴを自分で皮をむき、切り始めた。

 

キッカケは、またしても母親が「後で」「後で」と言いながら、一向に切ってくれないことに呆れ果て、自分でやらねば りんごは一生食べられないと悟ったから。

 

包丁初心者あるあるだが、包丁の皮むきは 切り刻むより、見ている側には 恐怖でしかない光景だ。

 

更に、娘は私と違って、利き手が左であるからして、右利きの私からみるとホラーである。

 

かなり遠目で見ていても、そう思うのだから、傍で見たら発狂しそうだ。

 

そんな度胸は、私にはないので、娘が りんごを切っているときは 知らぬふりをしている。

 

手や指の置き方だの、たぶんいろいろ間違っているように思うが、まぁ本人が満足して食べているならよかろう。

 

そして、今のところ、出血だのの大参事に至っていないのが、奇跡としか言いようがない。

 

そんなわけで、私にとって生活が捗る逸品は、子どもが自分のために作った肉炒めであり、剥いた りんごである。

 

私が今までしていたことを子どもができるようになり、私は仕事が減った。生活は捗る。

 

子どもは、自分の好きな時に自分で調理することで、私を待つことなく、空腹をガマンすることがなくなる。生活は捗る。

 

生活は捗るうえに、肉を炒める、りんごの皮むき技術は 一生使える。一石二鳥。言うことなしの極上の逸品。

 

それはそうと『捗る』って、私には読めなかった。

 

分からないから調べるのだが、数分経つと忘れて、また調べる、また忘れる、調べる。

 

私の新生活が本当に捗る逸品は、漢字練習帳だ。

 

はかどる。はかどる。はかどる。

 

捗る。捗る。捗る。

ソロ活

1人で何かをすることを、最近は『ソロ活』というらしい。


週末に、私は、その『ソロ活』をした。


少し前に、ソロ活大好き夫に宣言をしていた。「私、来月と再来月の週末は1人で出掛けたい!」と。


男性の脳は、察する能力が低いと専門家が言っていたので、ここはハッキリ言わにゃあ と、私は ようやく気付いた。


夫も自身の数年に及ぶ、ほぼ毎週末のソロ活が、私のワンオペ育児のもとに成り立っていることに、ようやく先月あたりに気付いた様子。


だから、私のソロ活宣言に 夫は No! とは言わなかった。


今まで単発にはソロ活はしたが、今度は2ヶ月もの週末を、ソロ活にする。


迎えた当日「夕方5時には帰る」と、ちゃんと予定を夫に言った。


“ 全く予定を言わないまま、朝早くふいと出掛けたきり、夜中まで帰らない夫より、何て私ってばお利口さんかしら!”
と、心の中で自分を誉めた。


ソロ活の始まりは、まずは自分を誉めることから。


でも、居間でテレビに夢中の子どもたにちには内緒でソッと出掛けたのは 気が引けた。


だが、言ったら、必ず 子どもたちは ついてくる。


それは ソロ活ではない。非日常ではない。


もう、私のストレスは、1人の時間を!という欲求で パンパン! はち切れそうなのだから。


そんなこんなで “ えいや!” と、外に飛び出したのは、午前9時半。


行き先は決まっていた。


前々から気になっていた映画をみたい!


movies.shochiku.co.jp


隣駅の映画館まで、歩いていく予定が、遅くなったので、結局、電車。


あと15分で上映時間!


駅でソワソワしながら、1駅分乗り、降りて走っていく。


走っている身体は脂肪で重いが、心は軽い。


チケットを買って、食べていない朝食を館内で買おうかと思ったが行列。


家からもってきた水筒のお茶で、まっいいか。


座席にすべりこむと、上映時刻3分前。


あら、ラッキー!


肝心の映画は、大好きな 騙し騙されもの。


ラストで “ あぁこれで終わりか ” と思いきや、まだ二転三転あって “ なるほど、こうきたか!” と、エンドロールで ニヤリとしちゃう作品だった。


満足して 映画館を出ると、ちょうどお昼。


空きっ腹を抱えてブラブラしていたら 、街の中華屋さん風情の店に “ ハイボール割引 ” の文字。


週末。昼間。ソロ。非日常。
ときたら、外食してお酒だって良いでしょ!


早速入ってみると、ほぼ満席!


やっぱり、皆さん、外食に飢えているんだな。


ウンウン、やっぱりいいよ。外食。


さて、ハイボールだけでは腹は膨れない。料理は・・・ここは 炭水化物より、たんぱく質だ。


餃子?シウマイ?春巻?炒め物もいい・・。


家族で食べるのもいいけど、自分の食べたいものだけを ゆっくり考えられるのも、ソロ活の醍醐味。いいぞ~!ソロ活!


じっくり考え、ホイコーローを注文。


あの味、簡単そうだが、自分では出せない。


入っている具材は簡単に手に入るものなのに、あの味が出せないので、ホイコーローは店に限る。


もう1品頼もうかと考えたが、ここはホイコーローと、ハイボールを楽しもう!足りないなら、追加すればいっか!


出てきたハイボールと、ホイコーローが、予想より大きい!


油でテカテカ光るキャベツに、ハイボール


濃い味付けに、ハイボール


隣のおじさんのラーメンを横目に、ハイボール


この後、どうしようかなぁ~と、ハイボール


ハイボール片手に考えた結果、また映画館へ舞い戻って、もう1本みる。



okusama-movie.jp


このドラマ版を以前みていたので、スンナリ入れた。


最近の俳優さんは、男性もそうだが女性もアクションが出来る人が多くなった気がする。


アクションって、1日2日で出来るものではないし、基礎体力やら訓練を だいぶ積んだのだろうなぁ。


フィクションとはいえ、美男美女のうえに、料理上手で貞淑な妻と、この上ない優しい旦那像に、おもわずため息をつきながら鑑賞。


帰りは、行きに出来なかった1駅分を携帯ナビを頼りに歩いて帰宅。


スタート地点がまずかったのか、住宅街の細い道をクネクネ歩いて帰ってきた。


また、それが思いの外 楽しかった!


ピッタリ5時に帰宅。


あら、私ったら、スゴい!


最後も、自分を誉めて 楽しいソロ活第1段終了なり。

want you! オンチュー!御中!!

手紙が来た。


中の書類を記入して、また送り返すようにと 返信用封筒には切手が貼ってあり、宛名シールも貼ってある。


こちらの手間を省いてくれて、大変有り難い。


有り難いのだが、1か所だけ、気になる点が。


返信用封筒の宛名シールに、既に『御中』と印刷済みという点。


『宛』とか『行』を消して『様』だの『御中』と、こちらが書かなくて済むようにとの配慮で、ここ数年 みられると、ネットには書いてあった。


私にはお初だったが、そうだったのか。


それでも、違和感がある。


自らに最初から『様』だの『御中』だのとつけるのは、日本人としては横柄すぎないか。


意地悪な見方をすれば
『私は 、もともと ” 様 ” がつくような人間なの!下々のあなたとは違うの』
と、マウントをとっているといった 解釈もなくはない。


相手が、年端もいかぬ子どもならば、知らなかったのかな と微笑ましくも思うが。


この『御中』と印刷済みの手紙は、子どもの学校から。


マナーも、時代ごとに変わってくるから、イチイチ目くじらを立てるのは、年寄の証拠なのか。


でもね~~。


そうだ!印刷済みの『御中』を二重線でわざと消して、そのまま送付しちゃおうかしら。


いや『御中』を二重線で消してから、逆に『行』と書いてみるのも・・


というのは、年寄の意地悪よね。


昔のマンガ『いじわるばあさん』を思い出した。


彼女なら、どうしたかしら。イヒヒヒ・・。


www.mangazenkan.com

手が温かかった

コロナでキャンセルしていた腸カメラ検査を、1年遅れでしてきた。


自覚症状があるとかいうわけではないが、3年ほど前に憩室炎をして、それ以来、検査をしていなかったので。


この年令にもなると、自身のメンテナンスは大事。


しかし、憂鬱だった。できればしたくなかった、この検査。


何故って、3年前の初めての検査が 部分麻酔で、まぁ痛かった。もぅ辛かった。二度とやりたくないほど。


その後、知人から全身麻酔の検査方法もあると聞いた。


寝ている間に終わったので、痛みも何も感じなかったというではないか。


それだ!絶対に絶対に今度は、それにしようと心に誓った。



そして昨年、そろそろ検査しておこうかと全身麻酔をしてくれる病院を探した。



何と、自宅から徒歩5分のところに 全身麻酔をして検査してくれる病院発見。


いそいそと予約したはいいが、コロナ第1波で病院側からキャンセルの申し出。


そして、そろそろいいかと予約電話をしてみたら 全身麻酔の検査は中止していると言われてしまった。


全身麻酔を行った後、しばらくは病院に滞在して 身体を麻酔から覚ましてからではないといけないらしい。


病院滞在時間が長い=感染リスクが高まる というのが、中止の理由らしい。


まぁね、確かに。


そんなわけで、泣く泣く 部分麻酔検査を承知して臨んだわけだ。


まずは、朝も早よから下剤と水を飲み続けること3時間。


もう既に、これで体力半分は持っていかれる。


『私、10年後に これできるかな..?』と思いつつ、ひたすら飲んでは、トイレに駆け込む。


その後、病院での本番検査が始まれば、身体に異物を突っ込まれる。


やっぱり痛い。辛い。もう嫌だぁ。


異物を入れられたまま、身体の向きを変えろとか、息を吸って止めとけなんて、私にゃ無理だ~!


と、そんな文句も言いたいが、言ってる余裕がない。


歯医者と同じで「痛かったら、言ってくださいね~」と検査前に言われるが、実際は言ったところでどうなるものでもない。


とにかく目を固く瞑り、手を握りしめ『早く終われ』と念じるのみ。


普段は不信心なくせに、こんなときは神様仏様と祈る祈る。


ただ、そんな中に救いがあった。


それは、看護師さんの手。


看護師さんが、検査中ずっと 私の肩を幼子を寝かしつけるかのように優しくトントンとしていてくれた。


その手が温かく、優しくて、人の手って こんなに落ち着くのかとビックリ。


あぁ、これなら子どもが、安心して寝るわけだ。


そんな経験は何十年ぶりで、こんな場面でしてもらえるなんて思っていなくて、涙が出るほど嬉しくて、その手が検査中の支えだった。


永遠に思えた検査は、終わってみれば、受付をしてから小一時間で病院を後にしていた。


特に、ポリープも見付からず、また3年後くらいに検査をと言われた。


しかしながら、えもいわれぬ疲労感がハンパない。


徒歩5分の自宅までの道で、よほど歩みが遅かったのだろう。


後ろから来た幾人にも、私は追い抜かされた。


帰宅して、布団に倒れこむ。


次回は、絶対に絶対に全身麻酔にしたい。


でも、あの手の温かさは忘れられない。あれは。

キャンドルは縁遠い

小6の息子が 珍しく自分の荷物整理をしていたとき、自作のロウソクが2本出てきた。


ボーイスカウトで、随分前に作ったものらしい。


「オレはいらない!お前たちにやるよ!」と弟妹に渡すと、彼らは大喜び。


高さがなく、横幅の広い ちょっとデコボコした 手のひらサイズのロウソク。


ロウソクの1本は、ピンクと更に薄いピンクの2色のグラデーションで、もう1本は紫、ピンク、白の3色のもの。


「しばらく、誰も誕生日じゃないし、このロウソクの出番がない!でも使いたい!」と言い出したので、入浴中にと提案すると ノッテきた。


早速、その晩の小1の息子と小3の娘との入浴時に、風呂場の明かりを消して ロウソクに火をともす。


私も、実は 初めて。


子どもたちが怖がると思って、脱衣所の電気はつけたままにしていたが、それでもなるほど、なかなかにいい雰囲気!


あぁ落ち着くなぁ・・・なんて 私は思っていたが、小学生の彼らに『癒し』は、ちと早かったようで。


初めは、こんなに長く燃える火をみるのが珍しかったが、それもすぐに飽きた。


「・・・何か燃えてる・・・溶けてる」
「・・・これだけ?これ見てるだけ?」


そのうち、ロウソクの燃えるのを実況中継しだした。

「さぁ、この2本のロウソク、どっちが早く燃えるでしょうか?」
「ゲストの○○さん、どう思われますか?」
「お~~っと!こちらのロウソクの火が消えそうだ!」


癒しも何もあったもんじゃない。


しかし、実況中継も飽きる。


「ねぇ、これっていつ全部なくなる(溶ける)の?」と、小1の息子が尋ねてきた。


「このまま火をつけっぱなしにしておいても、明日の朝くらいまでかかるかなぁ?」と返すと、ビックリして「え?マッチ売りの少女のは、すぐ消えたじゃん!?」と。


マッチとロウソクが、どうも同じものだと思っていたらしい。


確かに、マッチは家に置いていないので見たことないか。あるのは、チャッカマンだし。


以前に、YouTubeでマッチを見せたことがあったけど、覚えてないかぁ。


結局、風呂場の電気もつけて、入浴が終わったときに1本ずつ息子と娘で吹き消し、初めてのキャンドルバスタイムは終了。


2度目があるとは思えない。


ロウソクは、災害用グッズの中にでも入れておくかなぁ。


洒落た店でおいてある、アロマキャンドルなるもの、我が家には不要だと確信に至る。


つくづく、おしゃれな暮らし、丁寧な暮らしには縁遠い。

イチゴ狩り

先日、子ども会主催の いちご狩りに、小3の娘と行ってきた。


実は、私はいちご狩りが人生2度目。


前回行ったのは、35年前。


その時も、子ども会の行事だったろうか。


周りは、子どもばかりで自分の親はいなかったのを覚えている。


そのときのいちご狩りは、今のように取りやすい手元近くではなく、イチゴが足元にあった。


ひどく蒸し暑い温室のなか、ごった返す人をよけながら、待ちながら、イチゴの泥を片手で払い、片手のコンデンスミルクをつけて食べながら歩く。


コンデンスミルクというものがあるというのを、このとき初めて知った。


当時から、子どもだてらに酒飲み舌だった私に、コンデンスミルクは 衝撃的に甘すぎて、全く受け付けない。


汗だくで、甘ったるいイチゴ。


コンデンスミルクを返そうかと思ったが、周りの友人たちはコンデンスミルクの味を大絶賛。


思春期の『ここは周囲と同調せねば』の思いが勝ってしまい、愛想笑いをしながら『イチゴは涼しい場所で、そのまま食べるのが1番だ』『好物も、食べる場所と食べ方によっては不味く感じる』ということだけを頭に刻み付けた。


それが、私の初めての いちご狩りの思い出。


さて、今回の人生2度目のいちご狩りも 正直 気がすすまなかったけれど、娘が行きたいとなれば仕方あるまい。


服装は、半袖に薄手の上着を羽織る。暑さ対策は、これでよし。


いちご狩りの場所は、自転車で行ける距離。


途中、長い上り坂があるけれど、それも引っ越し前に住んでいた坂の多い街を思い出しながら、娘と頑張ってペダルを踏んだ。


さて、いちご狩りの温室に入ってみると、前回は足元にあったイチゴが手元に。


畑の狭い畝の間を、足元のイチゴを踏まぬよう、前からくる人をよけたりしながらだったものが、通路は人が3人は通れるほど余裕がある。


テーブルと椅子も用意されて、取ってきたイチゴはテーブルで食べるよう指示があった。


コンデンスミルクも初めからカップに入ったものが渡されず、使いたい人だけが入れるように容器がテーブルに置いてある。


あれだけ ごった返していた人も、人数制限を設けたようで、まばら。


手洗い場まで用意されていた。


確かに、温室なので蒸し暑いが、半袖ならばちょうどいい。


一瞬にしてイチゴ狩りのイメージが覆る。


こうなったら、食べて元をとらねば!狩りじゃ!狩りじゃ!狩りに参るぞ!


意気揚々と、娘を従えて 歩を進める。


こういうとき、娘は 日頃の食いしん坊を ひた隠しに隠す。猫を何重にもかぶりまくる。


「お母さん、そんなに沢山一度に入れなくても・・」
「私、そんなに食べられな~い」


などと、日頃はポテチ1枚、アイス一口でさえ 兄弟にはあげたくない、自分の分が他より少ないと思えば烈火のごとく怒りだす娘が、偽りの言葉を吐く。


それを
「何言ってんのよ!今、沢山摘んでおけば、何度も摘みに行かずに済むでしょうが!時間制限あるんだから!」
「ほらほら、食べなさい!」
と、結婚・子育てを経た母親たるもの、図々しさ全開で返す。


そうやって、一緒に来た 他の母親とも話しながら、今年1年分のイチゴを食べた。


お土産に イチゴを沢山買って、また自転車にまたがり 帰路につく。


その途端、案の定 娘の口から「何かさぁ、お腹すいちゃった。お菓子買って帰ろうよ~」


ほら みたことか。


でも、私も あなたとそっくりの子どもだったからわかるよ。


帰りは、行きの長い上り坂も、下り坂に変わる。


娘とペダルに足を置いたまま「ひゃ~楽チ~ン!」


下り坂、お腹はイチゴでいっぱいで、家にいる息子2人の土産に喜ぶ顔を思ったら にやけちゃって、風は気持ちよくて、桜も咲いて。


帰宅後、ようやく土産のイチゴでイチゴを味わった娘は、満面の笑みで「おいし~~!」


私のイヤだった思い出は、楽しい思い出に変更されて上書きされて。


生きているのも悪くないと思ったりして。


こんなことで、大袈裟だなと思ったりして 。


そんな イチゴ狩り。

台所では明かりをつけなさい

台所で、ちょっとした用事をするとき、私は ついつい電気をつけずにいる。


洗った布巾を数枚しまうとか、台所に置いてあるものを1つだけ取りに行く、しまいに行くだけとかの、1分かかるかどうかのとき 面倒で明かりをつけない。


隣接している居間からの明かりがあるので、台所は薄暗いながらも、ある程度は見えるし。


ところが、そんなとき必ずと言っていいほど、台所の明かりが ひとりでにつく。


人感センサー付きの明かりだからではない。


電気のスイッチ近くには、片手にゲーム機を持った 小1の息子の姿。


そして言うのだ「暗い所は、目が悪くなるよ」


それだけ言って、サッと立ち去る。


「すみませ~ん。有難う」と礼を言うが、心の中では『すぐに終わるんだから大丈夫なのに!』なんて思っているから、数分後には、性懲りもなく 薄暗い台所でゴソゴソやりだす。


また、ひとりでに電気がつく。


そんなことを数か月以上繰り返していたが、とうとう息子から「お母さん!何度言ったら分かるの?」とお叱りの言葉が。


少し前までは、薄暗い居間でゲームをしていた息子に同じことを言っていたはずだが、そういえばそのセリフ言ってないな。


立場が逆転していた。


これが夫なら、イヤだと思うけど、息子なら許そう。


これも、そのうち終わる。期間限定のこと。


小1ストーカーは、今日も居間でゲーム機片手に寝転がりながら 絶えず母の動向を確認している。


きっと、こんな息子のことを 後々 私は思い出して懐かしんで涙するのだ。


しかし 息子よ、未来のパートナーに対して、動向確認はやりすぎない方がいいぞ。