吾輩はズボラなるままに

15才、中1、小5の3児のママです。子ども全員明るくニート&不登校中。ズボラ万歳で過ごしています!

息子の美学

少し前から10才の息子が、小学校のトイレ掃除を1人でしているという。


息子は、小学校で保健委員なのだそうだ。


保健委員の仕事の1つが トイレ管理。


トイレ管理というのは 委員1人に1箇所分担されたトイレのトイレットペーパーや石鹸などの補充や、用具の点検(修理の有無など)をするらしい。


息子、自分の宿題提出やら 持ち物なんかの管理には てんで疎いくせに、トイレ管理には やけに頑張っていて、分担のトイレを毎日チェックしていた。


チェックしているうちに 洗面所の鏡、周辺の床が水がいつも飛び散っているのが気になり 掃除をしたのだと。


日に1度、登校後の授業が始まる前 もしくは 昼休みに掃除をするのだが、翌日になると 前日と変わらず周辺に水が飛び散っているのだと。


「お母さん、今日も洗面所が汚かったんだ」「掃除、大変だよ」が、帰宅してからの彼のお決まりのセリフになった。


どっかのお店みたいに「いつもキレイに使っていただき、有り難うございます」って貼り紙してみたら~?


これが、私のお決まりの返しのセリフ。


「う~ん、まぁね~」これが、母のセリフを受けてね息子のお決まりの返し。


あるとき「あなたが毎日掃除をしているのは、先生は知ってるの?」と尋ねた。

「知らないよ」

「保健委員の担当の先生も?担任の先生も?クラスの人も?」

「誰もいないときに、オレ掃除してるから。たぶん、誰も知らない」

「え~?言えばぁ?掃除してるって。キレイに洗面所を使ってくれ!ってさぁ。そうすりゃ、少しはキレイに使うでしょ!?」


その47才の言葉に、10才は言った。


「いいんだ。誰にも知られなくて。いいんだ」


そう彼はマンガを読みながら言った。


我が子ながら・・いい奴だ!シビレルぜ~!!


そして、我が言葉の浅はかさを恥じた。


恥じたついでに、いい奴に 自宅のトイレ掃除も頼んでみたら速攻却下された。


まったく 男ってのは 外ではいいカッコしたがるよなぁ~と思いつつ、なかなかいい子に育っているのが嬉しい。


これが夫なら「外でやれるなら、家でもやれ!」と、ムカつくだけだろうに。


あぁ、身勝手な怠け者よ 汝の名は ズボラ母ちゃんなり

No Reysol, No Life

headlines.yahoo.co.jp

 

20年来のご贔屓、柏レイソル終戦を ホーム日立台で気乗りしないという子どもたちも連れ、家族で観戦。


この大勝を 今季最後の今日、見届けることができた。


1週間前、J2優勝が決まった試合の観戦は 途中からテレビの前で観戦。夫婦で祝杯をあげた。


今日の最終戦の相手は、J1への切符がとれるかどうかギリギリの順位にいる。


死に物狂いでくるであろう相手に、昇格の決まったお気楽な我がレイソルは大丈夫だろうか?


戦前は心配したが杞憂であった。


試合時間90分で13点。13回席を立ちあがり、13回歓声をあげ、13回拳をつきあげた。


狂喜乱舞する私と夫の横で、我が子3人は顔を寄せあいゲームに夢中。


目の前で何点入ろうが、知らぬ存ぜぬ。お構い無し。


私ら夫婦も、ここにいる間は 隣の我が子は知らぬ存ぜぬ。知ったこっちゃない。


こんな所まで連れてこられた可哀想な子どもと、身勝手な親だと見られようが、どうでもよいよい。


No Reysol,No Life


親の身勝手を許せ。


さぁ、13点のJリーグ1試合最多得点を引っ提げて、春にはJ1に乗り込む。


ちょっと怖い。いや、だけれど楽しみだ。


あぁ 今夜は、最高!

一番欲しいもの

先週木曜から「学校には行きたくない」と言い出した 10才の息子が、今週火曜日から登校した。


短い登校拒否であった。


登校前日の、今週月曜日にイザコザのあったクラスメイト数名が 「自宅に行って謝罪したい」と言って、先生とともに謝罪の手紙を持って来てくれた。


謝罪にきたクラスメイトとは、息子は顔を合わせなかったが手紙は読んでいた。


そのあと 隣のクラスの仲良しが2人来てくれた。


仲良し2人は家に招き入れ、心配する2人に「何でもないよ!明日には行くよ!」と答えていた息子。


仲良しの彼らが帰ってから「明日、オレ学級行く!あいつらに、行くって言っちゃったしさ!」と。


そうだった。この人は 相手が謝ってくれたら、簡単に許しちゃう人だったんだ。


今までも泣いて帰宅して
「いじめられた」
「ずっとガマンしていた」
「もう無理」
「お母さん、先生に言って!自分では言えない」

なんて言う。


つとめて表情には出さないようにしているが、内心は慌てている。

「このまま、50年先まで家から出ないなんてこともありうる?」

「いや、待て。不登校の際の学校とのやりとりをどうするか?ネットで検索だ」


「そういや、この地区の不登校支援ってどうなってる?」

フリースクールは?」



こちらは心配して やんわり状況確認を担任の先生に連絡帳で頼む。朝も、心配しながら送り出す。


それが本人、帰りにはケロッとして明るく帰宅。


心配して「今日、学校は大丈夫だったのか?」と尋ねると「え?なにが?」と、きたもんだ。


寛容なのか、鈍感なのか、図太いのか。


今回も 本人には言わなかったが、フリースクールや、ホームエデュケーション、その他もろもろ調べてしまった。


今朝も、それとなく学校のことを聞いたら「今は楽しいよ」と言って、イザコザのあったクラスメイトが面白いことをしていて笑ってしまったと話した。


この寛容さと、鈍感さ、図太さ。これを、私はずっと欲しかったんだよなぁ。


これが少しでもあったら、不登校も引きこもりも長引かなかったのかなぁ。


ようやく 最近になって、少しずつだけど 手に入れられただろうか。


子ども3人全員不登校から、1人居場所を見つけた。さて、7才と、6才の2人の居場所探しは まだ探索中。


探索中の2人も、家では明るい。


学校と幼稚園は、たまにちょっと顔を出す。


そういえば、80才になる実父は幼稚園を3日で自主退園したそうだ。


退園理由は、本人曰く「したくもないお遊戯やら、歌やら子どもじみて、バカくせぇ」と。


両親も「あぁ、そうかい」と言っただけだったと。


幼稚園に対する世間の考え、時代が違うだけだろうと私が言ったら父は

「そうかもしれないが、当時オレの周りはみんな幼稚園に行ってたさ。幼稚園に行かなくなったら 遊び相手が昼過ぎないといなくて、これだけは困ったよ。でも、ちょっと待ってりゃいいことだし」

「小学校にしたって、体育と給食食べに行っただけさ」

と。

そういえば、亡くなった父方の祖母が

「学校にときどき用事で行くと、いつもあなたのお父さんは校庭を走ってるの」

「何か悪いことをしての罰走か?と担任に尋ねたら、罰走は終わってるんだけど 教室で授業受けたくないから 他の罰走の子どもと一緒にまた走ってるって!困っちゃうわよね~」


私自身の不登校の血といい、父の血といい・・我が子は、この親にして この子あり か?


見守る度量。それが、私が今 いちばん欲しいもの。

ハッピーバースデー

本日は、朝から1人。

夫が、子ども3人にインスタントラーメンの朝食を食べさせてくれ、朝9時過ぎには外に連れ出してくれた。


1人で簡単に掃除をして、

1人で洗濯をして、

1人で遅い朝食をとって、

1人でためこんだ録画番組をみて。

あぁ、1人って最高!


だって今日は私の誕生日。プレゼントは、1人の時間を所望。



只今、近所の居酒屋で1人で呑んでいる。


この場所は、居酒屋が多くていい。


私は なかなか1店に長居できない。


まずは入ってみて、飲み物と食べ物を1つ頼んで様子見。食べ物、飲み物、そして居心地が 合うかどうか。


食べている間に「もう次だな」と思えば、席をたつ。


こういう、次々の店変えも1人だと気軽。


でも、周りの弾んだ声に、誰かと話したくなるけど。


久々の「1人」をかみしめる。ゆっくり、ブログを書ける幸せ。


でも、明日の体重計の恐怖が 時々 頭をかすめるけど。


1時間ほど前から飲み始めて、ここで3件目。


ここの店なら、ゆっくりしようかな。


47才のシンデレラは、舞踏会より 1人酒をのむ。


また、来年も呑めるように。


また、明日も希望をもてるように。


さて、次は何を呑もうかなぁっと。

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3人そろって

9月から毎朝「幼稚園には行きたくない!」と大暴れを繰り返した、6才の息子。


もう、幼稚園には 無理には行かせないことにした。


最近は 私も 精神的に辛くなっていた。


昨日の朝は「何故、この子を無理矢理に行かせるのか」と悶々としていた。


昨日の午後、幼稚園に迎えに行くと 園長先生から話があり

「無理に園に来させるほうが、可哀想だし 心のキズになる。本人が来たいときに来ればいい。幼稚園はいつでも待っている」


と話があった。肩の荷がおりた気がした。


その話しが終わり 椅子から腰をあげようとしたら、息子が廊下の窓から 部屋に顔を出した。


園長先生が「お母さん、約束通りに早く迎えにきてくれたよ。お帰りの用意する?」と言ったら


息子は「オレ、まだ遊ぶ!幼稚園、楽しくなった!迎えには、まだ来ないで!」と言って園庭に駆け出していった。


園長先生と、顔を見合わせ笑ってしまった。


そんなことを言ったって、また明日になったら「行かない」というくせに。


6才に、大人が皆でふりまわされている。まったく困ったもんだよ。きみは。



気が楽になったら、夕方に帰ってきた10才の息子が「オレ、もう学校に行きたくない!」と。


やれやれ、これで3人そろって「登校拒否トリオ」の出来上がり!


この際、3人の子と遊びまくってやろうか。さぁて・・。


今は、気持ちが自分でも驚くほど楽である。


嵐の前の・・だろうか。これから、またイライラするのだろうか。まぁ、そのときは そのときで。


さぁ 今日は、何をしよう。

行きたくない場所に、なぜ行かせるのか?

新しい学校と幼稚園に、なかなか慣れない7才の娘と6才の息子。


幼稚園年長の息子は、先月 自身で「送迎バスに乗りたい」と言い、ようやく登園拒否を乗り越えたかと思ったら、送迎バスに乗ったのは4日間のみ。


5日目からは 朝から叫ぶ毎日に逆戻りというか、更にパワーアップした感がある。

「幼稚園には行きたくな~~い!!」

「行かなくていいよ。お母さんだけ 幼稚園行くから

お留守番していてね」

「ダメ~~!お母さんも行っちゃだめなの~!ダメ~行かない~!イヤだ!イヤだ~!」


「ママのバカ~~!バカ ゴリラ~!」


近隣に響き渡る叫び声をあげ、私の足にしがみつく。彼をひきずりながら、車に乗り込む。


幼稚園に着いても、機嫌はなおらないが、そこは先生との無言の連携プレイで いい頃合いで コソッと私は消える。


(あとで、うまく本人には母親が帰宅したことを先生が言ってくれているらしい)


その連携プレイで 開始30分で消えられるか、3時間かかるかはやってみないと分からない、出たとこ勝負。


だけど、降園時間に迎えに行くと 朝の大暴れが嘘のように、ご機嫌。


だがしかし、まだ 幼稚園児はいい。7才の娘には、この手は通用しない。


彼女は、9月から保健室登校で 着実に学校滞在時間をのばしていた。


8時半~15時くらいまでいた娘が、今月に入り登校をしぶりだした。


登校しても、保健室にランドセルをおろしたかと思ったら「もう帰りたい」と。


理由は、特にはないよう。


発達障害の診断を受けるよう、学校の先生に言われた。何だか、少し心がモヤモヤした。


学校のクラスに入れない、皆と同じでない娘がダメだと見られている気がした。


今日は、降園時も仏頂面だった6才の息子が帰りの車の中で言った。

「お母さんは、なんで オレが行きたくない幼稚園に行かせようとするの?」


私は 答えられなかった。


答えが分からなかった訳じゃない。でも、言えなかった。


だって、私の頭に真っ先に浮かんだ答えは
「お母さんが1人になって楽したいから」


そして、それ以外の答えは見つからなかった。だから言えなかった。


「あなたの将来の為だから」なんて、体裁はいいが 私の本心じゃない。


行きたくない場所に、子どもを行かせるのは いったい何のためなのだろう?


よく分からなくなってきている、今日この頃。


1人になりたい。

他の人は 皆さんそうしていますよ

headlines.yahoo.co.jp

 

こういうの好き。いい答えだ。

 

個人的には、正解にしたい。

 

こういう答えを正解とする教育が、未来の柔軟な面白い発想の大人を作るのではないか?

 

以前、何かの本で読んだのだが、他人を動かしたいとき。


例えば、何かを買わせたい、こちらの意見に同意してほしいときの、これならyes!と言わせる誘い文句を国別に紹介していたものがあった。

 

国によって「そうすれば、あなたは英雄だ!」とか「ご両親が喜ぶだろう」とか「それをするのはあなたが初めてだ」とかあった。

 

ちなみに日本人には「他の人は 皆さん そうしていますよ」というと良いと。

 

確かに。


 

先日「みんなの学校」という映画をみた。

 

minna-movie.jp


同じ年代の子どもを持つ親として、保健室登校を続ける娘を持つ親として、非常に考えさせられた。


いろいろな子どもが周りにいること、一緒にいることが普通の、大阪にある公立小学校の1年間を追いかけたもの。


何かが欠けていたり、強すぎたり、弱すぎたり、過敏だったり、鈍感だったりの子どもと、先生と、親がでてくる。


他の学校から溢れた子どもが、その学校を頼ってやってくる。小学校のお助け小屋みたいなところ。


そんな現場は、映画でみる以上に 大変だろうと思った。


生徒と先生と親がみんなで手探りをしながら 泣いたり笑ったり怒ったりして、少しでも前進したいと もがいていた。


普通の人間とは何か。普通にできるとは何か。良くわからなくなった。


算数の答えも、人も、いろいろあって、いろいろいて当然だと思う。


みんなちがって、みんないい。

十人十色。


そんないい言葉が、日本にはあると思い出した。


今日、娘は学校に行かなかった。


私は、友人とのランチに行きたかった。私1人で行きたかった。


「どうして、普通に学校に行ってくれないの?

「お母さん、あなたのせいで ずっと何処にも行けない!」


私は、娘をなじった。怒鳴った。


普通とは何だ。